「五島は大陸への波頭であったばかりではなく、広く海の彼方の文化の入って来る受け入れ口でもあった。永禄九年(1566)には、この島にはキリスト教が伝わっている。五島領主の使者が、大村領の横瀬浦にいた神父コスモ・デ・トルレスのところへ医師を求めてきたので、デイエゴというキリシタンを五島に行かせた。それから五島へキリスト教が広がってゆく。しかしのちに、キリシタンは全国的に禁圧されることとなり、五島でも領主が厳禁して多くの犠牲者を出したが、民間ではひそかに、これを信ずる者がいた。その後、寛政九年(1795)に、大村藩の西彼杵半島から農民を招いて島の未墾地を開墾させ、漁業ばかりでなく、農業を盛んにしようと計画したとき、渡島してきた者のほとんどは、ひそかにキリスト教を信じているいわゆる隠れキリシタンであった。この人たちはまたたく間に全島に広がり、畑を開き、麦、甘藷を作り、また漁撈にもしたがった」以上は、宮本常一先生著「旅の手帖愛しき島々」によります。
隠れキリシタンについては、島原の乱崩れによるものとばかり思っていました。今日までの歴史的事績は人の多く知るところであり、現在は観光の一助ともなっています。明治政府にも大きな弾圧と迫害を受けましたが、信仰を捨てる者は殆どいなかったそうです。