その夜、来栖は早めに帰宅すると、母は不在だった。卓袱台の上には「会合」に行く旨を書いた母の置き手紙と来栖の夕食が置かれていた。来栖は着替えると、テレビのスイッチを入れた。
夜七時のニュースはトップで欧開明のニュースを伝えた。
「黄道の会の大導師欧開明こと李光逸容疑者が今、正式に釈放されて、T拘置所を出るところです……」テレビの実況はそう伝え、大勢の報道陣にもみくちゃにされながら、グレーのワゴン車に乗り込もうとする長身の欧開明の姿があった。その傍らには来栖には見慣れた顔が垣間見えたーー八雲だった。
続いて、テレビの画面にはスタジオにいる元検事の大月鉱造、社会学者で新興宗教に詳しい楠木道夫、それに黄道の会を追跡取材しているフリージャーナリストの東堂英子が映し出され、それぞれの識見を述べ始めた。
元検事の大月は今回検察がいくつかの事件に類する違法行為を公訴できなかったのは、黄道の会の恐らく周到な証拠隠滅と弁護団の緻密な論法によるものだが、検察庁は公訴をあきらめたわけではなく、今後も捜査を継続すること、また、一部のマスコミで報道されたような某政治家からの圧力による釈放を、三権分立の観点から強く否定した。
また、社会学者の楠木は黄道の会は今回検察で捜査取り調べを受けた違法行為は氷山の一角で、残念ながら合法的で立件できない多くの資産家の黄道の会への財産の多額の寄進の問題、その他黄道の会の会員の子供たちへの幼少期からの黄道の会による洗脳教育も問題とすべきだと述べた。
一方、ジャーナリストの東堂は、悩みを抱え、大学や専門学校に行かなくなった学生たちが続々と黄道の会に入会して、両親や家族の呼びかけにも反応せず、欧開明の説く「源体宇宙論」に心酔し、黄道の会の大部分を占める在家信者でもなく、修行のため社会から離脱する出家信者になっていく現状を伝えた。
来栖は日本の社会全体が黄道の会を否定的な反社会的な「悪」と見なしていることに激しい憤りを感じ、テレビのスイッチを切ると、夕食を取ろうとしたが、外が急に騒々しくなったので、たいへん驚いた。
外の階段を駆け上がる複数の足音が聞こえ、来栖の部屋のドアを叩く音と八雲の声がこだました。
「来栖先生!」
来栖は立ち上がって、間口の狭いドアを開けると、カミナリに打たれたかのように、その場に棒立ちした。
八雲の立つ背後には後光が差したように見える長身の欧開明その人の姿があった。その後ろには、来栖の母がいた。
「欧開明先生……」来栖はつぶやき、欧開明の前に進み出た。それは、まるで催眠術にかかったようだった……
欧開明は来栖の眼を見つめながら、彼の手を取るとしっかりと握りしめ、こう言った。
「来栖信一さん、あなたには黄道の会とP社が始めるプロジェクトの中でもたいへん重要な、初等教育センターの責任者をお願いします。引き受けてくれますね?」
来栖は自分の意志を表明することもできず、膠着したかのように固まってしまっていたが、突然、無意識に脳天から発したようなハイトーンの声で「はい」と答えていた。
欧開明はうなずくと、八雲から手渡されたものを来栖の手にしっかり握らせると、踵を返して、ゆっくりと階段を下りていった。八雲やボディガードの面々が後に続いた。
「信一!」母が来栖に駆け寄った。
来栖は欧開明から手渡された物をよく見た。
それは水晶の玉のようなものだった。中を眼を凝らして見ると、驚いたことに欧州系、アフリカ系、アジア系等々の世界各地のさまざまな顔かたちの児童たちに囲まれ、天の一点を指差している来栖本人の姿があった。そして、下の方に200X年11月30日と言うその年199X年から数年後の日付があった。
来栖はこの玉は未来の自分の姿を映し出していて、自分がこのようになるのはもうすでに決まっていることだと、いつの間にか強い確信を感じる自分に気がついた。





