京都平和市民連合(平和塾)

反原発&環境保護&反戦平和運動など、様々な京都の市民運動の情報発信のブログ

(紹介企画) 第34回 カライモ学校 開催のお知らせ

2016-03-21 19:09:06 | 関係企画紹介


カライモブックスさんから

残席あり。ご予約お早めに! 

カライモ学校『ワハハ先生、山田真さんの声を聞く~水俣・森永ミルク中毒・福島・こどもなどなど、ワハハと』

話し手=山田真さん(小児科医)、

3月27日13時~16時、

場所=カライモブックス、参加費千円

第34回 カライモ学校

『ワハハ先生、山田真さんの声を聞く~水俣・森永ミルク中毒・福島・こどもなどなど、ワハハと』

話し手 山田真さん
(小児科医・八王子中央診療所所長、「子どもたちを放射能から守る全国小児科医ネットワーク」代表、「障害児を普通学校へ・全国連絡会」の世話人)

日時 3月27日(日)13時~16時

場所 カライモブックス 京都市上京区社横町301 http://www.karaimobooks.com/

参加費 1000円

定員 約20名
 
ご予約ください karaimobooks@gmail.com/075-203-1845(カライモブックス)



ワハハ先生こと、小児科医の山田真さん。
『育育児典』(毛利子来さんとの共著、岩波書店)、『みんなで子育て!』(監修、ジャパンマシニスト)、雑誌『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』(ジャパンマシニスト)…育児のなかで迷ったり心配したり落ち込んだりのときどき、山田さんの言葉にどれだけ支えられてきたことか。
その言葉の奥には、きっとこんな思想があるからでしょう。

三歳児神話も、女性に育児という面倒で不安に満ちた仕事を押しつけるためにつくりだされたものです。
……神話などというものはどんどんつぶしたほうが、みんな生きやすくなるのです。(『みんなで子育て・くらし編』より)

世の中には「常識」といわれるものがあります。辞書には「健全な社会人ならもっているはずのごく普通の知識・判断力」と書かれていますが、ぼくはどうも「健全な社会人」とは思われていないようだし、自分でもそんなものになりたいとも思っていないので、まず常識というものは疑ってかかることにしています。(『みんなで子育て・くらし編』より)

ぼくたちの価値観というものが、いつごろどんなふうにできあがったのか調べるのが好きです。世の中には数えきれないほど沢山沢山、差別があって、「こいつはどうにかならないか」と考えていて、そうするとどうもぼくらの持つ価値観が差別に大きく関係しているのを痛感するからです。たとえば「大きいことはいいことだ」(古いフレーズ!)という価値観が女性差別、人種差別、障害者差別などに関係アリと思います。大相撲だといまは日馬富士、昔は岩風(古い、古い)など“小兵力士”は人気があるし、柔道の醍醐味は小さい人がデカイ人を投げ飛ばすところにもあるのに、ぼくたちの多くは“大きくなりたい”願望を持っているようです。
一寸法師は小さいおかげでお姫さまを救ったのに、そのとたん大きくなって、これは「小さいこと」へ感謝しない裏切り行為ですね。
もっと「小さいこと」や「弱いこと」の利点を見つめたほうがいいと、ぼくたちはずっと雑誌を作ってきました。『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』にこめられているのは価値観を見直そうという呼びかけです。期待してください。(「ちいさい・おおきい・よわい・つよい」ってなんだ?2009年改訂)

小児科医として医療に携われる一方、東大闘争、三里塚、森永ミルク中毒、水俣病、障害者運動、福島…さまざまな差別に向き合い続けてこられました。
さてさて、当日はどんなお話が聞けるでしょう。
質疑応答の時間もありますよ。
どうぞお楽しみに。

講演会に先立ってジャパンマシニスト社から、山田さん著書『闘う小児科医―ワハハ先生の青春』、そして「ぼくが全力投球している雑誌」と言われる『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』(http://karaimobooks.shop-pro.jp/?mode=srh&cid=&keyword=%A4%C1%A1%A6%A4%AA、最新号は110号「そろそろ、自分をいたわって! 30代40代ママのこころ・からだケア」)等々入荷しました。
いずれも新本で販売中です。
育児中でない方も、『闘う小児科医』はぜひ。
「トホホでおちゃめ、まっすぐで熱い生き方」(帯より)に、ついつい、ぐいぐい引き込まれます。
※オンラインショップ、ジャパンマシニスト社の新本の取り扱いについては、→http://karaimobooks.shop-pro.jp/?mode=grp&gid=1345400%E。
※ジャパンマシニスト社の本のご紹介は→ のブログ記事にて。

ジャパンマシニスト社のホームページ→http://www.japama.jp/

3月27日(日)にご講演いただく山田真さんの最新刊『水俣から福島へ 公害の経験を共有する』岩波書店(1900円+税)を、このたび特別に山田さんからお預かりして、販売できることになりました。期間限定、新本で販売いたします!
オンラインショップでも買えます→http://karaimobooks.shop-pro.jp/?pid=100158602

水俣から福島へ 公害の経験を共有する  山田真 岩波書店 2014年1刷

しかし守る会の闘いは、とても厳しい闘いであった。世間の人たちの多くは精密検査の結果を信じて、ヒ素ミルクを飲んだ子どもたちはみんな治ったと思いこんでいたから、守る会を「賠償金ほしさに活動するニセ患者団体」とみなした。森永や行政は、「守る会はユスリ、タカリの団体」と宣伝した。これは今、行政や福島医大によって「放射能による健康被害は起こっていないし、将来も起こらない」と宣伝が行われる中で、健康被害を心配する人が「放射能恐怖症という病にかかった人」とみなされバッシングされる状況に似ている。(水俣から福島へ 公害の経験を共有するより引用)

原爆、水俣病、ビキニ、ヒ素ミルク、そして原発事故―これ以上、人を切り捨て続けると、この国には完全な破局が訪れる。闘う小児科医、渾身の警告。
東電原発事故後、福島の子どもたちのサポートに奔走するのは、森永ヒ素ミルク事件、水俣病の経験があったから。国により切り捨てられようとする人たちとともに歩み、長年、現場で闘い続けてきた医師が、自らの実践を顧みつつ、行政・企業・専門家により繰り返されてきた同根の問題に迫る。

山田真さんとパートナーで同じく小児科医の梅村浄さんのとってもよいインタビュー記事が読めます→
http://www.town-t.com/article.php?i=299 …

 東日本大震災以降は、福島での医療相談会、西東京市内での市民放射能測定所の運営などにも奔走されている。活動への思いや放射能に対する考えをうかがった

大津地裁高浜3、4号機運転禁止仮処分決定に関する声明

2016-03-10 13:48:30 | 反原発運動情報
                              2016年3月10日

大津地裁高浜3、4号機運転禁止仮処分決定に関する声明

 2016年3月9日、大津地裁(山本善彦裁判長、小川紀代子裁判官、平瀬弘子裁判官)は、関西電力高浜原発3、4号機の運転を禁止する仮処分決定を行い、10日にも3号炉は運転を停止するとされる。トラブルで停止中の4号炉と併せ、同原発は運転を停止することとなる。
 現に運転中の原発に対して運転を禁止する仮処分決定が出され、現実に運転を停止させるのは今回の決定がはじめてである。まさに、司法が市民から付託された力を用いて、原発事故による災害から住民の命と健康を守ったのである。
 
 この決定は、まず判断基準の枠組みとして次のように判示する。
「債務者において,依拠した根拠,資料等を明らかにすべきであり,その主張及び疎明が尽くされない場合には,電力会社の判断に不合理な点があることが事実上推認されるものというべきである。
 しかも,本件は,福島第一原子力発電所事故を踏まえ,原子力規制行政に大幅な改変が加えられた後の(前提事実(7)) 事案であるから,債務者は,福島第一原子力発電所事故を踏まえ,原子力規制行政がどのように変化し,その結果,本件各原発の設計や運転のための規制が具体的にどのように強化され,債務者がこの要請にどのように応えたかについて,主張及び疎明を尽くすべきである。」(決定文43頁)
 「当裁判所は,当裁判所において原子力規制委員会での議論を再現することを求めるものではないし,原子力規制委員会に代わって判断すべきであると考えるものでもないが,新規制基準の制定過程における重要な議論や,議論を踏まえた改善点,本件各原発の審査において問題となった点,その考慮結果等について,債務者が道筋や考え方を主張し,重要な事実に関する資料についてその基礎データを提供することは,必要であると考える。そして,これらの作業は,債務者が既に原子力規制委員会において実施したものと考えられるから,その提供が困難であるとはいえないこと,本件が仮処分であることから,これらの主張や疎明資料の提供は,速やかになされなければならず,かつ,およそ1年の審理期間を費やすことで,基本的には提供することが可能なものであると判断する。」(決定文43頁)との基本的な枠組みを提示している。我々が求めてきた判断の枠組みを福島原発事故の重い現実を踏まえて肯定したものであり、正当な判断枠組みである。

 そして、原発の安全性をめぐる過酷事故対策(争点2)、耐震性能(争点3)、津波に対する安全性能(争点4)、テロ対策(争点5)、避難計画(争点6)の5つの争点のうち、テロ対策を除く4つの争点に関して、安全性は疎明されていないとして、裁判所は運転の差し止めを認めた。

 まず、過酷事故対策に関しては、「福島第一原子力発電所事故の原因究明は,建屋内での調査が進んでおらず,今なお道半ばの状況であり,本件の主張及び疎明の状況に照らせば,津波を主たる原因として特定し得たとしてよいのかも不明である。その災禍の甚大さに真撃に向き合い二度と同様の事故発生を防ぐとの見地から安全確保対策を講ずるには,原因究明を徹底的に行うことが不可欠である。この点についての債務者の主張及び疎明は未だ不十分な状態にあるにもかかわらず,この点に意を払わないのであれば,そしてこのような姿勢が,債務者ひいては原子力規制委員会の姿勢であるとするならば,そもそも新規制基準策定に向かう姿勢に非常に不安を覚えるものといわざるを得ない。」(決定文44頁)とした。 福島原発事故の事故原因が完全に明らかになっていないとの認識を示したものである。
 つづいて、
 「福島第一原子力発電所事故の経過(前提事実(6)イ)からすれば,同発電所における安全確保対策が不十分であったことは明らかである。そのうち,どれが最も大きな原因であったかについて,仮に,津波対策であったとしても,東京電力がその安全確保対策の必要性を認識してさえいれば,同発電所において津波対策の改善を図ることが不可能あるいは極度に困難であったとは考えられず,防潮堤の建設,非常用ディーゼル発電機の設置場所の改善,補助給水装置の機能確保等,可能な対策を講じることができたはずである。しかし,実際には,そのような対策は講じられなかった。このことは,少なくとも東京電力や,その規制機関であった原子力安全・保安院において,そのような対策が実際に必要であるとの認識を持つことができなかったことを意味している。現時点において,対策を講じる必要性を認識できないという上記同様の事態が,上記の津波対策に限られており他の要素の対策は全て検討し尽くされたのかは不明であり,それら検討すべき要素についてはいずれも審査基準に反映されており,かつ基準内容についても不明確な点がないことについて債務者において主張及び疎明がなされるべきである。」(決定文44頁)とし、非常用電源と使用済み燃料ピットの冷却設備について、安全性の疎明が不十分であるとした。
 
 住民側が、もっとも力を入れて主張してきた耐震性能の確保については、「敷地ごとに震源を特定して策定する地震動を検討する方法自体は,従前の規制から引き続いて採用されている方法であるが,これを主たる考慮要素とするのであれば,現在の科学的知見の到達点として,ある地点(敷地)に影響を及ぼす地震を発生させる可能性がある断層の存在が相当程度確実に知られていることが前提となる。そして,債務者は,債務者の調査の中から,本件各原発付近の既知の活断層の15個のうち, FO-A ~FO-B~熊川断層及び上林川断層を最も危険なものとして取り上げ,かつこれらの断層については,その評価において,原子力規制委員会における審査の過程を踏まえ,連動の可能性を高めに,又は断層の長さを長めに設定したとする。しかしながら,債務者の調査が海底を含む周辺領域全てにおいて徹底的に行われたわけではなく( 地質内部の調査を外部から徹底的に行ったと評価することは難しい。),それが現段階の科学技術力では最大限の調査であったとすれば,その調査の結果によっても,断層が連動して動く可能性を否定できず,あるいは末端を確定的に定められなかったのであるから,このような評価(連動想定,長め想定)をしたからといって,安全余裕をとったといえるものではない。また,海域にあるFO-B断層の西端が,債務者主張の地点で終了していることについては, (原子力規制委員会に対してはともかくとしても)当裁判所に十分な資料は提供されていない。債務者は,当裁判所の審理の終了直前である平成28年1月になって,疎明資料(乙132~136等)を提供するものの,この資料によっても,上記の事情(西端の終了地点)は不明であるといわざるを得ない。」(決定文48頁~49頁)
「(3) 次に,債務者は,このように選定された断層の長さに基づいて,その地震力を想定するものとして,応答スペクトルの策定の前提として,松田式を選択している。松田式が地震規模の想定に有益であることは当裁判所も否定するものではないが,松田式の基となったのはわずか14地震であるから,このサンプル量の少なさからすると,科学的に異論のない公式と考えることはできず,不確定要素を多分に有するものの現段階においては一つの拠り所とし得る資料とみるべきものである。したがって,新規制基準が松田式を基に置きながらより安全側に検討するものであるとしても,それだけでは不合理な点がないとはいえないのであり,相当な根拠,資料に基づき主張及び疎明をすべきところ,松田式が想定される地震力のおおむね最大を与えるものであると認めるに十分な資料はない。また,債務者は,応答スペクトルの策定過程において耐専式を用い,近年の内陸地殻内地震に関して,耐専スペクトルと実際の観測記録の乖離は,それぞれの地震の特性によるものであると主張するが,そのような乖離が存在するのであれば,耐専式の与える応答スベクトルが予測される応答スベクトルの最大値に近いものであることを裏付けることができているのか,疑問が残るところである。」(決定文49頁~50頁)と判示している。
 また、「債務者のいう,地震という一つの物理現象についての「最も確からしい姿」(乙16 ・53頁)とは,起こり得る地震のどの程度の状況を含むものであるのかを明らかにしていないし,起こり得る地震の標準的・平均的な姿よりも大きくなるような地域性が存する可能性を示すデータは特段得られていないとの主張に至っては,断層モデルにおいて前提とするパラメータが,本件各原発の敷地付近と全く同じであることを意味するとは考えられず,採用することはできない。ここで債務者のいう「最も確からしい姿」や「平均的な姿」という言葉の趣旨や,債務者の主張する地域性の内容について,その平均性を裏付けるに足りる資料は,見当たらない。」(決定文50頁~51頁)とした。
 この部分の判示は、現在全国の原発訴訟において、中心的な論点として真剣に議論されている論点に関し、住民側が主張してきた事実と論理を認めたものであり、その影響は全国に波及するものと評価できる。

 続いて、津波に関する安全性の確保に関しては、「西暦1586年の天正地震に関する事項の記載された古文書に若狭に大津波が押し寄せ多くの人が死亡した旨の記載があるように,この地震の震源が海底であったか否かである点であるが,確かに,これが確実に海底であったとまで考えるべき資料はない。しかしながら,海岸から500mほど内陸で津波堆積物を確認したとの報告もみられ,債務者が行った津波堆積物調査や,ボーリング調査の結果によって,大規模な津波が発生したとは考えられないとまでいってよいか,疑問なしとしない。」(決定文52頁~42頁)として、安全性は疎明されていないとした。

 さらに、避難計画について次のように重要な判示を示した。
 「本件各原発の近隣地方公共団体においては,地域防災計画を策定し,過酷事故が生じた場合の避難経路を定めたり,広域避難のあり方を検討しているところである。これらは,債務者の義務として直接に関われるべき義務ではないものの,福島第一原子力発電所事故を経験した我が国民は,事故発生時に影響の及ぶ範囲の圧倒的な広さとその避難に大きな混乱が生じたことを知悉している。安全確保対策としてその不安に応えるためにも,地方公共団体個々によるよりは,国家主導での具体的で可視的な避難計画が早急に策定されることが必要であり,この避難計画をも視野に入れた幅広い規制基準が望まれるばかりか,それ以上に,過酷事故を経た現時点においては,そのような基準を策定すべき信義則上の義務が国家には発生しているといってもよいのではないだろうか。このような状況を踏まえるならば,債務者には,万一の事故発生時の責任は誰が負うのかを明瞭にするとともに,新規制基準を満たせば十分とするだけでなく,その外延を構成する避難計画を含んだ安全確保対策にも意を払う必要があり,その点に不合理な点がないかを相当な根拠資料に基づき主張及び疎明する必要があるものと思料する。しかるに,保全の段階においては,同主張及び疎明は尽くされていない。」(52~53頁)としている。
 避難計画の問題が、規制委員会の判断の対象外とされていることを前提として、国家主導の具体的で可視的な避難計画の策定が必要であり、過酷事故を経た現時点では信義則上の義務が国にはあるとの立場を示したものである。諸外国では当然とされている考え方ではあるが、このような考え方が日本では採用されていないことの不合理を明確に指摘したものであり、画期的な判断である。
 
 大津地裁決定は、市民の意識の変化に対応して、司法も大きく変化してきていることを明確に示した。福島原発事故のような深刻な災害を二度と繰り返してはならない、そのため安全性が確実に疎明されていない原発の再稼働は認められないということを、公平、冷静に、かつ明確に宣言したものといえる。
 政府は、原発をベースロード電源に位置づけるようなエネルギー基本計画こそが非現実的なものであり、これを転換させることこそ現実的であることを認識しなければならない。また、政府と原子力規制委員会は、この決定の指摘を重く受け止め、新規制基準を根本から見直し、また避難計画の問題を規制に明確に取り込むべきである。
 脱原発弁護団全国連絡会は、この決定を心から歓迎し、このような決定を下した裁判所に深い敬意を表するとともに、この決定を導いた原告団、弁護団の努力に深く感謝する。
 そして、全国の市民の脱原発を願う運動と深く連動して、全国の原発を司法の力で止めていくための闘いを全力で展開していくことを宣言する。

                                           以上
          
                      脱原発弁護団全国連絡会
                                   共同代表 河合 弘之

                                     同  海渡 雄一




シンポジウム「現代世界――欧州・中東――を《文学》から考える」のご案内

2016-03-04 07:59:54 | 平和・環境・人権 


みなさま、

京都大学の岡真理です。
先日は、シリア人医師バハー・キーラーニーさんの講演会「シリアのいま」、超ショートノーティスにもかかわらず、お越しくださったみなさま、どうもありがとうございました。
(これについては、追って、報告と感想を流せれば…と思っております)

さて、今日は、シンポジウムのご案内です。
2008年に中東現代文学研究会を立ち上げ、かれこれ8年余り、活動を続けています。
その中東現代文学研究会の主催で、3月19日(土)、京都大学を会場に、シンポジウム「現代世界――欧州・中東――を《文学》から考える」を開催いたします。

プログラム http://www.h.kyoto-u.ac.jp/topics/2016/02/319.php
フライヤー http://www.h.kyoto-u.ac.jp/jinkan/topics/20160319.pdf

昨年2015年は、パリのシャルリー・エブド襲撃事件で始まり、夏には、中東から欧州に押し寄せる難民たち――その大半がシリア内戦による難民たちです――の問題が連日、マスメディアで報じられ、そして11月には、パリで同時襲撃事件が起こりました。
シリア内戦では、この5年間に、すでに25万人が殺され、人口2400万のうち半数が国内外で難民となっています。

このような事態を前に、私たち、文学研究者にできることがなにか、あるでしょうか。

現在、中東や欧州で現在進行形で生起している出来事自体を著した長編小説はまだ書かれてません(それが書かれるとしたら、まだまだ先のことになるでしょう)。
しかし、短編小説であれば、包囲下の街で書かれ、ネットで発信されています。
また、すでに書かれた作品を通して、現在、起きている出来事の背景や、これらの苦難を今、生きている者たちがどのような人々であり、どのような思いで生きてきたのかを知ることができます。
一言で言えば、私たちは文学を通して、「人間としての」彼らに出会うことができる。
現代世界でいま、起きている出来事を、《文学》を通して、《人間の》経験として考えることができるのです。

人間として出会うこと――
人間性を踏みにじり、人間を間化する出来事を生きている者たちであるからこそ、今、その彼らに、私たちが「人間として出会うこと」が何にも増して必要であり、そして、それゆえに、現代世界で生起していることを私たちが理解する上で、政治学的、社会学的な分析と同じくらい――あるいは、もしかしたら、それ以上に――、私たちは文学を必要としているのではないかと思量いたします。

そのような思いで、今回のシンポジウムを企画いたしました。
クルディスタン、シリア、ドイツ、フランス…、今、問題の舞台となっているこれら地域に焦点を当て、クルド文学、アラブ文学、ドイツ文学、フランス文学の翻訳・研究に携わる5名が、それぞれに、具体的な文学作品をとりあげて、それらを通して、マスメディアの報道等では触れ得なかった新たな視点からこれらの問題について語ります。問題を、ニュースや情報として消費するのではなく、人間の問題として受け止めるために――。

今こそ文学を。
みなさまのご来場を心よりお待ち申し上げております。

以下、シンポジウムの詳細です
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シンポジウム
「現代世界 ― 欧州・中東 ― を 《文学》 から考える」
http://www.h.kyoto-u.ac.jp/topics/2016/02/319.php
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日時:2016年 3 月19 日(土曜日)13:30 -17:30 (13:30開場)

会場:京都大学(吉田南キャンパス)人間・環境学研究科棟地下講義室
   会場マップ http://www.h.kyoto-u.ac.jp/access/

※案内表示などはとくに立てませんので、キャンパスマップで建物の位置をじゅうぶんご確認の上、ご来場ください。
※ただし、地図には反映されていませんが、グランドの南側に新しい建物ができました。会場は、その新しい建物の南側の建物です。
※正門および西南門の入り口にもキャンパスマップがあります。

参加費 無料(申し込み不要) 

プログラム
※講演タイトルの下は、講演でとりあげる作家・作品名です。

Ⅰ.総論 13:30‐14:00
岡 真理(京都大学、アラブ文学) 「文学、この迂遠なるもの」  

Ⅱ.各論(1)―中東編 14:00‐15:00
1.トルコのクルド人  
磯部加代子(トルコ語クルド文学翻訳家)
「囚われの故郷で  ―忘却の民の叫びと沈黙 」 
ブルハン・ソンメズ『イスタンブル、イスタンブル』

2.シリア ― 民衆蜂起と内戦 
森 晋太郎(アラビア語通訳・翻訳者、東京外国語大学)
「牢獄の壁の落書 ― 包囲下の街で」
ムスタファー・ムーサー「なんていい人たち」『虐殺の花瓶』など

Ⅲ.各論(2)―欧州編 15:15-16:15
3.ドイツの中東移民
鈴木克己(東京慈恵会医科大学、ドイツ文学) 
「もうひとつの冬物語 ―望郷、追われし者の心の疼き」
ラフィク・シャミ『ゾフィア、すべての出来事のはじまり』 
 
4.フランスのマグレブ系移民 
石川清子(静岡文化芸術大学、フランス文学) 
「〈憎しみ〉や〈服従〉から遠く離れて―はざま、亀裂としての〈郊外〉を読む」  
レイラ・セバール『ファティマ、辻公園のアルジェリア女たち』、ヤミナ・ベンギギ『移民の記憶』

Ⅳ.パネルディスカッション 16:15‐17:30

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主 催:中東現代文学研究会 / 人間・環境学研究科 学際教育研究部
科学研究費基盤研究(C)「中東現代文学における「ワタン(祖国)」表象とその分析」
問合せ: PJ21kyoto@gmail.com
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以上