サキさんの介護日記     (若年性認知症の妻との記憶)

若年性認知症の妻。今までの介護の記憶と、現在の様子を気分のままに書いていきます。

兄ちゃんの百か日法要

2016年07月18日 22時08分25秒 | 私の日記
今日は4月に亡くなった西尾の兄ちゃんの百日法要の日。
朝8時に家を出て、西尾についたのは10時30分。2時間半の運転、目が疲れた(特に左目)。眼は疲れたが、雲一つない青空で気持ちよく運転できた。(葬儀の時は土砂降りだったな)
無事に法要も終わり、実家も処分することになり、父ちゃん、母ちゃんの位牌もお寺さんに納めてもらった。寂しいが実家を守るものがいない以上、処分するしかない。いろいろ手続きに動き回ってくれた、姉ちゃん、豊兄ちゃん、そして豊兄ちゃんの奥さん、本当にお疲れ様でした。まだまだ続きますが、よろしくお願いします。

兄ちゃんが亡くなった後の処理をうまいことまとめてくれたのは、間違いなく豊兄ちゃんの奥さんだ。もし、みんなが独身で、残った4人の兄弟だけで処理していたら、とんでもないことになっていたような気がする。
「ま~、めんどくさいで、ほっといたら市かどっかが、適当に処分してくれるだら」
みたいな感じで誰も真剣に動こうとはしなかった気がする。やっぱり、結婚していろんな血がまじりあうことは大切なんだなと実感した。結婚するときは、出来るだけ性格の違う人を選ぶべきだ。そうすることで多様性が生まれる。そんな気がします。めんどくさがりで、雑な性格で、なんとかなるだら~という他力本願の澤井さん家の兄弟だけではきっと処理しきれなかったはずです。

法要の後、みんなで昼食をとり、いろんな話をしました。やっぱり、父ちゃん、母ちゃんのことで知らないことがいっぱいありました。
父ちゃんは「欣五」という名前なのに、5男ではなく6男だった。
父ちゃんは戦争に行っていた。伍長だったらしい。
母ちゃんは、父ちゃんの暴力(酔ったうえでの)で家出したことがある
豊兄ちゃん(次男)と弘兄ちゃん(3男)がケンカし、弘兄ちゃんが包丁を持って豊兄ちゃんを追いかけまわしたこと。
初めて聞くような、衝撃的な話ばかりでした。もっと早く聞いておけばよかったな。
今度の8月の初盆の時も、またいろいろ聞いてみよう。まだまだ知らない話が出てくるかもしれない。

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