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赤ん坊から見た世界(最終回)

2009-06-22 16:50:15 | 赤ん坊から見た世界
今回はいよいよ、赤ん坊が母親と共同して言葉を獲得していくという、

めざましい発達について、ご一緒に見ていきましょう。

乳児が目の前の人や物にだけ関わっていた時期から、

「ハイハイ」移動をするようになって、未知な第三の物の発見と関係が生まれます。

このとき必ず、自分と相手との関係の中でその物についての共同の了解が成立していく。

* なぜ人さし指なのか -

母親との間の共同性の始まりは、乳児の「指さし」という現象から観察されるという。

満一歳前後に人さし指で示して相手の注意を求め、

相手が何らかの反応をすることで、乳児が満足を覚えるということが始まる。

おそらく生後六ヶ月以前からの母親の指さしを学習した成果であろうと思われます。

このような指さしなどのコミュニケーション手段が「共同注意」の成立を促進したということ。

その場面では、母親による「言葉掛け」と、乳児の側のまだ言葉にならない「発声」とがともなうことから

赤ん坊の「発語の起源」が認められることにもなる。

* 実際にさまざまな研究から、すでに十三ヶ月の時期に、

子どもが注意を払って見ている対象について、

母親がその名前を出すという「現在母親発話」をよく行うほど

子どもがその名前をよく覚えることが追跡測定で観察されています。

これは「命名の爆発」と呼ばれ、

つまり語彙がより獲得されていき、豊富になっていくということですね。

ここでは単に言葉を憶えるということのなかに、

まず言語以前に、

動物と乗り物と台所用品を分類する「カテゴリー」のイメージスキーマと、

物が器から出る、入るといった「ベクトル」のイメージスキーマ、
すなわち「イメージ思考」が形成されていること。

この成果をともなって母親の発語を記憶できる「共同指示」が成立するという意味が込められています。

* さらに、ではイメージスキーマ=イメージ思考はいかに生まれるかというと、

「八ヶ月ぐらいまでに乳児の記憶力は相当に発達し、
さまざまなことを二十四時間程度覚えていられること。

その上に、もっと長期的な記憶も八ヶ月頃には成り立っており、
きわめて多くのことを長期的な記憶の中にたくわえ始める。

いいかえれば、頭の中で表象して考えるということが可能になり始める」という時期から、

上と下、力、部分と全体、包み込みなど、初期的な空間概念としてのイメージスキーマが成立していく。

「このようにイメージスキーマは、空間的な関係と、空間の中の動きのダイナミックな表象と定義できる。

それらは知覚そのものではなく、知覚された情報をさらに抽象化し、(かつ)単純化させたものである。」

というような飛躍的な認識のレベルに到達するのが、

乳児がわずか八ヶ月から一歳半の期間であることにおどろかされます。

* こうして前言語的な概念体系がたくさん蓄えられていき、

やがて「言語が獲得されるにつれ、組み込まれた概念体系、カテゴリー体系へと移っていく」が、

「根底的なレベルにおいては、大人になっても(乳児の)イメージスキーマを持ちつづけており、

とくに比喩的に考える際には、そこに立ち戻る」(レイコフ)という。

* ときにみなさんが普段使う言葉は、「記号」としての言葉と「概念」と「意味」の三つで成り立っています。

そしてまた「記号性の言葉」と「概念」とを分けるのは「意味(メタファ-)」にリンケージしているかどうかです。

レイコフはさきほど重要なことを述べています。

また無藤氏も「乳児が満一歳までに母親の表情をその対象物と結びつけることが可能になる」と紹介しています。

このことは乳児の「気持ちの世界」が母親の表情に同調し、行動することを意味します。

乳児の基本感情は「喜び」「悲しみ」「恐れ」「嫌悪」「怒り」であるとき、

乳児にとって「母親の表情」は五つの基本的なメタファーとなるということです。

そこでレイコフが言うように、
「大人になっても乳児のときのイメージスキーマに戻り、メタファーを考える」ものだとすれば、

いよいよ乳児期の母子関係が重要性を持っていることになる。

したがって共同支持において「母親の喜びの表情」だけが、

「共同世界の対象の内容」を構成するメタファーとなり得る、未来性をもつことは明らかでしょう。

原則としていうならば、もし母親の表情が

この共同指示から遠ざかったままの、乳児にとって「負の認知のメタファー」であるとき、

レイコフの指摘にそえば、大人になってもついに「恣意的な解釈」から逃れられないことになる。

それゆえにたとえば、「トイレ掃除をする」という本当は現実の対象の概念であるのに、

ただ“記号としての言葉”でしかないという人の場合、

「幸運が舞い込む」「仕事ができる」という“病理の、解離した言葉”を疑いも無く認知することになります。

本当は、
「トイレの汚れを取りのぞいてきれいにする」という意味で、これを逸脱、飛躍といった解離に向かうと離人症に到り、

ここからは「自分にとって、即、快感が得られること」に関わるしか「安心」がもてなくなる。

そう、右脳系の扁桃核が記憶した「ハンカチしゃぶり」のようなの快のイメージが浮かべられ、

同時にブローカー言語野に「トイレ掃除」の対象が、

暗示された「幸運」や「仕事がうまくいく」という快のイメージとしてクローズアップされて、

「自我」喪失をきたし、そうした「依存」(甘え)のドーパミン(快感ホルモン)のみを求める生き方を

どこまでも重ねることになるわけですね。

(この編はここまでです。お読みいただいて感謝いたします。
追伸。・・面倒ですがプリントアウトして、声を出してくり返し読まれることが
左脳を活性し、右脳に正しくイメージ化できるようになります。)

・・・・・・・・・・・・・・
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