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ルードヴィヒ・ルネサンス42 ~2018年1月5日号~

2018-01-05 00:00:00 | 音楽
《伊藤毅生誕100年に向けて》2

 2018年、あけましておめでとうございます。

 毎年行ってきたクリスマスコンサートは17回を数え、新春サロンは12回目となりました。前回、ショパン最後のマズルカを聞いてくれたバレリーナの渡邉茉里奈さんとのコラボレーション、「レ・シルフィード」が今回実現します。

 伊藤毅生誕100年記念コンサートでは時代を超えた父とのコラボレーションとして、伊藤毅のピアノ作品を演奏します。
(5月3日pm2:00トッパンホール)

 生前、父が家にいる時はいつも、あらゆるクラシック音楽が鳴り響いていました。特にベートーヴェンが好きで、ケンプの弾くピアノソナタ全32曲を隅々まで聴きこんでいたようです。それをシャワーのように浴びて育った私は、何にそこまでひきこまれるのか不思議に思っていました。それを探求するために全32曲を弾くという機会を得て、勉強することができました。以前CD制作の為に弾いたことがある父の「ピアノソナタ3番」を今の私なりの演奏でもう一度聴いていただきたいと思っています。

 記念コンサート実行委員会メンバーの吉野武彦さんは2012年EWE早稲田電気工学会第52代会長を務められた方です。1987年・第26代は伊藤毅。さらに1944年・第5代は黒川兼三郎。こんなところに母方の祖父の生きた痕跡を見つけることができました。黒川兼三郎(早大教授)の次女でピアノと油絵をしていた芳子は1948年に黒川の弟子の伊藤毅と結婚。戦時中から戦後のことはあまり語ってもらえなかったのですが、1949年に芳子が描いた新婚の二人の肖像画からは、その後の日本の躍進を予感させる勢いを感じます。身近なところから歴史を辿っていくことで実感としての「認識」を持てるものです。

 私たちの命の不思議な現象は、「5億年のファンタジー」としてジャズの山下洋輔さんとのコラボレーションを続けています。40億年の地球の歴史にまでロマンが広がっていきます。
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ルードヴィヒ・ルネサンス41 ~2017年10月5日号~

2017-10-05 00:00:00 | 音楽
《伊藤毅生誕100年に向けて》

 秋の日の午後、ここは早稲田大学西早稲田キャンパスのとある会議室です。伊藤毅生誕100年のコンサートに合わせてウェブサイトを作る為、及川靖広教授ほか、稲音会の面々が集いました。

 ブラインドを閉じてプロジェクターでPC画面を見ながら、編集長の三瓶さんによってトップページからの編纂作業が進みます。そこへジャズピアニストの山下洋輔さんが到着。実は父・毅と洋輔さんはいとこ同士なのです。1918年と1942年生まれで本人同士の交流はそれほどありませんでしたが、音大生だった私は開業医の叔父・宏の家で洋輔さんとお会いして以来のお付き合いです。

 私は洋輔さんに「順にご紹介します。音響研究室の長老で稲音会の創始者、服部さん。フロッピーディスクの装置などの発明家、編集長の三瓶さん。実行委員長の山崎芳男名誉教授は災害時のJアラートの音源を作ったことで最近話題の人です。ビートルズで有名なロンドンのアビーロードスタジオを音響設計した豊島さん。音楽大好きな実業家の吉村さんの家族は全員音楽家。音研の生き字引、神崎さん。童謡作家の竹内さん。本格的な合唱団でご活躍の吉野さんはNHK技術研究所の所長を務めた方。」と紹介しました。

 一方、洋輔さんは、1990年「ドバラダ門」では父方山下家の、2014年「ドファララ門」では母方小山家のストーリーを出版。「伊藤毅の功績として、1964年東京オリンピックの開・閉会式が行われた国立競技場の音響をまとめたことは特筆すべき」等の洋輔さんの提案もあり、「伊藤毅の歩んだ20世紀の物語」というコンサートの主題が明確になってきました。

 後日届いた資料によると2012年EWE早稲田電気工学会第52代会長は先ほどの吉野さんです。あっ、面白い!下へスクロールすると1987年・第26代伊藤毅。さらにいくと1944年・第5代黒川兼三郎…これは私の母方の祖父なのです。

 なんということ! 続きは次号で。
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ルードヴィヒ・ルネサンス40 ~2017年7月5日号~

2017-07-05 00:00:00 | 音楽
《基本に帰る》

 「自分の頭でよぉく考えてごらん…」

 こう、言い放つのが常だった父。私は「なぜ?どうして?」と思い、答えがほしくて聞いたのですが、そう簡単に答えを与えてはくれませんでした。それならと押し黙って、頭の芯の方で答えを探し始める私でした。長い年月ののち、5ステップの枠組みを思いついたのも、父への解答だと思うと感慨深いものがあります。

 「文章にして書いてごらん…」

 私が悩んでいる時にはそんなことを言われた覚えもあります。今もこうして文章を書きながら考えを前へ進めようとするのも、他界してはいるものの、未だに交流が終わらない父に解答を提出したいという思いがあるからに違いないと思います。

 そういえば、もっと小さい時には、「じぃっと見てごらん」とか、「黙って耳を澄ましてごらん」と言われて、感覚を研ぎ澄ます瞬間を共有していたのを思い出します。家族団らんの食卓でおいしいものを一緒にいただくのも味覚の共有の時間です。家庭で、こうして私たちは育てられてきたのだから、これからの世代の方々にも、家庭でできることを放棄しないで、新しく生まれる小さな命を育てていってほしいと思います。

 「音楽は踊りだよ」

 父は楽しいことが大好きで、若い頃はベートーヴェン、そして、ブラームス、マーラー、ブルックナー、晩年はオルフのカルミナ・ブラーナのスコアを見て研究していました。その父が書き残したピアノ作品は私にとって大切な遺品です。それを、来年の5月3日、東京・小石川のトッパンホールで演奏することになりました。伊藤毅の100歳の誕生日にやっと演奏によって父への解答を提出できると思っています。

 父を懐かしむ皆様のご協力をいただいて、ぜひコンサートを成功させたいと思っています。皆様のコメントなどもいただけましたら、うれしい限りです。よろしくお願い致します。
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ルードヴィヒ・ルネサンス39 ~2017年4月5日号~

2017-04-05 00:00:00 | 音楽
《花まつり》

 春が好きだという人は多いと思います。

 日本中に桜が咲き、開花予想と天気予報を見比べてお花見をする方も多いでしょう。じわじわと森林が砂漠化し、珊瑚礁が白化していると聞いても、目の前のちょっとした幸せを見つけて気を紛らしてしまうのが私たちです。

 新春サロン(1月9日広尾シェモルチェ)ではショパンが最後に書いた「マズルカ」を演奏し、続けてバッハのパルティータⅣの序曲を弾きました。そこには「滅びと再生の喜び」という物語が感じられ、感慨深いものとなりました。

 1918年5月3日に生まれた父、伊藤毅がピアノ作品を書き残しています。演奏に際して楽譜を読み解いていく中から、父の人生が浮き彫りになってきます。1945年5月25日の山の手大空襲で住んでいた渋谷区若木町(広尾3丁目付近)の家は燃え盛る火の勢いを防ぎきれずに焼けてしまい、どんなにか無念であったかと聞かされたものです。そして、8月15日の敗戦の日を迎えるわけですが、焼け野原を自転車で早稲田大学に通った父の「滅び」の体験がそこにあります。

 その後、家を再建し、新しい家庭を築きました。日本の復興の最前線に卒業生を送り出す大学の教授として「再生」の旗振り役の一人だったのではないかと、今になって思います。70歳になった父は役目を果たし退任するのですが、その記念に、なんと、自身のピアノ作品のCDを制作することになりました。急なことで、私はやっとの思いで「ピアノソナタ第3番」を弾いた憶えがあります。

 21世紀の日を迎えることなく父は静かに人生を終えましたが、2018年5月3日に伊藤毅の作品を含め、東京でコンサートを行う準備を進めています。作品に内包された20世紀の物語を、より確かなものにしたいと思っています。

 コンサートの全容が整い次第ご報告させていただきます。皆様の叱咤激励に育てられ、応援に支えられての今日に感謝しています。
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ルードヴィヒ・ルネサンス38 ~2017年1月5日号~

2017-01-05 00:00:00 | 音楽
《成人の日》

 あけましておめでとうございます。

 パリのヴァンドーム広場といえば、世界中の一流宝石店が軒を並べる場所ですが、ピアノの詩人ショパンが最期の日々を過ごした家がありました。「4つのマズルカOp.68」の終曲はそこで書き残された作品です。第一曲目は祖国ポーランドからパリで華やかなサロンに登場した当時を思い起こさせます。走馬灯のように駆け巡る回想の曲のようにも思えます。

 一方、ベートーヴェンは、故郷のボンで二十歳のころ、シラーの「歓喜の歌」に触れました。

Such' ihn über'm Sternenzelt!
Über Sternen muß er wohnen.
星空の上に神を求めよ
星の彼方に必ず神は住みたもう


 22歳で勉強の為にやってきたウィーンでは、たちまち人気者になりピアニストとして活躍しました。ピアノソナタや協奏曲を自作自演しながら研鑽を積み、その技法を駆使して交響曲を9つ遺しました。「第九・喜びの歌」はその集大成です。

 「ベートーヴェンが好きですねぇ」と半ば呆れながら諸井三郎先生がおっしゃったと、父伊藤毅は私によく話してくれました。若い頃の父はどんな暮らしをし、戦争前の渋谷の家はどんな様子であったのだろうと想像します。私が大きくなると、焼失した小品やソナタなど思い出しながら書き上げては見せてくれました。来年、2018年5月3日は父の100回目の誕生日。これらの曲で飾ろうとこれから計画いたします。ご期待ください。

 「新春サロン」は毎年成人の日に行ってきましたが、成人した若い人にエールを送ると同時に、私たち自身の「二十歳」を振り返る機会でもあるのですね。私は桐朋学園大学でクラシック漬けの毎日でしたが、ある日、親戚の山下洋輔がジャズのメッカ新宿ピットインで演奏するので覗きに行った、なつかしい思い出があります。皆様にはどんな「二十歳」の思い出がありますか。
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