あしたのたね育てていますか、ブログ「アシタネ」

未来への不安もあるけれど、夢や希望のタネを見つけ育てていきたい・・・。
日常の出来事や感じたことなどを発信しています。

ある時の立ち話に身につまされる。

2018年11月25日 06時00分05秒 | 交差点より

自宅の浴室が水漏れしているので、知人に職人さんを紹介してもらった。塗装、大工、室内装飾、3人の職人が入れ替わり、作業をしていただいた。平均年齢は、60台半ば。お互い立ち話で近況などをお伺いした。

70歳。大工の話。
「個人事業主で国保だから、年金が安いのよ。働かざろう得なくてね。こどもが独身なんで心配だ」「生活保護も受ける選択肢もあるけれど、家があるし、身内に扶養できない環境でないと、受けられないらしい。俺は無理だ」「うちの兄が認知症になってきた。先日兄夫婦を連れてドライブした。高速道路を走行中、途中で何度もトイレにいきたいと声を荒げる。しかし、トイレは数分前済ませたばかり。次のトイレまで場所がないので苦労する。そのうち嫁から、兄が怒られて、もうドライブにはいかないという。兄嫁から、弟さんから話してみてと言われるが、兄は聞く耳をもたない」

「身近に家の近くで「小」をする方がいる。あんなにはなりたくないがこればかりは、どうしようもない。そういえば、近くの森で自殺する人が多いと聞く。先日は、サーファが自殺者を助けたが、退院の翌日、首を吊って亡くなった。死ぬことを決めている人は、止めることができない」

65歳の塗装職人。
「嫁から今月いくら稼げるのと、言われるが、そんなに仕事がある訳じゃない」「身体が弱ってきているので、週3日など、間をあけないと続かない」「家は借家がいい、一戸建てはメンテナンス費用がかかる、でも家がなかったら今の年金では生活できない」

 改めて、老いていくことへの恐れ、それは健康であったり、お金の問題であったり、家族の問題であったり、悩みは尽きない。それでも、手に職があるだけで、良いと人からは言われるという。

 30代後半の世代の消費が落ちていると、厚労省の統計にでていた。こんな親達世代の姿を自分の未来に重ね合わせると、消費は控えるよな・・とふと感じた。

お互いボケないように、仕事しましょう。仕事が一番の薬だからと、職人さん達と笑って別れた。

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その時、どう感じたか、どう動いたか。

2017年09月17日 11時40分15秒 | 交差点より



これじゃ格差がつくはず・・。と憤りを覚えたのは、17年前の西暦2000年頃のこと。当時、ネットショップを開設していた私は、研修先の京都でそう感じた。何故なら、ネットショップの研修会が毎週のように開催され、楽天市場の三木谷社長を始めネットショップの大御所達が毎月のように研修講師として参加していたからだ。

宮崎の入ってくる情報といえば、新聞やテレビでのこと。確かに情報は大事。しかしもっと大事なのは、つながりである。講演前後での参加同志の名刺交換や情報交換が、新聞の書かれる前の情報である。新聞に掲載された時にはもう遅い。
もうすでにいろんな方が先行されており、その情報にうまみはない。

だからといって、ちいさな会社でできる訳もないので、さまざま行政機関に提案して回ったが、足蹴にされる事が多かった。事の重大性に気付いて欲しかったが、地方ではまだIT,ネットショップへの当時意識が低かった。

ちなみに私がネットショップで物販を始めたのは1997年のことだ。ネットでモノが売れると感動して人に話したら、ある方でそんなのあるわけないでしょ・・と鼻で笑われた。その時は本当に悔しい思いをした。その時は多くの人が半信半疑だった。

その後、この状況を打破すべく最新情報を地域の方に提供できるよう何か所が回ったが取り合ってもらえなかった。ところが捨てる神あれば拾う神あり。当時の宮崎県産業支援財団にプレゼンをする機会をいただき、提案が採用された。

そして第一号の講演会のすべてを任せていただくことになった。講師は傘屋ドットコム、宮武和広@心斎橋みや竹さんに知人を介してお願いした。講演は大成功。それから2年間、講演会活動などさまざまな形で関わらせていただいた。

そのご縁で、1年に2回程交流会を開催して17年あまりになる。
「その時どう感じて、どう行動したか」つまり、感じること、そして動く、動かないを含め、どう感じて判断したのか大切なのだと思う。
問われているのは、自分の姿勢だ。

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北陸へギターを抱えてひとり旅へ

2016年01月16日 22時10分36秒 | 交差点より



(知人のいる宇奈月温泉)

今年、音楽活動を始めて40年。この節目の年に、何をしようかと以前から考えていた。自分らしい何かができないかと考えた末、以前からの夢だったギターを抱えて旅をすることを企画した。

そもそも、昔、「角瓶と文庫本持って旅に出る」というCMがあった。ジーパンにポロシャツのラフな格好のおじさんが、電車に乗り、サントリーのウィスキー角瓶を窓のところに置き、キャップをコップ代わりにして飲みながら文庫本を読んでいる。「電車の中で文豪たちとまず一杯」なーんてナレーションが入る。とても印象的なCMだった。

2月10日の夜より4日間、知人のいる北陸の金沢、富山を旅行。フェリーやバスを乗り継いだ旅行だが、CMで見た旅を実現できる旅だ。さながら「これまで出合った音楽とまず一杯」という旅というところか。

この旅では路上ライブ、古い民家に泊まること、冬の北陸を体験することが目的。特に路上ライブは、25年ぶりであり、年齢的なこともあり恥ずかしい気持ちが強かった。50の半ばを過ぎたおじさんが路上ライブ・・・と迷っていたが、先日「路上ライブをやります」と宴席で宣言。もう後戻りはできない。


(10代、友人宅にて)


(20代、総務庁「青年の船」にて)


(30代、福祉施設訪問し、演奏)


(40代、九州沖縄音楽祭出場)


(50代、定期ライブにて)

40年、いろんなことがあった。ギターを覚えたくて、友人宅に寝泊まりしたこと。夜通し語り合った音楽と人生についての話。始めてのコンサート。5つのバンド活動を経験。ふくしコンサートに企画運営に携わった日々。テーマソングの制作。慰問演奏会でのふれあい。そして、現在活動中の定期ライブ。

音楽活動を通して私を楽しませて、勇気づけ、元気にしてくれた。そして多くの出会い。40周年という記念の年。原点に帰り、更に深めていきたい。

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56歳。また新しい一歩へ

2015年08月30日 13時00分35秒 | 交差点より

今月20日。56歳の誕生日を迎えた。55歳のテーマを「GO!GO!55歳」と定めは、一日一日を大切にしたい。できることは精一杯やりたいとの思いが通じ、満足できる1年だった。仕事も遊びも、精一杯取り組んだ。朝は5時起き、夜は家事手伝いや勉強もこなした。

振り返ってみると、両親の傘寿祝い・家族揃っての大阪旅行・キャリアコンサルタントと防災士試験合格・新たな勉強への挑戦など、楽しめた一年だった。音楽活動も今年で40周年。もっと自分の中の表現したいことを追求していきたいと強く思うようになった。

10年程前職場でのトラブル、家族の病気やさまざまな問題が集中し、苦しんだあの頃。人知れずもがき苦しんでいた分、今がどんなに幸せかが分かる。

誰を責めることもなく、自分を磨いていく。そんな葛藤を通して、今があることや今の自分の力になっていること。それはある意味、自分の「財産」になって、モチベーションを高めることに繋がっていると思う。

以前亡くなったお爺ちゃんから言われたことがある「生きるということは、今を精一杯生きることだ」と。つまり「今、ここ」にしか生きてることが認識できる瞬間や感覚を意識し、そこを満たすこと「生きる」に繋がっていくのではないか。

気負うこと無く、人の喜ぶ顔を見て喜ぶ。そんな生き方を重ねていきたいと思う。

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蒼い日記

2015年01月11日 07時16分40秒 | 交差点より

40年近く続けている日記。昨日整理していたら、1978年8月15日(金)から綴っていた。
20年近くは手書きで、それ以降はテキストで残している。いつかは処分しようと考えていたが、昨日手書きの日記帳は目を通したのち処分した。



(手書きの日記帳)

日記の主な内容としては、日々の出来事、計画、夢や目標、そしてエッセイやポエム(詩)のようなもの。読み返すと当時の様子などが脳裏に甦ってくる。面白かったのは、高校時代に始めて付き合った彼女との出会いから別れまでが物語り風にまとめられたものがあった。

教室の匂いや漂っている雰囲気などが伝わってきそうだった。その他にも、高校時代付き合っていた彼女との交換日記。まだ持っているの?と言われそうだが、好きな子が進学した高校まで追っかけていくという単純な男だったから、ひとつひとつの恋が甘酸っぱい。

いつも誰かに惚れていて、いつも自信がなく自分を責めている。理想とする自分と現実の姿に、ダメだダメだと書いていた。そんな蒼い時代(高校時代~20歳頃)。そして23歳頃からは、周りのことが見えるようになったのか、人への気遣いを大切にしたいなどの記載が多くなり、すこしづつ自分から周りへと目が向き始めた頃。全体的には、自分自身変わっていないように感じた。

職場の先輩から60歳を過ぎたら、これからいつ何時、この世とお別れする時がくるかわからない。少しづつ始末をつける生き方をしていくことも大切だと教えてもらった。そう考えると不思議と恵まれている現在に感謝、健康に感謝する気持ちとともに、家族や周囲に何を残していく生き方をしていきたいと考える。

日記とはある意味自分との対話。これでいいのか?どう生きるのか?わからないコタエを自分に問い続けること。
それでも、考え続ける中でヒントやアイデアが浮かんでくる。不安が希望に変わり、希望が目標に変わり、目標が足跡に変わる。
足跡が自信に変わる時まで、ひたすら歩きつづけるしか自分自信のコタエは無いのではと思う。

そんな考えもある意味、自分自身の「蒼さ」かもしれない。永遠つづく「蒼」だろう。しかし未熟でよし、成熟に憧れる蒼のままで生きればいいと思う。

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ご縁をいただく。

2014年05月28日 04時40分51秒 | 交差点より

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(レストルームから見える風景)

新しい職場で私は、昼食を近くのスーパーのレストスペースを利用する。以前は、近くのファミレスやハンバーガーショップを利用していたが、同じメニューに飽きていたところ、県外に送る荷物を持ち込んだ時にこの場所を知った。

お弁当もレトルト製品もパンも、その日の気分で購入でき、このレストスペースで食事をすることができる。電子レンジや無料の飲み物(お茶・冷水)なども完備している。その上、コピーや郵便物や宅配の手配もできる。ボランティア団体の事務局を預かっている身としては、本当にありがたい存在。

先日、中学時代の友人と20代の頃ボランティア活動を一緒にした仲間がこのスーパーで働いていることを知った。
ふたりとも、いきいきと働いている姿を見ると、言葉に尽くせない気持ちになる。また、高校時代の同級生に偶然会えた。このようなご縁をいただき、本当にありがたい。

勤務先では、人生の師といえる先輩の下で仕事をさせていただいている。
人の幸せは出会いから始まる。その出会いに気付き、良い出会いを重ねていくことが、豊かな人生に必要だと言われている。人との縁を大切にし、育みながら、日々感謝して努力を積み重ねたい。

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K姉さんとの出会い

2014年05月02日 04時03分49秒 | 交差点より
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K姉さんと3ケ月に1度、会食している。写真は、平和公園にあるお店オーガニックレストラン_SIZEN(シゼン)ランチ風景。出会いは、昨年の1月、所属している会を通じて知り合った。

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(お店のフェイスブックページ

現在、K姉さんは華道教室を開きながら、講師業もしている、その合間を縫って孫育ても家事もしっかりこなしている。
先日は、講演会のネタのことや、講演会場の盛り上げ方など、アドバイスをいただいていた。講師としての実力はもちろんだが、K姉には、人としての「華」があるようにも思う。人気講師は違うな~と感じたところだ。

身の回りに起こることは、すべて意味があることだよと、私の失敗談を聞いていただいて、意識を変えて取り組むようにとの励ましをいただいた。

「大丈夫、きっと上手くいく」「そろそろ次のステージへ」など、言葉のプレゼントとして、人に伝えていくということも学んだ。出会いが未来を変えると、いろんな本などにも書いているが、出会いが人生を左右することが多いと、この年になって深く思う。→遅いかも・・・(汗)。日々の出会いを大切にして、楽しい夢を見ていきたい。





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出会いが未来をつくるんだなぁ

2014年04月15日 07時01分11秒 | 交差点より

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(写真は、博多駅前のドラえもん展紹介)

4月12日~13日、福岡商工会議所で開催されたキャリアコンサルタント養成講座に2日間参加した。先週から合計4日間の日程で、行われた。参加者は九州管内から26名が参加。

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昨年から、福岡でのさまざまな講習に参加しているが、講師の人間力が学びにつながることを実感している。今回も、参加者のこころを掴んで話さない講師により、参加者の気づきや学びにも深まったと感じた。人間力って、いかに生きているかという姿勢や経験、知識ということや、人が好き、伝える何かを持っていることなどが、その発言や姿からにじみ出るものだと思う。いつか自分もそんな講師になりたいと思う。
今回は特に、こころに響く言葉を教えていただいたり、磨き上げられた知識をもったN講師との出会いは、私にとっての「光」となった。そして一緒に学んだ仲間達のこと。参加して本当に良かった。

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お昼にセブンイレブンで見つけた「かにぱん」浜松市の三共製菓(株)でつくられている。ちなみに「かにぱん」の歌も公開されている。

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最初、カットパンと書かれてあったので、不思議に思った。でもこのようにして、いろんな形にして食べられるたのしいパンだと気付いた。昔ながらの素朴な味で、次回も購入したい。

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4時30分に講習が終わり、その後福岡に住む長女とボーリング。熱くなった頭をボーリングでクールダウン。楽しかった。そして19時、ナイトバスにのって一路宮崎へ。
今回の研修で改めて、出会いの大切さを感じた。良い出会いは良い未来をつくる。講師、一緒に頑張った仲間達。この良い出会いを良い未来へとつなぐため、積極的に関わっていこうと思う。

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生きていくってことは・・・

2014年04月08日 06時42分12秒 | 交差点より
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先日、先輩のYさんと、Yさんのご主人(1999年永眠)思い出話をしていた。(Yさんのご主人は、高校剣道の指導者として、下位のレベルから全国優勝の上位校にまで育てた人物)
Yさんのご主人がよく生徒に話していたことを聞かせてくれた。

生きていくことは、水鳥が水面を泳ぐようなもの。優雅に泳ぐ水鳥も、水面下では足をバタバタさせている。 努力する姿は表には見せず、悠々と泳ぐ。水面下の外敵、空の外敵への備えをしながら、泳いでいることが、生きていくということではないか

人間も動物社会と同じように、外敵もあり、自然の驚異もあり、さまざまな危険の中で、五感+αを使って生きている。いろんなものに守られているようであっても、最後は自力本願。いろんな苦しいことはあるけれど、優雅に、苦労を見せずに、笑顔でいきたいものだ・・・。

とはいえ、勤務後1週間目。今朝は緊張して5時前に目が覚めた。朝から吐き気があり、昼食時は車の中で眠るなど、一日中気分が悪い中、忙しく仕事をこなす。3時以降は、ひどくなってきたので、より積極的に仕事を引き受け、その間は気分が悪いことも忘れていた。気がつくと5時。いままで一番仕事をした日となり、皮肉なものだと思った。

言葉では簡単だけど、今の職場で、生き残るためにも毎日ベストを尽くすことを新人の今だからこころに刻みたい。それと、上記の言葉のように、頑張っているところをなるべく見せないよう悠々と頑張っていきたいなぁ♪




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ちんじゅさんへ願いごと

2014年02月21日 06時32分10秒 | 交差点より

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先日、延岡市にある鎮守大明神(ちんじゅさん)へ就職試験の合格祈願に行った。高校受験以来、100%祈願を叶えていただくすごい神社。

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小さく粗末な社であるが、私にとっては大切な場所。私の育った稲葉崎町では二百数十年前から地元の人達によって守られている神社だ。

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55歳を迎える今年、新たな舵を切ろうとしている。遠い道、きつい道かもしれないが、夢へと続く道でもある。
今年始めから高千穂の秋元神社、大宰府天満宮へと足を伸ばして祈願してきた。そして鎮守大明神。改めて新たな旅立ちへ向けて試験の合格と息災を祈願した。
結果は来月中旬に決まる予定である。

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1980.8.21。一瞬でファンになった大神のりえさん。

2013年04月21日 09時34分52秒 | 交差点より

1980年8月21日、それは、運命を変えた出会いの日である。
「ボランティアコンサートで歌う人を募集しているので参加してみない」と楽器店の店長から、声をかけられた。学生時代からギターの弾き語りをしていた私は月に一度、ギターの絃を買いに楽器店に立ち寄っている。21歳になったばかり私は、新しい何かをしたいとの思いから、会議の様子を見に行くことに決めた。その会議の日が8月21日。24年も前の事だ。

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(1980年 第1回延岡ふくしコンサート)

会場につくと、多くの方が議論を重ねていた。その中でも一人の女性が光っていた。衝撃を受けた。言葉の力凄さや身のこなし方、スピード感、優しさ、そのすべてに一瞬でファンになった。その人の名前は、大神のりえさんだ。

その日から実行委員会に入り、活動をつづけながら。大神さんの活動のお手伝いをする中で、いろんなことを学んだ。
大神さんの一番の魅力は、学生時代リックひとつでユネスコ本部を訪ねた行動力や優れた国際感覚、人間観だ。
もしも大神さんに会うことができなかったら、現在の自分は無いだろう。

それから、大神さんがおこないことには、すべて協力する。頼まれたら、断らないなどもあるけれど、惚れ込んだ。
3人のこどもの名前は、のりえさんのあやかって、すべてひらがなにしたことなどがその象徴だろう。

それから数年後、大神さんから、「青年の船に乗船したらどう。あなたはその資格がある」と勧められ試験を受けた。1年後合格し、オセアニア地域へ50日間旅をした。
青年を船を通して、自身の世界観や平和への想いを新たにしたプログラムだった。その後、ローターアクトクラブやユネスコなど、さまざまな活動を通して、知識に磨きをかけたり、多くの友人・知人をつくることができた。

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(音楽でも活躍する大神さん)

また、子ども達の教育にも役立ったように思う。船の話や地域づくり活動に積極的に参加させた。そのせいか、中学から自主的に海外でのホームスティを経験する中で、国際感覚が磨かれたように思う。現在、長女は外資系企業で働き、次女は今月からフランスへ遊学し、帰国後日本で活躍したいという。

振り返ってみると、音楽好きだった私が、社会活動に目覚めたのは、大神さんの力によるところが大きい。実際、大神さんは優れた教育者であり、活動家でもある。これまで多くの若者を育ってきた。また25年前、インドバンガロールに「インド国際こども村ハッピーバリー」を建設・運営しており、世界青年会議所から、TOYP大賞(傑出した若者に送られる)を受賞している。

出会いは人生のターニングポイント。出会いが運命を変えていくこと。
人を大切にする、そして自分自身も人に影響を与えられる人になる。
どんな自分であるのかも問われているとも思う。
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(22年間も取り組んでいる事業が「平和キャンプ」パンフレット )

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(のりえさんとのツーショット25年前)

もし、あの日出合えてなかったら、今の自分はないだろう。
それ程、衝撃的な出会いとのりえさんの生き方に影響を受けた。
これからは、恩返しの意味でも学んだことを次の世代へ伝えていきたいと思う。

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天国へいる母ちゃんへ

2013年03月23日 07時20分31秒 | 交差点より

33回忌の法要で母へ書いた手紙を読むことができず、ずっと保管していましたが、書類を整理していた中で見つけたので、遠い国にいる母へと送りたいと思う。

天国にいる母ちゃんへ

母ちゃんがこの家にきたのは、私が幼稚園の時でした。私にとって二番目の母ちゃんでした。私を産んでくれた母は離婚で3歳の時、離れ離れになったこともあり、母ちゃんというのに何年もかかりました。

母ちゃんとはいろんな思い出があります。
当時は狭い貸屋に住んでいましたが、親戚一同集まり結婚式をしたこと。
おだいっさんでおもちゃを買ってもらったこと今でも覚えています。
帰り道は田圃の道を3人で歩いて帰りましたね。
母ちゃんを農作業帰りにリアカーに載せたり、勤めていた日の出町のしょうゆ工場へ遊びにいったこと、みかん山で働いていたころ、プレゼントをもっていってこと、妹が生まれる前、おっぱいがでるか試験的に試したこともありましたね。
そう・・あの時は村のこども達の中で噂が広がり、小学生になってもまだおっぱい飲んでいるなんて、いわれたこともありました。今となっては楽しいことばかりです。

昭和47年11月18日の朝7時頃、知らない叔父さんが「母ちゃんが亡くなりました」と言ってきました。そばで聞いていた私は、とても信じられずにそのまま学校へ行き、後で呼び戻されたことを思い出しました。葬儀の日は、重い棺を抱え泣きながら歩いたあの道風景が今も脳裏に焼きついています。

あれから33年。いろんなことがありました。言葉では言えない位たくさんのことがありました。
片親だけでも幸せなことだと人は言うけれど、父親から愛情もたくさんもらえて幸せだけれど、やっぱり誰にも言えないさみしさや悲しさはあります。

小学校や中学校でいじめにあった時、仲間外れにされた時など、片親が以内分、深く愛してくれる親に心配かけてはいけないと、こころに閉まっておいたこともあるよ。そして、誰にでも優しく接しようと努力しているのは、あなたの優しさに近づきたいからかもしれません。

今思えば、33歳という若さで、この世に別れをしなければならなかった無念さややり残した事等、本当にくやしい気持ちでいっぱいだったと思います。
でも安心してください。
あなたが残した家族は、全員元気に過ごしています。
母ちゃんが命がけで産んだ妹は、今優しい旦那さんと、かわいい3人の娘達、私も同じく3人の娘達、そしてお父ちゃんも元気に過ごしています。
これからも、天国から見守ってください。

私達も母ちゃんの笑顔や頑張り、優しさを胸に刻んで生きていくつもりです。
どうぞ、安らかにお眠りください。

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音楽を楽しみ、人生を楽しむ・・

2012年10月28日 07時29分33秒 | 交差点より
フェイスブックで、友人申請・・。あっOさんだ・・
Oさんは、延岡市で働いていた頃に仕事先で知り合い、自宅まで訪問したこともある。Oさんは東京でプロとして活躍したベーシスト。 家庭の事情で地元に帰ってきて、地元の企業に就職したばかりの頃だったと思う。いろんな音楽について話を聞かせていただいた

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「今度、宮崎にいくから、会おうよ」10月13日(土曜日)佐土原駅の近くの喫茶店にて、時間話した。
顔はふっくら、いい笑顔。変わってない・・

年前から、音楽を封印し、仕事に明け暮れたこと、そして最近始めた音楽活動。子育ても終わり自由の身であること、人のこどもは、それぞれ独立し、お孫さんがいること、長男次男は、プロのミュージシャンであること、定年まであと3年ということ。そしてこれからの夢、健康のことなど・・・一気に25年の壁を乗り越えて、またあの時に戻った

そして、これからいい出会いと感動を求めていこう・・音楽を楽しもう・・。人生を豊かに生きよう・・。そして今度はステージで会おう・・・と、別れた。

音楽というつながりで、ひとつになれたような瞬間だ
音楽でこころを癒されたり、想いを歌にのせて歌ったり、食事をしながら音楽を聴いたりと、音楽は最高の友達だ

人生の折り返しはとうに終わっている・・。毎日毎日できる限りの努力を積み重ねて、納得できる生き方をしたい




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カメラ撮影を通して感じたこと、学んだこと、知り合った人。

2012年10月06日 14時05分10秒 | 交差点より

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(宮崎日日新聞より。画像をクリックすると拡大します)

年に度、お茶をするカメラ仲間の守田ご夫妻がいる。今年は宮崎日日新聞社主催の第64回宮崎美展にご夫婦揃って入賞されていた。(写真にピンクの網かけ)

守田さんは、九州管内を始めいろんなところへ撮影に出かける。元気な代である。
カメラマンに大切なことは、人に好かれることだと思う。つまり信用されることだと守田さんを見て感じる。

カメラの構図を考えるとき、いろんな情報が必要だ。たとえば一番被写体美しく見える場所や時間などのそれを知っている人からのお話。人物撮影では安心して笑顔を見せていただくことなどが多いからだ。それらは、相手に好意をもってもらえるか?話を引き出せるかだと思う。

もちろん、カメラアングルを構成するには、撮影者のこころの中でドラマをつくれるかということ。こんなメッセージを届けたいから、この絵(写真)なのだと

他にも人間の強さ、優しさ、家族への愛、自然の美しさなど、心象の風景を驚きとともに感じ取れる感性も必要だ。そして撮影技術、こちらはカメラの方が考えてくれるので、初心者には、カメラへのハードルが下がったように思うが、機能が多すぎても使えないことも・・・。

守田さんによると、先日お母さんが亡くなられたというご家族から、母の遺品の中に守田さんからのハガキが大切に取ってあり電話しましたとのこと。写真を通して知り得た出会いが、つながっていくって、こういうことだと思う。

守田さんと知り合って、番感じたこと。私よりふた回り程年齢がだけれど、感受性も行動力もほとんど上。ある意味、こころの年齢は、代だと思う。実年齢じゃないね、人って・・・

ところで来年月には個展を宮崎県立美術館で企画中とのこと。楽しみである。

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蔚山(うるさん)大学から宮崎へ・・

2012年07月07日 22時50分45秒 | 交差点より
日、友人の長峰さん宅(長峰菓子舗)にて、韓国の蔚山広域市にある蔚山大学の日本語学科の学生名を迎えての歓迎会に、知人とギターをもって参加した。学生5名を含む、メンバーは、合計名。
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今回は、「橘橋と福島邦成」の韓国語訳をつけた紙芝居を持参し上演。また、みんなで歌うコーナーやみんなで歌うコーナーなど、「歌は世界をつなぐ」を実感したひとときだった。

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韓国・巻き寿司【キンパプ】
酢飯じゃありません。うっすら香ばし~い海苔巻き。美味しい♪ レシピはこちら
Kimono

(長峰さんから着付をしてもらって喜ぶ大学生達)
現在、蔚山大学と宮崎公立大は学生を相互派遣することなどを盛り込んだ学術交流協定を結んでおり、その一環として蔚山大の学生は7月15日(日)まで宮崎に滞在。公立大で日本語の講義を受ける他、キャンプ、華道なども体験予定。

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