5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

アリゾナに眠る

2019-12-07 21:47:14 | 歴史

今日は12月の7日。1941年のこの日、日本軍によるハワイの真珠湾攻撃は起こった。この時期になるとかならず、アメリカのマスコミは突然の日米の開戦を繰り返して報道する。「リメンバー・パールハーバー」の怒りは今でもアメリカ人の心の深いところに生きているのだ。

年によっていろいろなエピソードが紹介されるが、今年は「アリゾナ最後の生き残り、母船に葬られる」というリードのNPRニュースを読んでみた。

アメリカ軍艦〈アリゾナ〉の水兵だったローレン・ブルナーが話題の主だ。

78年前の今日、ハワイの真珠湾に寄港していた戦艦〈アリゾナ〉は、日本の戦闘機による急襲爆撃であっという間に湾内に沈没し、乗船中だった1177人の海兵や水兵たちが命を落とした。運よく助けられた者は337人いたが、ブルナーもその一人だった。火傷を負って逃げ遅れた彼らたち水兵6名は炎上するアリゾナとともに海中に沈む運命だったのだが、補給船の水兵ジョー・ジョージが機転で投げてよこしたロープを使って補給船に乗り移る。戦闘機の機銃掃射でブルナーは2発を脚に受けていたが、無我夢中でロープを伝ったのだという。

こうして彼は最後から二人目のアリゾナ生存者となった。傷の治療後には戦闘任務に戻り、南太平洋の作戦に参加した。戦後、名誉負傷賞〈パープルハート勲章〉を授与され、1947年に海軍を除隊した。

ブルナーは今年の9月に98歳で逝ったが、真珠湾記念日の今日、彼の希望どおり遺骨は真珠湾の海中に沈んだままの〈アリゾナ〉の船体中に納まって永遠の眠りにつくことになる。生前の彼はこう言っていた。

「長い間考えてみて思うんだよ。亡くなった家族や友達はいろんな場所に葬られているけれど、ほんの5年もすれば、もう誰も思い出してはくれないさ。でもアリゾナにはたくさんの人々がやって来るだろ。あそこならみんなに会えるじゃないかってね」

アリゾナ記念館によると、船葬は1982年に始まってこれまで43名が今も船と一緒に眠っている。現在も存命の生き残り3名はいずれも船以外の場所で眠りにつきたいということらしいから、44番目になったブルナーで最後ということになるわけだ。

真珠湾のアリゾナ記念館を見学したのはもう40年以上前のことになる。水中を覗くとブルナーがいたというブリッジ上部が見えて、油分が水の上を漂い、ホノルルの街の騒音も聞こえぬ異様な静けさだったのを憶えている。この船だけで1000人以上が死んだのだから当然なのかもしれない。そこにブルナーの遺志は還ったわけだ。78年後の訪問客たちは何と言って彼に挨拶をするのだろうか。




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