ギャラリー酔いどれ

売れない絵描きの世迷い言&作品紹介

なごり雪Ⅲ

2015-03-14 10:49:39 | Weblog
 画は 歌川 芳員 (よしかず) 生没年不詳

 作画期: 嘉永前期 ~ 明治3年頃
 画系 : 歌川國芳 門下
 画号 : 一壽齋 一川 一川斎など       作


  「誠忠義士討入姓名」です。


☆晴れ、屋根から落雪頻り。

まずは、見えぬ展望、

宮城県知事は松下政経塾出身=資本の走狗、

◆http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/hultukougahabamuseikatusaiken.html
長周新聞  2015年3月9日付


    「復興」政策が阻む生活再建

          宮城県石巻

       中小水産業は深刻な経営難


4年前の震災でもっとも被害の大きかった宮城県では、
沿岸部全域が津波にのまれ大勢の人命が失われた。

気仙沼、女川、石巻、塩釜など国内の水産業の主力となってきた地域で
市場や加工工場、それにつらなる各種産業で甚大な被害が出た。

水産業の復興は宮城県全体の復興にとって第一課題となってきたが、
四年たっても現地では復興が遅遅として進んでいない。

被災者の必要性とは裏腹な復興計画が国や行政が主導する形で押しつけられており、
そこに住む住民のため、被災者が立ち上がっていくための施策になっていない

ことが大矛盾となっている。
 

沿岸部はいまだ仮設暮らし

石巻市の水産加工団地は壊滅的な被害をこうむった。
津波で魚市場も水産加工会社や冷蔵・冷凍施設、水産加工に付随した関連会社も
大きな被害を受けた。

更地となり、地盤沈下した漁港は四年を経て様変わりし、
企業団地にも巨大な会社や工場、冷蔵・冷凍設備が立ち並んでいる。

なにもかも失ったところから経営者が再建を決意し、
家族や従業員などみなが必死で建て直してきた苦労があちこちで語られていた。

多くの企業が再建のためにグループ補助金などの制度を利用し、
中小企業で4分の3、大企業で2分の1という補助割合で会社を建て直した


しかし、制度開始当初からこの制度では小さな会社ほど
申請段階でふるい落とされると指摘されてきた。
約200社のうち4分の1がすでに廃業しており、
そのほとんどが小さな企業だという。

さらに大きな問題になっているのは、再建したとはいえ
どの企業も厳しい経営状況に置かれていることだった。

いざ始めてみたものの、利益もなく、ただただ操業しているだけと語られている。
数年先には倒産が何社も出るのではないかという危惧が語られていた。

震災前にあった水産加工団地の207の企業や工場の再開状況(軒数)を見ると、
平成25年1月に48・3%、平成26年1月は54・1%、
そして26年12月末現在で56・5%(石巻市の統計)と、
半分程度で伸び悩み、今後増える見込みはない。
すべての企業が等しく復興できたわけではなかったことを示している。

一方で、石巻魚市場の水揚げ状況は漁獲量・漁獲高ともに年年回復している。
しかし、「水揚げが戻らない」「資源が足りない」といわれている。

再建した会社が震災前の2倍、3倍もの設備をつくったことが原因で、
企業数は減ったがその器は大きくなり、資源の奪いあいになっている


女川や気仙沼、志津川などの市場と競争になるため浜値は上がり、
それを仕入れる加工会社や卸会社にとっては厳しい状態だ。
加えて、労働力が足りないのも深刻な問題で、
巨大な設備の維持費だけが重くのしかかっている。

また、再建期間に取引先を失っている企業も多くあり
販路拡大の問題もみなが頭を悩ませている。
「負のスパイラルだ」と経営者の一人は語っていた。

経営が厳しいなかで、新設した設備をフル稼働させることもできないが、
設備を見直し縮小しようと思っても、
補助金を使っているために簡単には路線変更できない。

にっちもさっちもいかず、かといって経営が行き詰まれば
補助金は全額返済しなければならない。返済の余力がある企業などなく、
そうなれば国に土地も設備もとりあげられる。

そのような破綻会社を狙って二束三文で買い叩こうとする大手企業がいる
こともとりざたされ、数年先の石巻の姿をみなが危惧している。

水産加工は石巻の主力産業であるが、長期にわたる人手不足が大きな問題になっている。
石巻市の人口そのものが震災前に比べて1万3000人ほど減ったことも影響している


石巻職安によると震災直前の平成23年2月には0・72倍だった新規求人倍率が
平成26年11月現在で2・84倍まで上昇している。
「20人募集を出しても三3人しか来ない」と語られており、
震災前に内陸部に進出してきたトヨタなどに被災者が引っ張られていったこと、
仙台に出て行った人も相当数にのぼることが指摘されていた。

石巻の浸水地域を住宅メーカーが買いあさったため地価が高騰し、
仙台に建てても石巻に建ててもさほど差がなくなって
仙台への流出が進んだと語られていた。

また、土建業がたけなわで、あちこちで道路工事や岸壁工事、宅地造成やかさ上げ、
家屋や会社の建築などに人手が引っ張りだこで、賃金の低い水産加工には回ってこない。


輸出志向は力にならぬ

販路はどうして失われたのか。
震災後の1年のブランクのあいだに、取引先には別の会社の製品が入り込み、
奪われる形になった。それを少しずつとり戻し、
同時に新規の開拓をしていかなければ生き残れない。
大小を問わずどの企業でもその苦労が語られていた。

そのなかで販路を海外に向ける動きがあらわれている。
石巻では今年の夏に完成する高度衛生管理対応型新市場の建設とあわせ、
JETRO(日本貿易振興機構)や商社もかかわって「輸出」に力が入れられている。

ベトナムや香港、台湾などアジアを新たな消費地としていくというものだ。
販路を失った業者が活路を求めて懸命なPR活動をしている。
しかし、輸出が今後の発展の力になっていくのかというと、
大量かつ安定的に安価なものを提供する供給地にされるだけで、
大阪や東京など大都市や国内に売り込んでいくことが一番現実的なんです」
という会社もあった。

企業みなが海外と直接取引できるわけもなく、結局そのあいだには商社が介入する。
国内の販路開拓も、スーパーを抱える商社があいだに入り込む。
国内にしろ、国外にしろ、商社がしっかりもうけていくしくみができあがっている


放射能が最大の足かせ

水産業の復興にとって最大の足かせとなっているのが福島第一原発事故の放射能汚染だ。
ある企業は、震災後の早い段階で再建を決め、壊滅した社屋の立て直しにかかった。
補助金制度が出る前から自己資金と借り入れによって発注し、設備を復旧させた。

しかしその復興に立ちはだかったのが放射能検出だった。
津波だけならまだ復興は早かったが、これで離れた取引先もいる。
数値を計り、商品の安全性を確認してもらい、一社一社信頼関係をつくり上げてきた。
「こんな苦労は今まではなかった」と振り返っていた。

しかし最近明らかになった福島原発の汚染水漏れと、
それを一年も公表していなかった
ことに悔しさをにじませていた。

「これは絶対に長引く問題になる。10年後、15年後に全国で起きてくることが
今ここで起きているんだ」と語っていた。

市場では水揚げされたものについてはベクレル検査がおこなわれている。
ここ最近では検出されていないが、いまだに「出た」「出なかった」ということに関係なく
東北産が敬遠されているのも事実だ。

典型的なのが韓国に輸出されていたホヤで、
北海道から三陸沖にかけての水産物の輸入禁止措置はいまだに解除されない。
ホヤは全国の生産のうち4分の3が宮城県(石巻・女川)で生産され、
多くが韓国へ輸出されていた。韓国ではキムチの材料として喜ばれていた。
しかしいまだに出荷できない。

製品が安く買われた場合には東京電力から差額分が補償として支払われる。
しかし問題はそういったことではない。
「公表されていなかったことに本当に頭にきた。いくら浜が復興にむけて努力しても、
この問題はどうにもできない。買う側が“どうせ補償されるんでしょ”と
買い叩いていくのが悔しい」と生産者は怒りを口にしていた。


復興置き去りの沿岸部

宮城県の半島部を走ると、
沿岸部に点在する浜の復興はまったくといっていいほど進んでいない。

町を丸ごと波にさらわれ、その瓦礫が片付けられただけで人の姿もみえず、
道路をダンプが行き交うだけで静けさに包まれていた。
家の基礎だけが残され、そこに草が生い茂り、一面にシカの糞が落ちている。

浜に住んでいた人人の生活は置き去りになっていた
自宅を失った人人はいまだに仮設住宅に住み、そこから浜に通っている。
元住んでいた場所は建築規制で戻れず、高台への集団移転もうち出されているが、
土地造成が終わっていないどころか、4年もたって木を切る段階。

災害復興住宅も大幅に遅れ、「住」環境が整わないことで
余計にでも都市部への人口流出が進んでいる


牡鹿半島にあった病院や診療所もすでに石巻市内で開業しており、
沿岸部に住んでいる人人の住環境は変わってしまった。

牡鹿半島の荻浜(おぎのはま)は、
牡鹿のなかでも活気がある浜の一つとして知られている。
若手の漁業者もおり、カキ養殖やコウナゴ漁、アナゴ漁で生計を立ててきた。

しかし津波で漁具も船も家も失った。
低地に密集していた民家はみな津波で流され、住民の多くが仮設住宅に住み続けている。
四年のあいだに現役世代は定住先と仕事を求めて浜から出て行き、
そのため子どもがいなくなり地域の小学校は休校となった。

集団移転の造成地も漁港の整備もまだまだで、
「七年ぐらいはかかるかと覚悟はしていたが、これでは10年たっても終わるのだろうか…」
と語っていた。13軒あった漁家は3軒が廃業した。

また、土地造成が終わっても家を建てるかどうかは自己責任だ。
漁業者は漁業再建のための補助制度を受けており、九分の八の補助で船や漁具をそろえた。
補助金の自己負担分と、震災前に抱えていた借金などがある人は
二重三重の借金をすることになる。

年金暮らしの高齢者も多いなか、高台に土地を造成したところで
移転に応じられるのはわずかではないかといわれていた。

同時に漁業関係者のなかでは、漁業の復興のあり方について「このままではいけない」
という危惧が渦巻いていた。
被災した漁業者は再建したほとんどが九分の八の補助をうけて船や漁具をそろえた。
その補助率は例えば4億円の船を4000万円台の自己負担で造れるようなもので、
早期復興には大きな役割を果たした。

しかしもう一面で生じている問題も指摘され、
「四年たった今だからこそいえることだが、金融面、財政面での支援は本当にありがたかった。
でもこれからはそれも必要ない」と語られていた。

短期的な補助金の優遇策がむしろ漁業者の意欲を削ぎ、
そのことが浜の復興を遅らせてしまうことが指摘され、漁業を立て直し生産意欲をもって
真に自立していけるような援助が必要なのだ
と語られていた。


商店立退かせ防災拠点

石巻市内でもっとも復興が遅れているのが雄勝地区だった。
道路建設が少しずつ進んでいるだけで壊れた漁港もそのまま。
住宅地も更地のままだった。

隣接する女川町では工事が進んでおり、雄勝とは対照的な光景が広がっている。
4000人いた雄勝の人口はすでに1000人まで減り、
建築規制で戻れぬ時間が長くなるほど人口流出を招いている。

住民はいつまでたっても仮設暮らしで、商店街も仮設のままである。

そのうえ市が一度出した復興計画を見直して道路の位置が変わり、
雄勝に戻って漁業を再開した漁師が市の承認を得て建てた小屋も、
水産物を扱う商店も、最近真新しい建物で再建したばかりの漁協支店も
立ち退き対象となっていた。

青写真通りに町をつくったとしても、肝心の住民が何人戻るかわからない。
やる気になって再建していた人人を立ち退かせるのだから、
いったい誰のための復興なのか
と思わせる。

あれほど「」と叫んでいたのに、被災者の前に立ちはだかった「復興」は、
ここぞとばかりに市街地開発すなわち不動産投機にうつつを抜かすものであったり、
ゼネコンの利権獲得競争であったり、でたらめなもの
だった


石巻市役所の横には被災した市民病院を移転させて新築工事が始まっているが、
かかわった駅周辺整備計画のなかで「防災センター」の建設が持ち上がって、
市民のなかで問題になっていた。

石巻市によると、防災センターは、平常時には防災推進課などが常駐し、
防災に関する学習拠点、意識啓発の拠点として活用し防災体制を強化していくこと、
災害時には災害対策本部を置き、自衛隊、警察、消防など関係機関との協議を
速やかにおこなう拠点施設にすることなどが目的となっている。

そしてこの建設のために、石巻の市街地で営業してきた商店や地権者に
立ち退きを迫っている。
そこ退け方式で商店や住民を蹴散らしていく復興に怒りが語られていた




芳員、二枚目、



「甲越 川中島大合戦」です。



平成になってから碌なことがない、不景気そのものです、

◆http://my.shadowcity.jp/2015/03/post-6684.html#more
ネットゲリラ  (2015年3月13日)
なお、この取材には特殊な交渉術を用い


平安時代の土器に「平成」と書いてあったというんだが、
タイムマシンとか特殊な交渉術とか言う人もいるんだが、ホントのところは、
河の洪水を鎮めるためのマジナイじゃないか? という事らしい。

というのも、この遺跡からは他にも「保平」など、
「平」の文字が書かれた土器片が見つかっているからだ。


  ☆http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150312-00000032-asahi-soci
  朝日新聞デジタル 3月12日(木)
  ◎平安の土器に平成」 おもろいもん出ましたんやわ展

  三重県埋蔵文化財センターは、松阪市和屋町の朝見遺跡で
  「平成」と書かれた平安時代中期(10世紀前半)の
  墨書土器片が出土したと発表した。
  櫛田川の氾濫(はんらん)を鎮めるための祭事に使われたと推定している。
  14日に同市で開く今年度の発掘成果報告会
  「おもろいもん出ましたんやわ@三重2014」で展示し解説する。
  センターによると、土器片は長さ約12センチ、幅約10センチ。
  「平成」の墨書は長さ約5センチ、幅約2・5センチ。
  「平成」の墨書土器出土は県内では初めて。
  全国でも極めて珍しいのではないかという。


ところでおいらの親父は、自分で漢詩も作る詩吟の先生だったんだが、
平成という年号が決まった時に、
「縁起の悪い年号だ。荒れるぞ」と言っていた。理由は不明w 
つうか、「平らに成る」という意味なんだろうが、
時代というのは必ずしも年号の通りには行かない、という事なのかw


案の定、追い詰められたネオコンが 日本を乗っ取って大暴れしている
今日此頃なんだが、平成はまだ続きそうですねw


コメント



*ごんた | 2015年3月13日 | 返信

  >縁起の悪い年号だ。荒れるぞ

  院政期に上皇の回りに集まった源氏と平氏の武士が都で衝突し、
  保元の乱が起きた。そこで「平」に「治」まりますようにと、
  年号を平治としたら、また平治の乱が起きた。
  それ以来、南朝で一度だけ正平という元号に使われたほか、
  平という字は兵乱を起こす文字として嫌われたか、
  年号には一度も使われてこなかった。

  何を間違えたのか、27年前に平成という年号で平を入れたら、
  オウム事件、阪神淡路大震災、そしてアベ政権と災厄が続き、
  日本の終焉をもたらしつつあります。



*kan | 2015年3月13日 | 返信

  平成はバブル崩壊・ベルリンの壁崩壊から始まった荒れてる年号だね

  東北大震災・福一原発事故・リーマンショック・ドバイショックも追加でw


*弦巻町 | 2015年3月13日 | 返信

  >縁起の悪い年号

  これからが本番、戦乱の時代。
  「平成」は、「干戈(楯鉾 たてほこ)」なんだそうです。

  「平成の元号は縁起が悪いという事の根拠は、
  「平」や「成」には戦争を意味する文字「干」「戈」
  つまり楯と鉾という文字が含まれているからです。

  通常、元号など一種の縁起物に
  戦(いくさ)を連想させるような武器・防具を意味する文字は
  含めない事が望ましいと言われていて、
  「大化」以来、日本の公年号と認められる247の年号に
  「戈」を含む文字は一つも無いというのもその理由になっています。」
  ☆http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1295165932




明治簒奪政権以来、大荒れですよ。  死人の山ですから。

孝明天皇と実子・睦仁親王の祟りだと思います。




芳員、三枚目、



「源満仲 住吉参籠 蒙示現」です。




鳩はいい仕事をした、片や「田布施システム」のゾンビはw

◆http://japanese.ruvr.ru/2015_03_12/283306966/
ロシアの声 3月 12日,
日本はクリミアを支援できるはず


鳩山由紀夫元首相が率いる日本代表団のクリミア訪問が12日、
英雄都市セヴァストーポリへの訪問をもって終了する。
鳩山氏によると、訪問の目的は、
クリミアの住民がロシアへの再統合を求めたことを個人的に確認すること



11日、鳩山氏は記者会見で、2014年3月16日に実施された住民投票の結果は、
クリミアの住民の現実的な意思表明を反映したとの考えを表した。
鳩山氏は、次のように語っている。

「私たちはこちらに伺っていろいろとお話をうかがう中で、
クリミアの皆さん方が住民投票をウクライナの憲法にのっとって
平和裏に民主的に行っていたと。そしてまことに民主的な手続きのもとで、
ロシアに皆さん方の意見を統合する形で編入することにしたということでございます。
ただこの事が必ずしも日本にも正確に伝わっておりません。

それで私たちは日本の皆さん方に歴史的なクリミアの状況や、
あるいは編入して1年経ったクリミアの皆さま方の気持ちが
どのようにさらに変化をしていっているのかを伺いながら、
日本の皆さんに正確な情報をお伝えしたいと思って、こちらに参りました。」

鳩山氏によると、日本が対ロシア制裁に加わらなければ、
日本はクリミアの産業ポテンシャルの発揮に役立てたはずだという。
鳩山氏は、次のように語っている。

「制裁がなかった場合には、日本とクリミアとの間で、私はまずは、
工業、産業のいわゆる技術意見というものを力強く協力することが可能ではないか
と思います。クリミアはウクライナ(の一部だった)20年余り
必ずしも産業が伸びてこなかったと伺っています。

いま潜在的に能力を持つクリミアの皆様方がいわゆる先端の技術も含めて、
日本の技術威力というものの協力を求めていくことが、
もし制裁が解除された場合にはすぐに可能になるのではないかと思っています。」

鳩山氏は、ロシアに新たに加わったクリミア共和国と日本との間の
文化、人道交流の発展につくす覚悟を表し、
文化交流、人的交流のおかけで
政治問題解決をも含む条件を生み出すことができると信じたいと祈念している。

また鳩山氏は、クリミアの町並みの様子が、
欧米のメディアが報じている内容と一致しているか?
とのジャーナリストからの質問に対し、次のように答えた。

「クリミアに来てまだ2日目ではございますけれども、大変皆さんが幸せそうに
平和に暮らしておられるということをこの目で拝見しています。
一方的にロシアの圧力のもとで編入をさせられたということではまるでなくて、
むしろ自分たちの意思で、強い意志で結論を出されたということで、
当然、戦車などが存在しているのを見ているわけではありません。

このように西側の情報が、非常に偏向して伝えられてしまっていること、
私たちは大変恥ずかしく思っています。
むしろ事実を事実としてしっかりと受け止める勇気を私たちは持つべきではないかと思います。」

鳩山氏は続けて、ウクライナ東部の状況や、
ルガンスク人民共和国とドネツク人民共和国が世界に認められる日がくるだろうか?
という質問について、次のように語った。

「一番大事なことは、民族、その地域に住んでおられる皆さん方の意向が
最終的に認められる状況というものをつくるということを
できるだけ早く実現することが 国際的な国々のやらなければならない責務だと思っています。
ウクライナ東部で起きていることは大変な悲劇だと思っています。
私ども日本人の多くは、東ウクライナとクリミアで起きていることが
全く違っていることを理解していないと思っています

その意味でも、私たちがクリミアに来させて頂いた意義があると思っています。
大事なことは武力ではなく対話によって問題を解決するという努力を
極力積極的に両者が行うようになる(ことだ)と思っています。」

鳩山氏は、今回の訪問が日本政府の立場に反するとして批判が出ていることについて、
次のように答えた。

日本政府は基本的に欧米とくに米国の意向を気にするものですから、
クリミアの問題に関して欧米と同じ対応をするということで
現在制裁を加えている立場にあります。その立場からすると、制裁をしている状況の中で、
日本人がクリミアに行くのはけしからん、というふうに政府は思っているかもしれません。

しかし私は外交というものは幅広く考えるべきであって、
必ずしも外務省の考えだけが正しいとは思っていません。

むしろ正確にこの地域の人々の気持ちというものを理解をして、
平和裏に問題を解決していったクリミアの皆さん方が、
希望してロシアに編入された という事実を日本の皆さんにもっと知っていただく
ことこそが私たちがやるべきことではないかと思います。

その思いのもとで、必ずしも政府の立場に沿ってはおりませんが、
むしろだからこそ来る価値があると、
そんな思いのもとで、みんなやって参っております。」

日本外務省は、鳩山元首相のクリミア訪問を批判した。
菅官房長官は、「総理大臣まで経験した人の行動、発言とは思えず、極めて軽率だ」と述べた。
NHKが伝えた。

一方で、そもそも鳩山氏はすでに議員ではなく
もし日本の政治活動や決定の承認に何らかの影響を与えることができたとしても、
それは非常に限られている。

しかし! 鳩山氏のクリミア訪問の印象や、鳩山氏の発言は、いずれにせよ日本人の耳に届く。
そして、これが日本の人々が状況を別の視点から考え、見るきっかけとなるかもしれない。
まさにこれこそが、日ロ協会の指導者である鳩山氏の目的だった
のだ。



◆http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/157919
日刊ゲンダイ  2015年3月11日
安倍首相も疑惑の総合商社下村大臣と同じ構図のカネ集め


「辞めちゃダメだ」――。

先週3日夜、首相公邸で安倍首相は辞意を漏らした下村文科相を強く慰留したという。

下村大臣は無届けの後援組織「博友会」をめぐる違法献金疑惑で連日、火の車。

安倍首相の必死の慰留には「辞任ドミノ」回避のほか、
自身の疑惑を蒸し返されたくないという意図もあったのではないか


実は安倍首相も盟友の下村大臣と同様の疑惑を抱えていた。

“疑惑の総合商社”の称号は安倍首相にこそふさわしい。

「議員会館の安倍事務所を訪ね、政策秘書を通じて国交省に
“耐震偽装は国の責任だ”と認めるように電話で圧力をかけたのではないか」

06年1月17日の国会証人喚問で、民主党の馬淵澄夫氏に追及されたのは、
のちに耐震偽装事件で有罪判決を受けた小嶋進・ヒューザー社長だ。

小嶋氏は安倍事務所への陳情を認め、「政策秘書に相談した」と証言。
安倍首相側は、国交省の耐震偽装公表当日に政策秘書と小嶋氏の面会は認めたが、
国交省への働きかけは否定してみせた。

事件当時、安倍首相は小泉政権の官房長官

小泉政権は耐震偽装マンションの住民救済を名目に公的資金を投入した
小嶋氏と安倍事務所を結びつけたのは
安倍首相の姓名をもじった安晋会なる後援組織だ。
小嶋氏はその会員だったと証言したが、この口利き疑惑を当時メディアは黙殺した。

証人喚問前日、東京地検特捜部が突然ライブドアを強制捜査。
安倍首相の疑惑はホリエモンの逮捕劇にカキ消されたのだ。

「安晋会にはライブドア事件の渦中に沖縄で怪死したエイチ・アイ・エス証券の
野口英昭副社長(当時)も理事として名を連ねていました。
07年に耐震偽装が発覚したアパグループの元谷外志雄代表や、
09年に破産した折口雅博・元グッドウィル会長などもメンバーでした」
(政界関係者)

よくもまあ、いわくつきの面々が安倍首相に群がったものだが、
安倍首相本人は安晋会について「親睦団体で私の後援会ではない」とかつて国会で説明。
この文句は下村大臣の「博友会」の言い訳と符合するが、
不透明なカネの流れまで似ている


安倍首相が48歳で幹事長に抜擢された直後の03年12月、
安晋会主催の就任パーティーが東京・パレスホテルで開かれた。

「当時の報道によると、チケットには『政治資金パーティ』との記載があり、
定員800人の会場は立錐の余地もないほど。主賓の安倍さんの挨拶に続き、
20人あまりの財界人が登壇、安晋会の役員として紹介されたそうです。
会費は1人2万円、少なくとも1600万円の資金を集めたはずです」(野党関係者)

ところが、安晋会は政治団体としての届け出がなく、
パーティー収入の使途は一切、不明


判明した事実は、安晋会の代表幹事がパーティー直前に政治団体を設立。
この政治団体がパーティー後に2回に分け、計136万円を献金した旨が、
安倍首相の資金管理団体の収支報告書に記載されていたこと。

一方、政治団体側は収支報告書を一度も届けず、すでに政治団体の資格を失ったことだ。

献金を差し引いても1000万円以上のパーティー収入は余ったはずだが、
どこに消えたのかは謎のまま。

政治団体の届け出のない後援組織の集めたカネがウヤムヤになる構図は、
下村大臣の疑惑とソックリ
だ。

安倍首相は補助金交付1年以内の企業からの違法献金が見つかったほか、
政治資金でガリガリ君を買うなど、まさに疑惑の総合商社。

いや「疑惑の一大コンツェルン」と言うべきか。




☆http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-entry-669.html
世界の真実の姿を求めて!  2010-03-02
昭和を裏で動かしていたのは麻薬の帝王

岸信介を首相にしたのは麻薬の帝王

岸信介は第二次世界大戦中、中国大陸で満州帝国国務院に勤務する一方、
里見甫の経営するアヘン密売会社「昭和通商」で、
吉田茂等と共にアヘン密売に従事し、満州帝国建設資金を調達していた。

福家は戦後、里見のアヘン資金を日本の政界に持ち込むエージェントとして、
岸首相、福田赳夫首相、美濃部亮吉東京都知事の選挙資金を拠出する。

日本統治軍GHQの「防諜レポート」には、
里見と福家が密談し岸に政界工作資金を提供している点について、
「要監視、注意」と報告。

日本ではまだ無名であった岸は、重光葵外相と共に訪米しダレス国務長官と会談し、
雑誌「ニューズウィーク」の表紙を飾る。

岸はボスの里見からブッシュのボス、ロックフェラーが2大政党制度を
強く主張し米国で民主党の絶大な支援者である事を、教えられていた。

岸はロックフェラーの「お墨付き」を貰って来た。

岸は「英語語学教師」ニューズウィーク日本支局長オンプトン・パケナムを通して、
24時間、ロックフェラーとブッシュに監視される事になる。

65年、里見が亡くなると、里見の資金を岸が引き継ぐ。

その岸の人脈と金脈を引き継ぎ、首相となったのが現在の安倍総理である。


麻薬帝王 里見甫(はじめ)

日本に訪れた昭和初期の大不況で、生活に困った日本人の多くは中国大陸に渡った。
それは日本のヤクザ、暴力団も同じであった。

その中で、三井、三菱といった大財閥に資金を出資させた右翼の大物、
里見甫(はじめ)の昭和通商という企業は、目立たないが最大手の企業。

里見がそこで扱うのは麻薬、アヘンであった。


以下ご参照あれ!



追:11:45AM

面白いw

◆http://www.asyura2.com/15/cult14/msg/328.html
投稿者: 小沢内閣待望論 日時: 2015 年 3 月 13 日 4sIKljvd9SgGs
鳩山一郎の曾孫と角栄の孫と小沢の息子辺りが、
 一太郎新党を大化けさせ、昭和の妖怪系列を退治できるかもです



邦夫の息子は馬鹿でしたが
確か由紀夫の息子はロシア関係で活躍している筈です。

角栄の孫は公認会計士が有名ですが、もう曾孫も成人かもしれません。

小沢の息子も親父と不仲かどうかは別として
成蹊や関東学院より遥か上位の大学を出て社会人になっています。

以前は、ドリル小渕みたいに若いときに地盤を継がないともう今更という時代でしたが、
今はむしろ太郎のように政治家向きでない青年が活躍する時代で、彼らは今、
政治の世界が嫌で別の道を歩みましたが、その経験こそがこれからの政治家には必要で、
ブランクではなく、王道を歩んできたとも言えます。

超大物の先祖を持つ彼らは、毛嫌いしていた政界が腐り果てて、
岸派の世襲馬鹿に売国されているのを見て、
ホリエモンの冷やかし以上の深さで、政治はこうあるべきだと考えている筈です。

岸系のノータリン、吉田系のひょっとこ、港湾系の小泉と馬鹿息子
親父が殺されたのにヘラヘラしてるドリルや 辞任ドミノを目の当たりにして、
彼らは、親との確執や永田町への嫌悪感など言っている場合ではないと思い始めている筈です。

また評判倒れだった細川の子供もおじさんやおばさんになっている筈で、
第一次非自民政権の時に子供だった連中が 立候補できる世代になり、
地盤・看板・鞄よりセンスがものをいう時代で、
彼らも民間人としてどうしようもない政治を嘆く気持ちもあると同時に、
自分が出れば簡単に当選できるという事も重々分かっていると同時に、
ホリエモン以上にユニークな政治論を持っている筈で、
さんざん出馬を断ったあげく、もう周囲も諦めてる一方で、
今度は自分がやらねばという気持ちが芽生えている筈です。

わら屋になって親孝行しようとした劉備を叱咤した母がいるかどうかはまちまちだと思いますが、
桃園の誓い五秒前という感じだと思います。  


☆桃園の誓い(とうえんのちかい):
桃園結義(とうえんけつぎ)とも称され、『三国志演義』などの序盤に登場する
劉備・関羽・張飛の3人が、宴会にて義兄弟(長兄・劉備、次兄・関羽、弟・張飛)となる誓いを結び、
生死を共にする宣言を行ったという逸話のことである。