礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

M新聞の野口至淏がこの陰謀に関わっている

2017-12-11 03:08:21 | コラムと名言

◎M新聞の野口至淏がこの陰謀に関わっている

 森脇将光著『三年の歴史』(森脇文庫、一九五五)から、「花三輪」という文章を紹介している。本日は、その後半。昨日、紹介した箇所のあと、一行あけて、次のように続く。

 さてこうして、若き日の憧れの夢三つのうち〝ゾラの生涯〟と〝ロスチャイルド〟の二つのことを曲りなりにも実現していながら、この三年のうちに残りの一つ〝ジークフリード〟が実現していないことが淋しかった。
 昭和三十年〔一九五五〕九月二十一日、雨降る朝三時過ぎ目ざめた私は、考えるともなく、何くれとなく考えつづけているうちに、九月十八日は私の提訴に基づく告訴事実が、河井〔信太郎〕検事により取上げられ、最初に呼出しをうけた満二周年の記念日であり、つゞいて九月十九日は浅見検事の取調の結果、嫌疑無しの処分により釈放され青天白日の身となった満三周年の記念日である。
 そしてまた昨年のこの日は、その前夜、十四号台風、雨風と吹きまくって、「金文字の歌」の原作の生れた日でもある。
 そんなことから、私の感情のうちに、過去一年、二年、三年をふりかえってみる、意欲の振幅が昻まっていたためであろう。かすかな影像が、ぼんやりと私の頭に浮びはじめた。
 それは無事釈放されて、わが家に帰った数日後、妻が一枚の新聞を私に示したときの情景であった。
「――実はまえから貴方にお話しようしようと、思っていましたが、毎日悩んでいらっししゃる貴方を見るとどうしても云えず、とうとうきょうまで来てしまいましたが、これをごらんになって下さい」
 と二枚の毎日新聞を私てさし出した。見ると一枚は〝利息の魔術師〟もう一枚は〝森脇をめぐる六人の女〟と大見出しであることないこと書きまくってある。
 妻は言葉をつづけて、
「あなたがこう留不在中に、私がこの新聞を読んでいるところへ、ちょうど松島弁護士が来られたので、私は欝憤のやり場なく、先生に、
『毎日新聞が何だってこんな、私行上のあることないことを力みかえって書くのでしょう。それも半分は本当で、半分は嘘のことです。それでも主人がやったことであるならそれは露ほども、抗議しようとする積りなどないのですが、あの記事の中に、本妻が二号の子供をひきとって育てているという一節だけは、私は母として限りない憎悪を感じてなりません。そもそもその二号が主人の手もとを逃げるとき、当時二才になる幼児を置き去りにして出て行ったので、私は見るにみかねて、主人も可哀想なら、この子もなおさら可哀想とそれ以来私の子として入籍し、真実のわが子とも思い恩讐をこえて育て、いつくしみ、もう七才ともなったのです。今では愛情といいますか、母なき子であるという同情もひとしお手伝って、本当のわが子以上に目をかけて、育ててきました。子供心に、――この世に私こそ真実の母親であると信じてわが侭もいゝ、甘ったれもしているものを……そんなこまやかな愛情に結ばれた母と子の実在を、何故真実の子でないと社会に発表しなければならないのでしよう。すやすやと伸びゆく子供心にまで、ヒビを入らすような記事を書くとは、何としても納得がゆきません』
 こう語って私は、その場へ哭き崩れてしまいました。
『……戦後、児童憲章まで発布され、児童愛護の心ゆたかに流れる今の時代に、天下の公器である大新聞がこれを無視するとは何ごとでしょう。あまりといえばあまりな、沙汰の限りではないでしょうか。子供の通う日本橋の常盤小学校でも、校長はじめ先生方があの記事を見て、――こんなことを新聞が書いていゝものか――と鳩首協議されじとも聞き及んています。わざわざ受持の先生が私をなぐさめ、激励するため、訪問して下さったほどでした。子供は学校でお友達から何だ、かだとひやかされて、学校へ行くのさえいやだと云いだしたのです』
 こんな話を松島先生に云うと、先生は、
『奥さんのおっしゃることは尤もですよ、新憲法下ともなり、児童憲章も出来た今日、大新聞としてはつつしむべきことだと思います。奥さんもなかなか御苦労なさいますなア』と慰めて下さいました」
 と私にいうのであった。更に妻はつゞけて、
「あなたが釈放になって出て来られたときも、学校で友だちから『君を釈放してやろうか』などといってこづかれたらしいのですよ。本当に可哀想でした」
 それを聞いた私は、妻のいうことに一応尤もな筋もあり、その当時はすでに毎日新聞社会部副部長野口至淏が、この陰謀に重大な役割を演じていることをほゞ察知していたので、この二回にわたる記事にも、相当の裏の裏があることがうなづかれ、妻と同様無限の憎悪と怒りを感ぜずにはおれなかった。そしてそのとき――今にみろ天下の母に代って、その怒りを思い知らしてやる――人知れず悲憤の決意を固めていた私であった。
 それから私ば私なりに、彼がなした悪事の段々を、虱つぶしに探査して検察陣に上申し、彼は遂に逮捕こう留の身となり、贈賄罪と商法上の収賄罪で起訴され、目下保釈中の身であることが、ほうふつとしてきた。
  ジークフリードと私
 そうした影像が、くっきりと私の脳裡に浮彫〈ウキボリ〉されてきた瞬間、妻が泣き崩れて訴えた愁嘆の憤りを、見事〈ミゴト〉彼らに思い知らしたのだと、しかも天下の母に代って誓ったそのときの決意を、見事成就したのであった。
〝ジークフリード〟の場合は、その仇を妻が討ち、私の場合は妻の仇を夫が討つ、その相違こそあれ、意味するものは同一である。
 この日早暁〈ソウギョウ〉万民いまだ眠るさ中に若き青春の夢三つを見事しおゝせていることに、気づくことが出来た。
 そう考え及んでくると、二十八年〔一九五三〕暮迫るとき、河井検事との人生雑談で、偶然口走った若き日の三つの想い出が、三星霜の間に意思するまでもなかったが、めでたく成就されていたのであった。これもまた偶然といえば、またあまりにも遇然な運命的な出来ごとではなかろうか。
 その朝の大気にふれて、私は胸ふくらます思いがした。

 八日に紹介した「河井検事との人生雑談に想う」、及び九日、一〇日の両日に紹介した「花三輪」において、森脇将光は、三つの映画に影響を受けた旨を述べていた。このうち、『ゾラの生涯』は、DVD化されており、今日でも、容易に鑑賞できる。
 森脇が『ロスチャイルド』と言っているのは、たぶん、ナチ・ドイツ製作の映画『ロスチャイルド家』(一九四〇)のことであろう。ナチ・ドイツにとって、これは反ユダヤのプロパガンダ映画だったとされている。しかし、少なくとも森脇にとっては、この映画は、反ユダヤ映画ではなかった。破産の危機に瀕したネイサン・メイアー・ロスチャイルドが、妻の支えによって、気をとりなおし、ついに大富豪になるという成功物語として、森脇は、この映画を鑑賞したのである。
 森脇が『ジークフリード』と言っているのは、ドイツ映画『ニーベルンゲン ジークフリード』(一九二四)のことであろう。有名なニーベルンゲン物語の前半を映画化したものだという。

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