礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

美濃部達吉博士の弟子は師の学説を忌憚なく批判した

2018-11-17 01:30:18 | コラムと名言

◎美濃部達吉博士の弟子は師の学説を忌憚なく批判した

 鵜飼信成『司法審査と人権の法理』(有斐閣、一九八四年七月)から、その「あとがき」を紹介している。本日は、その三回目(最後)。本日、紹介するのは、「あとがき」の「Ⅳ」の後半である(四〇七~四〇九ページ)。
 引用者注は、【 】で示した。引用文中にある〔 〕は、原文にあったものである。

 このような意味で、先生【美濃部達吉】の憲法理念は、新体制の中に安定したもののように見えたが、先生の没後、占領軍の管理統治体制が終了すると共に、追放解除、それにいわゆる逆コースが次々と効果を現わし、今やわれわれがもう一度民主主義の基本理念を追究し直さねばならないという危機に当面している。私はこの意味でいわゆる伝統的憲法学の再評価を試みるべきだと思っている。それが最後の論文「伝統的憲法学の意義と限界」であるが、その前にもう一編「美濃部先生の比較憲法史的研究」というものを見ておきたい。美濃部先生が、歴史を基礎にした比較法研究に関心をもっておられたことは、そのドイツ留学の経緯を見ても知られるところだが(美濃部達吉「退官雑筆」『議会政治の検討』昭和九年、五八四頁)、それが明治憲法の歴史的位置づけをはっきり捉えて、その解釈論を展開されていることは、今日先生を再評価するに当たって欠くことのできない視点である。
 明治憲法は歴史の中間地点に立っていた。それは、明治初期の官僚的独善的政府から、明治期・大正期にかけての開明的・民主主義的政府への転換期に当たって、この両者をどう処置するかの政治的抗争のさ中に位置していた。この時に当たって、最も強く後者の立場に立って、大日本帝国憲法の解釈論を展開された学者は決して少なくなかったが、その中でも傑出した一人が他ならぬ美濃部先生であった。先生が機関説問題の渦中に立たされ、貴族院議員を辞任されるという悲劇的な結末を迎えるにいたって、なお毅然としてその学説を変えず、ついには暴漢にピストルで射撃されるという事態に立ちいたっても、依然として書斎にこもって執筆を続けられた態度には、頭の下がる思いがする。
 今日の日本国憲法はかなり広い範囲で基本的人権を認めており、それは今日の有能な憲法学者たちの、たゆまざる努力によることの多いことは認めざるを得ないが、現代と比べてはるかに客観的な条件の悪い事態の下で、今日の民主主義の基礎を築かれた先生の理論の一端を、先生を追悼する雑誌の中に書かせて頂いたことに深く感謝したい。
 最後の「伝統的憲法学の意義と限界――美濃部・佐々木学説の評価」は、右のような伝統的憲法学――具体的にいえば、美濃部・佐々木両博士を中心とする学派――の意義を再評価しようとする試みである。美濃部博士と佐々木【惣一】博士の間にはその弟子の構成にかなり顕著な違いがあって、美濃部博士の弟子たちは先生の学説を忌憚なく批評しているので――例えば、宮沢【俊義】教授は先生の代表の観念を強く批判し(美濃部教授還暦『公法学の諸問題』昭和九年、所載の「国民代表の観念」)、田中二郎教授は公物の時効取得の問題について美濃部先生と激しい論争を交わされた(田中二郎「公物の時効取得」民商法雑誌三巻一〇号〔昭和一〇年〕所載)、先生の弟子たちの間には学問的に可成り自由な空気が満ち充ちていたのに対し、佐々木先生の弟子たちの間には、先生を中心に一致団結して宿敵官僚主義と戦うという気概が現われていた。
 私は、美濃部学説、佐々木学説の今後の運命について、軽々に予言をしようとは思わない。しかし、これらの学派の自由のための戦いが、今日の日本の礎を定め、未来への発展の足がかりを残した功績は、はっきりと評価しておく必要があることを信じて疑わないものである。
【一行アキ】
 最後に、このささやかな論文集をまとめるに当たって、東京大学助教授渡辺治君に格別の援助を頂いたことを感謝したい。同君は収録各論文を徹底的に点検し、引用文の出典を明らかにし、行文の不明瞭なものについてはこれを正し、最後に全編を整理して、読者諸氏の今日見られるような体系に整えて下さった。もちろん内容に関する異論は多多あったようであるが、これには目をつぶって専ら整理にのみ集中された努力には、満腔の謝意を献げるのにやぶさかではない。この他、在外研究から帰国早々の専修大学助教授石村修君の御助力を得たことにも深く感謝したい。
 有斐閣の方々、とくに編集部長の大橋祥次郎さんと編集部の大井文夫さんには、出版全般にわたって並々ならぬ御世話を頂いた。またこの小著については、筆者が研究生活の初期に一四年半に亘ってお世話になった東京大学社会科学研究所所員の皆さん、中でも公法関係の高柳信一、渓内謙、奥平康弘の方々の御好意は忘れがたい。録して心からの謝意を表したい。
 これらのささやかな論文が、危機に面している日本国憲法の健全な未来への発展に少しでもお役に立つことを祈って筆をおく。
  一九八四年七月四日     鵜 飼 信 成

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