今回のブログはゴルフには一切関係ありません。
ゴルフネタを期待してお越しいただいた方々にはすみませんがスルーをお願いします。
夏空に似合う入道雲。
そんな入道雲を見ると母を思い出す。
母が亡くなって4度目の夏。
肺に癌が見つかりわずか3ヶ月でのこと。
父は小生が小さい頃に亡くなっており、母は女手ひとつで兄と小生を育ててくれました。
以後は母の通夜の夜、叔母が話してくれた話。
小生の父が亡くなったのは小生が2歳になる前、兄が5歳の時でした。
葬儀も終わり、母方の親族が集まり今後について親族会議か行われたそうです。
幼い二人の子供を抱えてどうするかの話し合い。
親族会議と言っても母の父母も既に亡くなっており集まったのは4人の兄弟だけ。
実家は既に長男夫婦へと代がわりしており帰ることも出来ず。
どうしたものか・・
そんな時、子供のいなかった三男の兄が小生を養子に引き取ると申し出てくれたそうです。
母にとっても子供がひとりなら生活も楽に。
三男の兄も血の繋がった息子が出来る。
小生にとっても父親が出来る。
他の兄弟達も最善の案と賛成。
しかし母は頑なに反対。
三男の申し出を固辞し自分で二人の子供を育てる事を選択。
結局、同居していた義母と一緒に小生ら二人の子供を育てることになりました。
ここから母の苦労は始まりました。
母は昼夜問わず一生懸命働いて小生と兄の二人を育ててくれました。
昼は事務の仕事を。
夜には内職を。
日曜日には病院の受付を。
と小生が憶えている母は常に働いていました。
そして
小生も大学まで行かせてもらいなんとか成人に。
そんな小生が成人してからのある日、母は叔母にこんな事を話したそうです。
あの時、養子に出さなくてよかった。
自分で育てて本当によかった。
あの子がいたから頑張れたわ。
母は感慨深かそうにそう言ったそうです。
それを叔母から聞いて小生は涙。
母は自分の事はさておいて例えようのない愛情で小生を育ててくれた事を改めて知ることが出来ました。
母は厳しい人でした。
それは母親の愛情だけでなく、父親としての愛情を小生らに注いでくれたのです。
それがお通夜の夜のお話し。
次の日の告別式も参列していただいた方々への挨拶や親戚への接客と忙しい時間は続き、式が終われば火葬場へ。火葬場でも親戚への対応で忙しく母をゆっくり想う時間もなく。
それでも火葬場から帰るバスの乗る頃には幾分は落ち着いた時間を取り戻す事も出来。
帰路の途中。
ふとバスの窓から外を見ると青い夏空の遠くに大きく迫り出した入道雲。
そんな入道雲を見ながら昨日、叔母から聞いた話を思い出す。
頬からは再び自然と涙が。
そして母を想いながら入道雲を見ているとなぜだかそこに母がいるような気がして。
入道雲の白く輝くてっぺんに母が立っているようで自然と母を捜していた。
その癖は今もなおらず、夏の季節、入道雲を見るとついつい雲の上に母をさがしてしまうのです。
今夏もまだゴルフの予定はあります。
ゴルフ場でも入道雲を見つけるときっと母をさがしてしまうのでしょう。
明日は母の命日。
お盆の前にはお墓まいりには行きましたがまた明日にでもお墓まいりに、母に会いに行こうと思います。
ゴルフネタを期待してお越しいただいた方々にはすみませんがスルーをお願いします。
夏空に似合う入道雲。
そんな入道雲を見ると母を思い出す。
母が亡くなって4度目の夏。
肺に癌が見つかりわずか3ヶ月でのこと。
父は小生が小さい頃に亡くなっており、母は女手ひとつで兄と小生を育ててくれました。
以後は母の通夜の夜、叔母が話してくれた話。
小生の父が亡くなったのは小生が2歳になる前、兄が5歳の時でした。
葬儀も終わり、母方の親族が集まり今後について親族会議か行われたそうです。
幼い二人の子供を抱えてどうするかの話し合い。
親族会議と言っても母の父母も既に亡くなっており集まったのは4人の兄弟だけ。
実家は既に長男夫婦へと代がわりしており帰ることも出来ず。
どうしたものか・・
そんな時、子供のいなかった三男の兄が小生を養子に引き取ると申し出てくれたそうです。
母にとっても子供がひとりなら生活も楽に。
三男の兄も血の繋がった息子が出来る。
小生にとっても父親が出来る。
他の兄弟達も最善の案と賛成。
しかし母は頑なに反対。
三男の申し出を固辞し自分で二人の子供を育てる事を選択。
結局、同居していた義母と一緒に小生ら二人の子供を育てることになりました。
ここから母の苦労は始まりました。
母は昼夜問わず一生懸命働いて小生と兄の二人を育ててくれました。
昼は事務の仕事を。
夜には内職を。
日曜日には病院の受付を。
と小生が憶えている母は常に働いていました。
そして
小生も大学まで行かせてもらいなんとか成人に。
そんな小生が成人してからのある日、母は叔母にこんな事を話したそうです。
あの時、養子に出さなくてよかった。
自分で育てて本当によかった。
あの子がいたから頑張れたわ。
母は感慨深かそうにそう言ったそうです。
それを叔母から聞いて小生は涙。
母は自分の事はさておいて例えようのない愛情で小生を育ててくれた事を改めて知ることが出来ました。
母は厳しい人でした。
それは母親の愛情だけでなく、父親としての愛情を小生らに注いでくれたのです。
それがお通夜の夜のお話し。
次の日の告別式も参列していただいた方々への挨拶や親戚への接客と忙しい時間は続き、式が終われば火葬場へ。火葬場でも親戚への対応で忙しく母をゆっくり想う時間もなく。
それでも火葬場から帰るバスの乗る頃には幾分は落ち着いた時間を取り戻す事も出来。
帰路の途中。
ふとバスの窓から外を見ると青い夏空の遠くに大きく迫り出した入道雲。
そんな入道雲を見ながら昨日、叔母から聞いた話を思い出す。
頬からは再び自然と涙が。
そして母を想いながら入道雲を見ているとなぜだかそこに母がいるような気がして。
入道雲の白く輝くてっぺんに母が立っているようで自然と母を捜していた。
その癖は今もなおらず、夏の季節、入道雲を見るとついつい雲の上に母をさがしてしまうのです。
今夏もまだゴルフの予定はあります。
ゴルフ場でも入道雲を見つけるときっと母をさがしてしまうのでしょう。
明日は母の命日。
お盆の前にはお墓まいりには行きましたがまた明日にでもお墓まいりに、母に会いに行こうと思います。