蒼穹のぺうげおっと

-PEUGEOT in the AZURE- マンガ・小説・アニメの感想を書き流すファフナーとエウレカ好きのサイトです

舞散る君の声に

2006-03-16 00:46:27 | Weblog
ただいま、交響詩篇エウレカセブンの第4クールOP、nirgilisの『sakura』をエンドレスリピート中。

やっぱ、これ良いわ~。Amazing Graceのサンプリングに心癒されつつ、あのサウンドに元気を貰っちゃう。

ほんとこれはエウレカセブンのOPにぴったりだなと改めて思いますよ。
#第4クールの気合入った物語が自然と目に浮かぶよね。

うおっしゃ、頑張るよ。

ほんと良いです。

ノエイン もう一人の君へ 第22話 「ミライへ」 感想

2006-03-16 00:12:28 | ノエイン
やばっ、ちょ、泣けた。・゜・(ノД`)・゜・。

かなり凹みそうになった今週のノエインですが、ラスト数分、一転して泣けました。・゜・(ノД`)・゜・。

* * *

今週出された回答に個人的にはとても満足です。
ノエインはSF部分、特に量子論を使うことで難解になっているようにも見えますが、恐らくそれはテーマを浮かび上がらせるための演出に過ぎなくて、テーマは結構シンプルだったりすると思うんですよね。

量子的存在=不確定な存在、つまり、自分を見失った状態。
そこから確定させていくことで自分を見つけ出すし、また、それだけじゃなくて、今回出たように、大切な人によって他人の存在を認識する、自分の存在を認識してもらう、というところが量子論的説明にもなっているんですよね。

それを描いたのがラスト数分。

このテーマだ、と思って観て来ただけに余計に泣けました。・゜・(ノД`)・゜・。

だから余計に難解な表現を用いた量子論を使って、ここを表現してきたところにこのノエインという物語の面白さがあるんだと改めて実感です。

* * *

ノエインと言う存在が、(ノエインとなった時空において)ハルカの喪失を経験したユウの姿、悲しみを乗り越えれられなかったユウの姿ではないか?という風にずっと考えていたので、ここもラストに来てビンゴ(っぽい、たぶん)。

この辺の感想は2つ前の回の感想のコメント欄に奇しくも書いているのですが、ノエインという存在は、ハルカの喪失に対して絶望を抱いて、不確定性原理に基づいた世の中を確定させた唯一つの時空へと収束させようとしている、という存在なんだなと、ここに来て何となく確信めいてきました。

逆にノエインが、今のハルカを求めるのはハルカの喪失を経験しているから、なんでしょうね。
またその絶望に耐え切れなかったからなんでしょうね。

ノエインとハルカという存在の対比は、ノエインが未来の「可能性」を否定しているのに対して、ハルカは未来の「可能性」を肯定する、そういう対比だったと読めます。

これも2つ前の感想のコメント欄に書いたのですが、ユウは子供時代の不安を、カラスは大人になったとしても苦しいことはある、ということを示す、ノエインは絶望から自分を見失って零に戻したいと、誰しもがそれなりに経験する時間軸をそれぞれのキャラで切り取っている、とも言える。

でも、今回、ユウがイサミを止めて、そのイサミがアイを思いとどまらせたように、またアトリがミホを救ったように、絶望の可能性もあれば、希望の可能性もある、だから今を、そして自分を大事に、そして自分を大事にしてくれる誰かを大事にしようよ、それが「ミライへ」繋がるんだよ、というようなメッセージなんじゃないかなぁ。

このあたりがやっぱりノエインという作品を通じて描きたかったことの一部なんじゃないだろうか、なんて思っちゃいます。

ノエインもいよいよクライマックス。
どうなっちゃうんでしょうね!!