5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2018年版です。

選挙は教育的刺激になるか?

2010-06-30 23:13:42 | 政治
「ワールドカップのパラグアイ戦はやはりTV観戦をしなくては」と意気込んだ割りに、真夜中になっても熱気が去らない寝室の窓を開け、布団に大の字になった途端にウトウトしてしまい、目が覚めた時には延長戦後のPKまで終わって勝負は決まっていたというお笑い。テレビのモーニングショーや朝刊のスポーツ記事が、日本チームの頑張りをことさら強調するのを聞きながら、独りでシラケムードである。

産経(デジタル)の朝刊、そんなワールドカップニュースは敢えて無視して、オピニオンページの曽野綾子の連載「透明な歳月の光」の「不要なものを与える政策は害毒」という今日のコラムに注目した。

たまたま通りがかった名古屋駅前では「たちあがれ日本」の代表連がわざわざの遠路ご出陣。「いま、日本があぶない」というキャッチの通りを叫んでおられたが、失礼ながら見るからに「シニア連」といった壇上のメンバーに注目する、「ご通行中の若者のみなさん」はいないようだ。

少し歩くと、今度は、「日本共産党」の静かなビラ撒き。これも撒き手が党員なのだろうか年配のオヤジばかり、ビラが勿体無いというように積極的な手渡しをしないから、こちらも「ご通行中の若者のみなさん」はよそ見して通り抜けてしまう。どちらも街頭キャンペーン活動を日常からやっていない証拠だろう。

曽野のコラムの副題は「選挙という教育的刺激」。だから、今回の選挙戦に関係したもので、国民迎合的な選挙用スローガンにはもう騙されないぞというわけである。

「最近の人々の心理には、福祉や機会均等の名目で、正当な対価を払わないで、何でもしてもらえばいいという気風が出てきた」とまず指摘し、「タダで何でもしてもらおう」は幼稚な子供の心理であり、乞食根性だと一発。

何かを手に入れるには、必ず分に応じて対価を払うのが当たり前だということを日本人は忘れかけているというのだ。

著者はどうやら民主党のやり方がお好きではないようである。霞が関官庁街の中央分離帯の雑草に眼を付けて、清掃会社の叱咤もせずに放置したままの監督官庁の無駄遣いにさえ気づかない「仕分人」がすぐ近くで平気で執務しているのが気に入らないとおっしゃる。

昨日実施された高速道路の一部無料化も「選挙目当ての人気取り企画だということは歴然だ」と云い、財源の無い子ども手当、高校授業料無料化も、「ダタでしてくれることには文句は言わない」国民への甘やかしだとバッサリのニ発目がくる。

「高速を走るドライバーは保全費用ぐらいは払うのが当たり前だし、子供手当ては必要な家庭にだけ渡せばよい。勉強したい高校生にだけ奨学金をだしてやればよいことだ。」と筆者は云うが、これに反対する読者も少なかろう。

「好きでないものや、使わないものは、どちらも必要のないもの」なのだから、敢えて選挙の票取りとして「要らないものを与える政策」は害毒。国民に対する買収行為そのものであると最後屁の三発で、曽野流の毒舌は終わっている。

此処へ来て突然ボリュームが上昇し誰もがその必要性を声高に喋り始めた「消費税増税」も、曽野の云う「何でもしてもらおう意識」の逆手作戦だとするとどうだ。

「高速がタダなんだから」、「子供手当がもっと欲しいから」、「授業料が無料なら」、消費税増税は「しょうがない」ということになると、ハメられているのは国民の方ではないか。それとも、そんなカラクリは十分承知の上で黙っているとでもいうのだろうか。「選挙という教育的刺激」とはいかにも曽野らしい皮肉である。

民主も自民もたちあがれ日本も、言い方がちょっと違うだけで、皆同じ腹でいるのだとすると、我が「清き一票」の行方が定まらなくなってきそうだ。


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