5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

桜桃の季節

2013-06-20 22:02:14 | たべもの
梅雨前線が下がってきて昨日今日と雨が続いた。カラ梅雨にやっとオシメリということで、ホッとしている人々もいるのだろう。干からびかけた水資源ダムはまだ満杯になるほどの降雨はないという。欲しいところに降らず、いらないところに降るなんてこともよくあるのだ。九州の南には台風がやってきていて、停滞中の梅雨前線を刺激するから明日の西日本は大雨に注意せよという。

外を歩くには傘が要るしスボンや靴がぐしょぬれになるが、その分気温が下がって身体は楽だ。日中が30度を越える真夏日が7日も続いた名古屋地方、昨日は27度、今日は21度だった。

そんな梅雨時の夕食にはアメリカ産のブラックチェリーがデザートに出た。さくらんぼの季節が来たことを輸入品のチェリーで知るというのもまさに今日的だといえる。

初めてブラックチェリーを食べたのはいつの頃だったか。日本のさくらんぼに比べて噛んだときの弾力があり、甘味も強く感じたが、いまでは当たり前の味になってしまった。ひとの味覚なんてのも結構イイカゲンである。

さてさくらんぼに因んだ行事といえば、太宰治の「桜桃忌」。いまから65年前、愛人と入水自殺を図った太宰の遺骸が発見されたのが65年前の昨日、6月19日だった。

折からさくらんぼの季節ということで「桜桃忌」。だれが名づけたかは知らぬがなかなか洒落た名前である。彼の作品には「桜桃」という小説もある。その最後で主人公はこう語る。

「大皿に盛られた桜桃を、極めて不味そうに食べては種を吐き、食べては種を吐き、食べては種を吐き、そうして心の中で虚勢みたいにつぶやく言葉は、子供よりも親が大事」

主人公は実際の太宰自身の反映と考えられるが、そうなると、どうやら太宰はさくらんぼは余り好きではなかったのだろうか。食べては種を吐くというフレーズが3度繰り返されているのが、ヴィヴィッドなイメージを感じさせる。

自分も子供の頃には、さくらんぼを口に含んで、果肉を噛み、残った種を口を膨らましてプッと吹き出す。面白くて止められなかった記憶がある。もちろん「桜桃」主人公の悲哀とはまるで別の楽しい感情である。

あのころは、山形の佐藤錦などという高級ブランドを食べたこともなかったし、もちろん、カリフォルニアチェリーが輸入されてもいなかった。一度に結構たくさん食べたような気がするのだから、あれは何処のさくらんぼだったのだろう。

ああ、もうひとつ思い出した。昔の甘味(ケーキやみつまめやアイスクリームなど)には必ずといっていいほど瓶詰めのチェリーが乗っかってきたものだ。マラスキーノチェリーというやつだから、カクテル用のアクセサリーだったのだろう。赤い染料で染められて、美味い味ではなかったようだ。

さて、今年はどこかから「佐藤錦」が送られてこないだろうか。種蒔きをしていないのだから、やはり、ムリか。



















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