5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

「日本と日本人」ブログ

2008-12-08 23:01:59 | PC・インターネット

11月26日に新しいブログを2つオープンしたと書いたが、今日はそのうちのひとつ、無沙汰の詫びのつもりで作った異業種交流グループ向けの、いわば内輪ブログの内容について書こうと思う。

情報が限られている中、韓国メンバーのJさんが公式にオープンしている韓国語のブログから、名古屋のメンバーに関して書かれている部分をピックアップして転載することが多くなっている。

PCソフトの力をかりながら意訳したものだから、原文のニュアンスが十二分には伝わらないが、一応の意味は通るはずだ。非公式オープンの状態なので、メンバーからのコメントは届いていない。

いままで、試行錯誤的に6本を翻訳して解ってきたこともある。日本語と韓国語とは似通ったことば同士だと言われるが、これが曲者なのだ。

・てにおはの使い方が微妙に違い、PCはこれをうまく判断できない。
・表音文字のハングルでは正書法(分かち書き)をしないと、意味が違って訳せない。
・パンマル(ぞんざい言葉)や反語、感嘆の表現などがPCではうまく訳せない。
・韓国語特有の言い回し(イディオム)がよく理解できていない。
・Jさんの個性(レトリック)がどんなものなのかがPCには解らない。
・文章の引用や詩歌など、文学的表現が訳せない。

といったソフト翻訳の限界が解ってくればくるほど、辞書と格闘する時間が長くなる。しかし、そのおかげで、韓日辞書をひくスピードが速まってきたようだし、変化形からその原型を類推することも、ちょっとは出きるようになった。64の手習いである。

Jさんのブログは、スポンサーの月刊雑誌の数あるブログの中でも結構人気があるのだそうだ。週2回掲載、1回あたり約2000語(翻訳日本語で)の短い文章で、彼の経験する日本文化と日本人について、広く浅く(=わかりやすく)語っているのが良いのだろう。

日本語に変換する作業を繰り返して気づいたことは、日本文化について書かれたブログではあっても、韓国人Jさん特有に理解のパターンというものが現れているのであって、こちらは、いみじくも韓国と韓国人の生活文化を比較理解することが出来ているのである。

歴史好きのJさんは犬山城を訪れ、ここを信長の国取りの舞台として紹介したあと、枯れた「神木」を祀ることの「珍しさ」をコメントしている。八百万の神々信仰が当り前に我々には、「珍しい」という気持は湧かぬ筈だ。 枯れ木をとりまくノウゼンカズラを、韓国では「両班花」と云うのだということこそ「珍しい」。

異業種仲間との会食では、「まだ20分位の余裕があるのに皆続々と集まる」と云い、暗に「ソウル時間」が存在することを表現しているし、「日本人のとりあえずビールで乾杯」や「酒の継ぎ足し」を面白いと表現する。「焼酎一気飲み文化」との違いだ。

引用文からは彼の読書傾向が読める。夏目漱石の「坊ちゃん」、R・ベネディクトの「菊と刀」、堺屋太一 の「秀吉」から、羅貫中の「三国志演義」までなかなかの幅である。日本の書店には韓流スターのグラビアしか置いてないのだから、漱石は当然としても、堺屋太一のハングル訳がソウルの書店にあるということは、国際出版業界は出超ということだろう。

彼のブログにはかならずといってよいほど誰かの「詩歌」が挿入されてある。はかない人生、流れる水、歴史と歳月、といった韓国人の好きなキーワードを載せるには適当なツールなのだ。日本人のビジネスブログで「詩」が紹介されているものは珍しいのではないだろうか。

11月に大分で行われた日韓次世代映画祭についてのコラムでは、韓国の民俗芸能「パンソリ」が、韓国人の中で忘れかけられていることを指摘して、こうした「消え行くもの」への格別の努力がなされないなら、本当の「韓流の世界化」は無いと指摘している。

明治村と「坊ちゃん」のコラムでは、明治維新と世界大戦敗戦が日本の行き方を変えたと云い、明治村に残された機械類から産業振興のきっかけを読もうとする。どちらも、朝鮮半島では起らなかったことなわけだ。

「他人の世話になったままでは気持がすまない。借りた義理はかならず返さねばおかない」といった明治から昭和にかけて日本人が持っていた生活価値を、ぼっちゃんとヤマアラシのエピソードで紹介しているのは、義理などすっかり忘れて「頂戴する一方」の現代的ちゃっかり(日本も韓国も)を批判したJさん式辛口コメントというわけである。




















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