台風が過ぎれば今度は雑草が伸びる。
今日も線路横の土手一面に繁茂する緑を見ながら駅への往来をした。夏にはなかった長い穂の形が独特なエノコログサもいつしか伸びて風に揺れている。
ウィキには、イネ科の一年草、犬の尻尾に似ていることから、いぬっころくさが転じてエノコログサという呼称になったとされ、漢字でも「狗尾草」と表記するのだという説明がある。 全世界の温帯に分布するのだから、如何にもあたりまえの野草である。
猫じゃらしとも言うが、これはその穂を猫の目の前で振ってやると、喜んで(かどうかは知らぬが)戯れて遊ぶことからきた命名だ。
エノコログサも猫じゃらしも野草と人のふれあいの様がその名前にうかがえて楽しいというのは「季語集」の坪内稔典先生。
「行き先はあの道端の猫じゃらし」
という自作の句が先生の座右の銘なのだそうだが、どういう意味の警句なのだろうか。芭蕉は「物いへば唇寒し秋の風」を座右の銘にしたとあるから、それと似た意味でもあるのかもしれない。
台風が行って唐突に伸びてきたもう一つが衆議院の解散・総選挙の話。どうしても独尊的依怙贔屓姿勢が批判される窮地から脱したい首相の心理ではなかろうかと読んでしまいたくなる。
本人の首相によれば今回の解散は「人づくり解散」と位置づけ、教育や子育て支援に対する税金の使い道を拡大、充実させることを公約の柱とするのだそうだが、これで解散の大儀と言えるのだろうか。
坪内先生の座右の銘の意味を考えていて、これは首相の現在の心持ちを言っていると妄想もできそうだなと思えてきた。
道端に生えている猫じゃらしとは、猫の目の様に変化していく国民へのリップサービスのことなのだろうか。聞こえのイイ「人づくり解散」然りだ。NYTに北朝鮮糾弾のオプエド投稿をし、今日は国連総会で全世界に向けて北糾弾演説をぶちかます。世界で頑張る日本の首相のイメージ醸成にぬかりはない。
こうして猫じゃらしを振り回せば、物言わぬ猫たちはこぞって尻尾を振ってじゃれついて来るはずだ。
猫たちとは誰のことかは言うまい。もちろん、坪内先生の句の意味は全く別のところにあるのかもしれない。