goo blog サービス終了のお知らせ 

礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

私だけが「ソ連は参戦する」という見解だった(尾形昭二)

2025-04-11 03:23:12 | コラムと名言
◎私だけが「ソ連は参戦する」という見解だった(尾形昭二)

 部屋の片づけをしていたところ、『人物往来』の第5巻第2号(1956年2月)が出てきた。「昭和秘史・戦争の素顔」という特集になっている。
 この特集号から、
尾形昭二(当時・外務省調査局ソ連課長)が執筆した「謀略の陥穽・日ソ中立条約」と題された記事を紹介してみたい。

   謀略の陥穽・日ソ中立条約
    ――条約廃棄によりソ連参戦必至を叫ぴ失笑を
        買った筆者は当時外務省ソ連課長! まん
          まと計略に踊った露国外交の裏面を公表

                  尾 形 昭 二【おがたしようじ】

  小 田 原 評 定 以 下
 陽ざしは温いが、肌寒い会議だった。
 昭和二十年〔1945〕の桜もたけなわの四月の上旬。場所は外務省の会議室。主宰者は小磯〔国昭〕の「時の人」今と同じ重光〔葵〕外務大臣。参加者は当時の外務次官、現駐英大使西春彦、当時の政務局長、現駐土〔トルコ〕大使上村伸一〈カミムラ・シンイチ〉、当時の欧亜局長、現駐メキシコ大使久保田貫一郎、当時の調査局ソ連課長の私、それにロシア通というので特に招請された今は故人の元駐ソ大使館参事官、元駐波〔ポーランド〕大使の酒匂秀一〈サカワ・シュウイチ〉。議題はほかでもない。去る四月五日附でソ連外相モロトフからわが駐ソ佐藤〔尚武〕大使に手交された「日ソ中立条約廃棄にかんする覚書」の意義。具体的にいうと、ソ連は同条約の有効期限である翌昭和二十一年〔1946〕の四月まで中立を守るかどうかであった。
 会議は重苦しい雰囲気のうちにすすめられた。もはや敗戦の色は濃く、日本がもちこたえられるかどうかが、ソ連が中立を守ってくれるどうかに多分にかかっていたからである。会議は一時間以上もつづいた。そして私をのぞく全員の意見は、ソ連は条約の有効期限中は中立を守るだろうというにあった。ただ私だけが「ソ連は参戦する」という見解だった。だがそれは一座の「失笑」をかっただけで、会議は日本に望ましい結論でおわった。だがこの観測は、見事にはずれたのである。〈95ページ〉【以下、次回】

 最初のほうに、「今と同じ重光外務大臣」とある。この「今」とは、言うまでもなく、この特集号が発刊されたときの「今」である。重光葵(しげみつ・まもる)は、当時、第三次鳩山一郎内閣で外務大臣(第77代)の職にあった。

*このブログの人気記事 2025・4・11(9・10位は、ともに久しぶり)
  • しかして看読写作の四者ともに全し(曾国藩)
  • 武内義雄による『曾文正公家訓』の紹介
  • 心事の一端を申上げました(河上肇)
  • 引揚げ前、京都で博士にお目にかゝることが出来た...
  • 人間ヲ道徳的ニ向上セシムル物ハ凡テ富(河上肇)
  • 細かい心使ひに博士の人柄が現はれてゐる(小島祐馬)
  • 狩野直喜博士が見えられ雑話された(河上肇)
  • 『曾文正公家訓』中の手紙は校勘されている(小島...
  • A級戦犯の死刑執行に、なぜ「絞首」が選ばれたのか
  • 血液型別かかりやすい病気と浅田一博士



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« しかして看読写作の四者とも... | トップ | 重光外相を中心とする外務省... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。

コラムと名言」カテゴリの最新記事