あしたのタネをまく、アシタネブログ!

今日よりちょっといい、明日にしませんか

とんところ地震の紙芝居(その2)

2013年08月04日 05時33分34秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!
K005


5、はなちゃんが神社に着いたころ、ようやく大きな揺れは収まってきました。
まわりには、何人もの人たちがいました。


「早く夜が明けるといいのに。お父さんたちも早く来てくれたらいいのに」
息が切れて座り込んでしまったはなちゃんの耳に、海の方から気味の悪い音が聞こえてきました。


ごぉーっっ


立ち上がって見ると、月明かりが照らし出していたのは、見たこともない大きな壁でした。
いつもは海が見える方向から、その壁が動いて来るのがわかりました。


ごぉーっっ

バキバキ

ごぉーっっ



大きな壁に見えたのは、地震によって起きた大きな大きな津波でした。
津波は、松林も、川も、田んぼも、家も あっという間に飲み込んでいきました。


「お父さん、お母さん! おじいちゃん、おばあちゃん!」
思わず家の方へと走り出そうとしたはなちゃんを、顔見知りのおじさんが止めました。
「行っちゃいかん。ここで待つんだ」

津波はもう、村中(むらじゅう)を飲み込んでいました。


はなちゃんは、村の人たちと一緒に、神社の境内で夜を明かしました。
大きな地震が収まってからも、何度も小さな地震が起き、そのたびに、恐ろしくて震え上がりました。
そして、お父さんたちのことが心配で、心配で、たまりませんでした。



K006


6、夜明けが近づいて、あたりがうっすらと明るくなってくると、一面が海のようになった村が見えてきました。
家があったあたりも、何も無くなっていました。


遠くで、人を探す声が聞こえ始めました。
「おーい、タロウやーい」
「おーい、ジロウやーい」


はなちゃんも みんなを探しに行きたくて、じっとしていられなくなりましたが、
「もう少しここで待ってみよう」
と 思いました。
はなちゃんが裏山の神社にいることを、お母さんは 知っているからです。



朝日が神社に差し込んで来たころ、坂道を上がってきたのはお母さんでした。


「おかあさん!」
はなちゃんはお母さんに抱きつきました。
「ああ、はな。よかった。怖かったろう。どこもケガはしていないかね」
「うん、大丈夫」
お母さんの着物はずいぶん汚れていましたが、お母さんもケガはしていないようでした。
「お父さんたちは大丈夫?」
「おじいちゃんとおばあちゃんは、お母さんと一緒に裏山に上がったから大丈夫。お父さんは、おじいちゃんたちを助けたあと、村の人と一緒にほかの人たちを助けに行ったんだよ。きっとどこかに逃げて、みんなを探しているかもしれない」
はなちゃんも、きっとそうだと思いました。


はなちゃんは、神社の境内の湧き水を汲んできて、お母さんにあげました。
お母さんが、「ありがとう。元気が出たよ」と言ってくれたので、さっきまで不安だった気持ちも吹き飛びました。



K007



7、それから、はなちゃんとお母さんは、おじいちゃんおばあちゃんを迎えに行くことにしました。お母さんたちが逃げた場所には、水が無かったからです。


「おじいちゃん、おばあちゃん!」
はなちゃんが元気な声で呼ぶと、ふたりは立ち上がって迎えてくれました。
「よかった、よかった」


みんなで神社に戻ると、そこにお父さんがいました。村の人たちと地震でつぶれた家の人を助けているところへ津波が来て、命からがら逃げることができたそうです。
「よかった、よかった」。おじいちゃん、おばあちゃんが言いました。
はなちゃんも嬉しくなって「よかった、よかった」と言いました。



はなちゃんの家があったあたりは すっかり変わっていました。
たくさんの家が壊れたり、流されたりしました。
田んぼも畑も、津波に流され、泥に埋まっていました。
橋は壊れ、道路もありません。


地震のあと、すぐに高いところへ逃げた人は無事でしたが、逃げ遅れて津波にのみこまれた人がたくさんいたそうです。


大人たちが話をしていました。
「この村の周辺7里35町が沈んで、海になってしまったよ」
「堤防が13カ所も崩れてしまったそうだ」
「田んぼも すっかりだめになったなあ」


海になった「7里35町」とは、今の単位だと周囲35キロメートルになります。

「内藤藩では57のまちが海に沈んだそうだ」
「高鍋藩、飫肥藩では、お城の石垣が崩れたそうだよ。お城が壊れるくらいだから、おれたちの家なんかひとたまりもないな」
内藤藩は今の延岡市、高鍋藩は高鍋町、飫肥藩は日南市。県内のあちこちに広がる大きな被害でした。



K008



8、あの地震から50年が過ぎ、村の集まりで、地震のことを忘れないよう石に刻んで、お祈りをすることになりました。


はなちゃんは、かわいい孫がいるおばあちゃんになっていましたが、地震のことを思い出すと、いつも胸が痛くなりました。


はなおばあちゃんは、地震の教訓を子どもや孫たちに何度も話して聞かせました。
「大きな地震の後に、大きな波が来る。それを決して忘れてはいけないよ。地震が収まったら、ひとりですぐに高いところへ逃げるんだ。生きていれば、みんなまた会える。
それから、寝る前に着替えと、はきものをそろえておくんだよ。いざという時の助けになるからね」



何度も大きな地震と津波の被害を受けた東北地方には、「津波てんでんこ」という言い伝えがあります。
津波が来たら、取る物もとりあえず、各自てんでんばらばらに一人で高台に逃げる。「自分の命は自分で守れ」という意味です。はなおばあちゃんの話もそれと同じでした。


やがて記念碑ができあがると、村の人たちが集まって、みんなで手を合わせました。



村の人たちは、その後も50年ごとに、新しい記念碑を作りました。
現在では、地震から350年が過ぎ、記念碑も7つになりました。


時代が変わり、どんなに科学が進んだとしても、地震や津波が起きないようにすることはできません。
とんどころ地震の記念碑は、地震があった記録だけではなく、
「命を守るためにできること」を、私たちに教えているのです。(終わり)


>>>とんところ地震の紙芝居(その1)に戻る





最新の画像もっと見る

コメントを投稿