ギャラリー酔いどれ

売れない絵描きの世迷い言&作品紹介

躑躅咲きⅣ

2012-06-10 11:33:12 | Weblog
 画はピエール=オーギュスト・ルノワール

 Pierre-Augustê Renoir

 1841-1919 / フランス / 印象派      作


  「Ball-at-the-Moulin-de-la-Galette 1876」です。


☆雨模様、ヒンヤリ。

暦の上では、きょうから入梅ですね、関東も梅雨入りだとか。

さて、今日もルノワールにしました、好評のようなので。

再掲の名画ですが、仕入先がw 違いますので、色調、サイズも違います。

以前にもお断りしましたが、元サイトと同一の画像ではありません。

必ず加工しています。 錦絵なら汚れをとり、穴をふさぎ、シワを取りw

洋画も然りですが必ず経年劣化で褪色は不可避、彩度を上げるようにしています。

描き上げたときはかくやあらん? それを目指しておりますが、どこまでやれたか?


まずは、

◆http://blog.shadowcity.jp/my/2012/06/post-475.html#more
ネットゲリラ (2012年6月 9日)
嫁が貯金持ってるからナマポに成れない


物凄く簡単な話で、そもそも日本の生活保護って、マトモに働くより有利なので、
みんなが均等な扱いを受けるわけじゃなく、一部の特殊な人たちの利権になっているから。

貰う資格のある人がみんな貰っていたら、現在の何十倍の規模になってしまう。

もともと普通の日本人は、そういうカネを貰う事を潔しとしなかった。
何とか自分で頑張って食い繋ごうとするし、年金制度が普及したごく最近を除いては、
年寄りは働かなくても誰かが食わせてくれたもんだ。
年寄りなんざ、三畳一間に押入れで2坪、食費が月2万円で暮らせます。

なので政府が面倒見なきゃならない人というのはごく少数で、それも普通の日本人ではない、
ヤクザとか、日本人じゃない人とか、カルト信者とか、面倒くさい連中

入管と同じで、ハードルを高くすれば高くするほど、
悪いヤツばかりが裏をかいくぐって入って来る
でも少数だからこそ、
異常にたくさんのカネを渡す事が出来たわけです。
事情を知ってる人は、だから、知っていても黙っていた。面倒くさい相手だから、ですね。

その面倒くさい相手に、なんで今になって手を出す事になったのか、
いつから吉本芸人がヤクザと同類の行いに手を染めるようになったのか、
興味深い部分もあるんだが、まぁ、一度火が付いたら止まらないですw まぁ、
生活保護を減らすのは簡単で、炊き出しと無料宿泊所を事業の中心にして、
個々にカネを渡すのを止めればいいだけです。


☆http://www.j-cast.com/2012/06/09134861.html?p=all
J-CAST ニュース 2012/6/ 9
◎兄弟姉妹も扶養しなくてはいけないのか 生活保護めぐって不満、疑問の声


☆http://sankei.jp.msn.com/region/news/120608/hyg12060802040002-n1.htm
MSN Japan産経ニュース 2012.6.8
◎身分隠し生活保護受給、詐欺容疑で組員逮捕 兵庫

暴力団員の身分を隠して生活保護を不正受給したとして、県警暴力団対策課と東灘署は7日、
詐欺容疑韓国籍の山口組系暴力団組員、李満燦容疑者(35)=日本名・西山満、
尼崎市南武庫之荘=を逮捕した。「申請時は組員ではなかった」と容疑を否認しているという。

逮捕容疑は昨年6月、尼崎市福祉事務所に暴力団員であることを隠して生活保護を申請し、
今年3月まで10回にわたり生活保護費計約155万円をだまし取ったとしている。

同署によると、李容疑者は申請時、「病気で仕事ができない」と話していたという。
厚生労働省は平成18年、組員への保護費支給を認めないよう全国の自治体に通知している。


*48 サバトラ(愛知県). 2012/06/09(土) 11:43:59.42 ID:aWpV4GTd0
>>1
はい、完全論破
  
  韓国の生活保護 日本円に換算して3万円程度/月
  米国の生活保護 日本円に換算して2万4千円程度(300ドル)/月 + フードスタンプ

  日本の生活保護 日本円に換算して15万円程度/月 
  (医療費無料、年金保険料、水道代などなどの現物支給を含めれば月35万円程度)

  さっさと法改正しろ
  米国では10年間納税した人が生活保護対象になれます

*海DON | 2012年6月 9日 16:42 | 返信

  全部カス公務員の不作為の結果ですね
  在日チョンの特別在留許可も戦後70年近く経つのでもはや見直しの時期ですね
  もちろん帰化条件も見直し。
  差別はよくないニダなのでw 他の外国人と同様の扱いにしてやりましょう

  もちろんナマポは日本国籍を有するもの限定で

*野次馬さんは男前 | 2012年6月 9日 16:54 | 返信

  この不景気に扶養義務云々と言われると、正直自滅する家も出てくるよ。
   働けと言われても働き場を得られない人もいるのだから。
  河本梶原問題は生活保護の内容と、
  吉本ファイナンスと朝鮮筋が生活保護を悪用してるってことだったはず。

  保護の内容を改善してもっと利用しやすくすれば、
  年間1万人の経済苦・病苦の中高年の自殺者だって食い止めることできる。

  日本でひと家族がまぁまぁ良い生活を送るには、ローン地獄を覚悟しないといけないのって変。
  正直これが経済大国に住む国民の姿か(/ω\)…と思う。
  有り余る金は一体何処へ消え誰が使ってるの? 政府が丸々アメポチだから予想はつくけど。

  将来の生活設計が立たない契約社員には結婚子育てに困らないような補助しても構わないと思う。
  政府は企業の労働者に稼いでもらった金で運営してるんだもの。それくらい気を配れよ。
  貰うことばかりかんがえないでさ。民を生かさず殺さず状態での飼い殺しは農水省だけで十分ですw

  これら明らかにしたとしても、無駄使いを止めることが出来るかわからないが。



Renoir、二枚目、



「On-the-terrace」です。



「排特亜」なのですよ、ちっと長いが、

◆http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1540.html
ねずさんの ひとりごと
丹羽大使と支那の国民性について

より抜粋、


~~~~~~~~~

【支那が嫌われる七つの理由】

拓植大学日本文化研究所客員教授 黄文雄

隣国同士で非常に友好的な関係を結んでいるという国は案外と少ない。
善隣は実はむずかしいのである。

「呉越同舟」という支那故事があるが、これは、善隣を装わなくてはならない悲哀をよく表している。
「遠交近攻」とは、善隣のむずかしさから生まれた国家存亡の戦略である。

支那と韓国は嫌日感情が強い。
日本に反発し、日本ゆえにあなどろうとする感情は日常的に存在している。

逆に、日本でも、嫌中・嫌韓感情が生まれている。
いくら「友好」を強調しても、すればするだけ「善隣」のむずかしさが大きくなる。

実は支那は、日本ばかりでなく、他の近隣諸国からも嫌われている。
ベトナム人もインド人、ロシア人、チベット人も嫌中感情が強く、
支那国内の回族のようなイスラム教徒は歴史的にはげしい文化摩擦が生じていたので、
ほかの国より漢族に対する嫌悪感が強い。

隣国同士の反感は、国同士の利害に関わることばかりに原因があるわけではない。
こと支那に関するかぎり、この国の人々に共通している性格に起因することが断然多い。

およそ百年前、宣教師として支那の山東省で三十数年間伝道活動を続け、
つぶさに支那社会を見てきたA・H・スミスは不朽の名著『支那人の性格』を著した。
私は台湾に居住する支那文壇の最長老で、かつて『醜い支那人』を著して
日本人の支那人イメージをー新した柏楊氏に、スミスの分析とくらべて現在の支那人は変わったかどうか、
尋ねてみたことがある。

柏楊氏の答えはノーであった。

西欧文明の東漸による近代化の荒波をうけても、支那人の国民性はほとんど不変であった。
現在、世界の企業が支那で事業を展開し、海外経験のある支那人も多数いる。

これほど対外的に開放されたにもかかわらず、支那人の保守的傾向はますます強まっているといってよい。
支那が嫌われるのは、近隣相嫌うという隣国の原理というよりは、変わらぬ国民性から来ることが多い。
本論ではその国民性を徹底的に探ってみたい。

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自分以外は人間ではない
────────


1.自己中心

「自己中心的である」を略して「自(ジ)己(コ)中(チュー)」などと呼ぶが、
こういう人間が好かれることはまずない。
支那人はまさにジコチューが国民性といってよい。
そしてそれが国家規模に拡大され、自国中心主義になる。
「中国」という自称がその最たる証拠である。

客観的に見て、この丸い地球上に中心となる地点があるわけはない。
天下(世界)の中心を意味する「支那」は、地理上の中心点ではなく、精神的な中心である。
ごく簡単に言えば、自分が世界の中心、文化の中心であるという強い思いこみだ。

この精神的な中心意識から生まれたのが、支那文明至上主義である。
支那文化が最も優れており、周辺に伝えて文明の恩恵を与えているという
同心円的な観念が中華思想の精神構造で、それは揺るぎない優越意識でかためられている。

支那人は古来、近隣国を蔑視してきた。
この蔑視観は、文化の違う人々を人間と見なさないほどまでに強い。
その優越意識はアパルトヘイト以上である。

その証拠に華人以外はみな禽獣として、民族名称には獣へんや虫へんのついた漢字を用いて書いた。
盛唐時代の代表的な知識人である韓愈は、著書「原人」で、
夷狄のことを「半人半獣」とし、獣より進化したと評した。
作家の魯迅は「支那人は人間を人間とも思わない」と、支那人の国民性を批判している。


2.ご都合主義

ジコチューは自分の都合に従って行動する。
したがってご都合主義が普遍化されるのである。
他人の都合や思惑は二の次、三の次というより、最初から考慮されていない。

政治の流れを見ても、一九五〇年代、「向蘇一辺倒」などといわれ、
ソ連と蜜月の関係を結んでいたにもかかわらず、六〇年に入って突然「ソ連修正主義反対」、
「ソ連社会帝国主義打倒」のスローガンを掲げて豹変した。

そして六〇年代、日米安保、アメリカ帝国主義反対を唱え、旧日本社会党と共同声明まで出した支那は、
七〇年代に入るやある日突然、日米安保賛成、反ソ親米に急変した。
このとき日本の旧社会党員は肩すかしを食らい、いわゆる進歩的文化人はどれほど困惑したことだろうか。

日本にかぎらない。
文化大革命を礼賛した世界の文化人たちは、文革収拾とともに、
文化大革命そのものが「動乱の十年」となって評価が逆転して、支那人の敵として振り落とされていく。
支那人のご都合主義についていくのはたいへんなことである。

戦後、日本の世論は「支那人とは、原則を重視する民族」という神話を信じていた。
それは支那政府がいつも「平和五原則」「周恩来四原則」「日中三原則」と
原則ばかりを唱えていたので、つい幻惑されたためであろう。

実は、これは原則ではなかった。
偏執、強情、拘泥を「原則重視」に読み間違えたのである。

ジコチューの支那は、原則(建前)と本音を実にうまく使い分ける。
日本人はまったくこの点を読むことができない。
あまりに思いやりのある民族であるため、日本人は相手の意に添うことばかりを考え、
ときには迎合することさえある。

ジコチューの支那人と、相手の意に添うことの上手な日本人ならば、
これほど理想的な友好カップルはないはずだ。
だが、それはあくまで日本人がついていかれるならばの話である。

人治国家の支那では、法はあっても自分の都合で利用したり、無視したりするのが通常である。
したがって、朝令暮改、契約反故などが頻繁に起こり、
たいていの日本人は支那人の独断にふりまわされ、最後にはノイローゼになってしまう人までいる。

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悪いのはすべて他人だ
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3.独善

仏教と儒教は支那から朝鮮を経由して日本に伝えられた。
宗教が共通なのだから、精神文化も共有しているように思えるが、根本となる死生観がまったく異なっている。

日本人は「死ねば神」「死者悉皆成仏」といって、死後にまで生前の利害や怨恨を問わない心を持っている。
だが、支那人には強烈な勧善懲悪の倫理意識があり、自分の敵は死後もその墓を暴き、
屍にむち打ち、魂まで食らおうとする。
人は死しても安らかに眠ることができないのである。

しかも信仰の自由はなく、国内で邪教とされた宗教は徹底弾圧し、
日本の総理の靖国神社参拝にまで政治的に干渉してくる。

支那の内政干渉は靖国問題にとどまらない。
歴史教科書、政府高官の発言、南京事件の評価、日本の生存権問題に属する日米安保、憲法改正論議、
ダライ・ラマや李登輝前台湾総統の訪日、航空会社の空港使用、ホテルでの国旗掲揚など、
ありとあらゆることに干渉し、外交問題にしようとする。


4.責任転嫁

「悪いのは全部他人で、成果は全部自分のおかげ」
という責任転嫁と絶対無謬の独善意識が中華思想の真骨頂である。

私は台湾で生まれ育ったが、小中学校時代に、近代支那が貧困・落後したのは
列強の侵略と清朝の腐敗、軍閥内戦に原因がある、と教えられた。
中華人民共和国では、それがすっかり国民党政府の責任にされている。

また、文革が終焉すると、「動乱の十年」の責任は全部四人組のせいにされた。
毛沢東の過ちに触れられることは決してなく、
あれほどの社会的混乱の責任をすべて四人の政治指導者に押しつけたのは、
裏返せば、支那人の破廉恥な無責任意識のなせるわざである。

改革開放になると、急激な経済開放のために強盗殺人、賭博、麻薬密売、買売春、人身売買、詐欺、迷信など、
「六害」「七害」と呼ばれる凶悪犯罪が横行するようになった。
これはある意味で当然の結果である。
こうした無秩序は支那本来の姿であり、百年変わらぬ国民性の復活にすぎない。

ところが支那はそれを認めず、資本主義の精神汚染だと決めつけ、
今度は「社会主義新文明を創造せよ」と呼びかけ、党大会のたびに決議などしている。
資本主義のモデルについていくだけで手一杯だというのに、何主義だろうと新文明の創造などできようはずがない。

西欧文明が東アジアに大きな影響をおよぼしたのちの支那人の不幸、落後は
すっかり西欧のせいにされてしまったのである。
近代支那の没落はアヘン戦争以後、すべて列強の侵略の結果に帰され、
支那自身にどんな問題があっても、それに目を向けることはない。

こうした責任転嫁は、支那文明の優越性に対する固執の表れともいえる。
自己の無謬性の過信によって独善的となり、ことに日本人のような自虐的な国民に対しては、
反省や謝罪を要求することをやめようとしない。

明末、異端の儒学者といわれた李卓吾は、その著書『蔵書』の中で、支那人についてこう指摘している。
「いかに自己礼賛するかについては苦心惨憺するが、自己批判についてはまったく関心を持たない」と。

最近、支那駐在の日本人商社関係者が支那人気質について調査をし、以下のような支那人像がまとめられたという。

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絶対自分の非を認めない

それは支那人が責任感の意味を知らないというよりも、失敗を他人のせいにする習性があるからだ。
もともと、支那は熾烈な競争社会であり、責任をとる段になったら、
なるべく自分の身にふりかからないようにしなければ生き残れないからだ。

~~~~~~~


Renoir、三枚目、



「The-Seine-near-Asnires」です。



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二人で井戸をのぞくな
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5.人間不信

支那人は国家を信用していないばかりか、社会も人間も信用していない。
妻さえ住用しないのは、もともと他人だからとしても、血のつながった親子や兄弟でさえ信用できないのである。

毛沢東の極左政策の時代に、「父母よりも毛主席が親しい」と言う言葉が流行り、
当時は支那社会の砦とも言うべき家族まで階級の敵と目され、子が父を告発することさえ頻発した。

劉少奇や林彪は、政敵ではなく我が子に密告され、一人は獄死し、一人は逃亡する途中で死亡したのである。

支那のことわざに「一人で廟に入るな、二人で井戸をのぞくな」というものがある。

一人で廟に入ると、悪い坊主のカモにされ、殺されて金品を奪われてしまうかもしれない。
二人で井戸をのぞくと、相棒に突き落とされる危険があるという意味である。

この人間不信社会で生き残り、競争に勝つために兵法が発達した。
孫子は「兵は脆道なり」と言った。
つまり戦争は詐欺の道だというわけである。

支那人気質の最大の特色も「詐」にある。支那人は「詐の民」だという人もいる。
親は子に対して「人にだまされるな」と教育し、常日頃口うるさく教えている。

戦後、日本人は支那人の詐欺ぶりを目の当たりにして驚愕した。
偽残留孤児、偽難民、偽装結婚、偽造パスポート、闇銀行、偽造卒業証書、偽造プリペイドカード……。
自分の利益のためにはどんな物でも平気で偽造するし、どれをとってとも日本人の想像を絶するものばかりだ。

世界中で今大きな問題になっているのは、支那の偽ブランド品である。
知的所有権の盗用は別としても、薬、タバコ、酒、食品など、
人が健康を害したり、悪くすれば命を落としたりしてもおかまいなしに、どんどんコピーをつくってしまう。

支那政府は「打仮運動」と称して偽ブランドの追放キャンペーンを行っているが、効果はまったくない。
現在の支那は、公金横領、賄賂横行、汚職天下の国であり、偽物天国である。
今日も支那のどこかで偽プランド品が製造され、世界にばらまかれている。

嘘でぬりかためられた人間不信の社会の中で、支那人は上から下までだましあっている。
政府はマスコミを通じて民衆をだまし、民衆は面従腹背で良民を装いながら国家を食い物にする。
支那人社会で詐欺師が暗躍し、偽物が氾濫するのは当然なのだ。


6.土匪国家

この数年来の日本における支那人犯罪の急増はいまや常識といえる。
実際、外国人犯罪者の半数以上が支那人犯罪者で、
新手のピッキング強盗となるとほとんどが支那人の手によるものである。

日本ばかりではない。
世界の多くの大都市が支那人密入国者の問題に悩まされている。
シベリアヘの支那人密入国者は年間五十万人にのぼるという信じがたい数字も出ている。
蛇頭の年間総収入は世界の麻薬密売の収入の数字をとうに超えている。

支那人が海外流出すると、流出した先で社会が大きく変化する。
台湾の生活環境の変化は、その代表的な一例である。

台湾は戦時中、疎開して家を離れても物が盗まれることがなかった。
しかし、戦後、四十万の日本人が台湾から追放され、
代わりに二百万の支那人が大陸から流入すると、台湾はたちまち泥棒の国と化した。

泥棒の多さは高層ピルの上階でも窓に鉄格子がはまっていることが如実に物語っている。
あの特異な建築群の景観は、泥棒のせいなのである。
台湾では「支那人を見たら泥棒と思え」という教育を親がするようになった。

九四年、支那の浙江省杭州の千島湖で、台湾入観光客二十四人を乗せた遊覧船が湖上で強盗にあい、
全員が船室で焼き殺された事件があった。
台湾では有名な事件である。

当時の支那政府はこの痛ましい事件が強盗殺人事件であったことをひた隠しにしていた。
李登輝総統は激怒し、支那を「土匪国家」だと非難した。

支那が「土匪国家」であることは、歴史的にも知られている。
清代の乾隆帝時代、英国の通商使マカートニーは、『奉使記』の中で沿道には乞食と盗賊ばかり目立つと記している。

中華民国初期は、「賊のいない山はなく、匪のいない湖はない」と言われるほどで、
賊の数は推定二千万人、軍隊より多かった。

その当時、上海や満州の各都市では公共パスに武装兵士が最低二人同乗していた。
そうでなければ安全が確保できないのである。

現在でもいたるところで「車匪路覇」に注意を呼びかける看板がかけられ、改革開放後の支那を特色づけている。
九〇年代、匪賊との銃撃戦で殉職した警官は毎年二千人あまりにものぼる。

なぜそれほど匪賊が多いのか。
結論を言えばそれが伝統文化なのである。

「天下は馬上で取る」
「勝てば官軍、負ければ賊軍」という歴史の法則に基づき、
王朝末期には生活手段を失った民が賊に変身し、やがて易姓革命の原動力となった。

易姓革命は、盗賊を正当化する支那の歴史の原理といえる。
チペットに対しても、台湾に対しても、この強奪行為を正当化し、周辺諸国との領土をめぐる紛争は絶えない。

増え続ける密入国者によって支那人犯罪が世界に広がり、
かつて白人に恐れられた黄禍が華禍となって、ますます嫌中感情が増幅されることだろう。


7.危険な「友好」


親善、好意を示す「友好」という言葉は、本来嫌われるはずがない。
だが、支那人との「友好」だけは別である。


普段、人間不信の社会で生きているので、支那人は人間関係についてことさら「友好」を強調しないと不安に襲われる。

しかし、支那を相手にする側にとって、支那が強調する「友好」ほど不安なものはない。

なぜなのか。

その理由は「友好」の解釈権がもっぱら支那の側にあり、
支那の規定する「友好」におとなしくついていかなければならないからだ。
ことにしたたかさをあまり持ち合わせていない日本人は、腹芸が下手でタヌキとキツネの化かし合いができない。
しかも日本人は外圧に弱く、支那流の「友好」パフォーマンスに対抗するのがきわめて下手である。

「友好」という言葉を額面どおり受け取っていると、思わぬ落とし穴にはまることになる。
実は支那が「友好」を語るとき、ことに相思相愛を語るときが最も危険なのである。
それは歴史を振り返ればわかる。

たとえば、中ソ、中印、中越戦争が起こったときは、
いずれも両国の「友好」関係が蜜月のピークに達した時期にあたり、
まさに老子のいう「物極まるときは必ず反(かえ)る」という結果になった。

だいたい人間の歴史で、民族間、国家間に「子々孫々の友好」などあったためしがない。
支那との「友好」は、すなわち彼らの独善的な価値観を全面的に受け入れることでしかない。

日本人は支那がたたみかけてくる友好の嵐に翻弄され、身も心もくたくたになってしまう。
そして考えれば考えるほど嫌悪感を越えて怒りがこみあげ、やがて「日中友好」の滑稽さに気づくことであろう。


~~~~~~~~~


黄文雄さんが、この文を書かれたのは、冒頭記したように平成13年、いまから10年も前のことです。


その意味で、支那はたいへん特種な国だし、支那人というものは、それだけ信用信頼に値しない民族なのです。
そしてそれが、可哀想かもしれないけれど、人種の違いということだし民族の違いです。

支那人を国内に引き入れるということは、家や会社の中に、泥棒や強盗、凶悪な殺人鬼を住まわせるのと同じことなのです。

国民の生命と財産を守るべき国政が、市民県民の平穏な暮らしを支えるべき地方政治が、
好んで支那人を受け入れることで、日本中で支那人を繁殖させ、日本人の生命、財産、生活の平穏をおびやかす。
いったいわたしたちは、なにをやっているのでしょうか。

「そんなことはない。私の付き合っているAさんは、支那人だけれど、とってもいい人です。
 支那人にもいい人はいっぱいるのではないですか?」
そう思うこと自体が、実は、とんでもないことなのです。

ハナから、私は泥棒です。強盗ですといって近づくものはいません。
最初は、ニコニコと親しげにやってくる。
そして、その親しみが、どこまでも相手に対する思いやりとなって現れる日本人と、

ある日突然、平気で「手のひらを返す」支那人、朝鮮人とは、まるで違う。

多くの日本人が、騙されてからそんなことに気付いています。


支那という猛毒にかかると、あらゆる善政や徳義が、すべてあとあと「唾棄すべき悪行」とされてしまうのです。
そのことは歴史が証明しています。

支那や支那人との付き合い方は、私達は抜本的に考え直さなければならないと思います。

なお、丹羽氏は、もはやいまの段階では、一刻もはやく更迭すべきです。
そうしなければ、彼ら支那人は、ますますつけあがり、日本の内政に干渉してきます
支那の毒は、そういう毒なのです。



手前とはスタンスが違うサイトですが、特亜の本質はこのとおりですよ。

丹羽宇一郎については当ブログでも何度かw

梅雨入りとかⅣ  2010-06-19 では、

◆http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-entry-975.html
世界の真実の姿を求めて!
◎菅政権と小泉政権は同じ新自由主義。

より抜粋、ですが、

政府は15日午前の閣議で、
丹羽宇一郎・伊藤忠商事元社長を駐中国大使に任命した。

丹羽氏は小泉政権幹部と米国に都合のいい人物。
丹羽宇一郎氏は、小泉政権時代に、重用された人物。

もっとも記憶に残っているのは、残業代ゼロ法案を推進していた点である。
「従業員は、たとえ残業代をもらえなくても、仕事が覚えられるだけで
満足するものなんだ。だから残業代ゼロ法案を推進すべしだ」
という趣旨の発言を、主張していた。


はなから国賊なのですよw  瀬島龍三の子分であり「支那利権」絶対死守なのさ。

言いなり、ズブズブの役立たずですから。

砂上の楼閣も崩れるときは一波の危うさなのだが、始まったようですなぁ。