礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

大正期農村の性的風儀

2012-06-24 06:05:39 | 日記

◎大正期農村の性的風儀

 

 一昨日に続けて、農学博士・小野武夫のエッセイを紹介したい。出典は、『村の辻を往く』(民友社、一九二六)。

 やたら漢字が多く、文章も古臭い印象を与えるかもしれないが、それでもこの時期の文章としては破格に読みやすく、論旨も明快である。ここで、小野がしきりに心配しているのは、男女間の性的風儀ではなく、村民の利己心であることは解説するまでもなかろう。

 いくつか注記したいことがあるが、今回は二つだけ。小野武夫の出身は大分県なので、文中にある「子供の時」の話は、大分の話であろう。また、「井路」というのは水路のことである。その読みは、各地で異なるようだが、ここでは〈イロ〉としておいた(大分では〈イロ〉と読むらしいので)。その他、疑問の点などは、お問い合わせいただければ、お答えできる範囲でお答えしたい。

 

村の風儀        農学博士 小野 武夫

 

 時代が遷り〈ウツリ〉変ると共に、村の民風〈ミンプウ〉にも変遷がある。大体から云ふと、以前は村の青年の性的風儀が乱れて、結婚前に私生児の生れることを何とも思はぬ村方も一あつたが、男女の風儀は此〈コノ〉近年に至り段々改善せられて、以前のやうな乱れた話は聞くことが少くなつた。随つて〈シタガッテ〉村の鎮守の祭典の夜に、青年男女が性の解放をすると云ふやうなことは、実際に見聞することは尠く〈スクナク〉なつた。明治の半頃迄〈ナカバゴロマデ〉は何々村の〇〇市とか、何処〈イズコ〉の国の茅切り〈カヤキリ〉市だとか、又は何々祭の藪入り〈ヤブイリ〉とか云つて、其の市の開かる前頃から、近郷の青年男女は、私か〈ヒソカ〉に其の夜の来るのを待ち設けて居たものである。私等〈ワタシラ〉も子供の時に頬冠り〈ホッカムリ〉した村の若者が、祭りの晩に娘さん達の群から意中の人の手を無理矢理に引つ張つて、林の中に隠れたのを今でも覚えて居るが、此頃は警察の方で矢釜しい〈ヤカマシイ〉のと、学校教育が普及したので、斯〈カク〉の如き性の乱れは余程〈ヨホド〉でないと見られなくなつた。七月の盆踊りとても同じことであつて、前頃は月皎々〈コウコウ〉と輝く十五夜の夜、節〈フシ〉面白く踊り行く娘達に対し、異様の眼を光らす若者も少からずあつたのであるが、之〈コレ〉も今日では親達の監督の厳重なると、娘自身の反省とで余程改つて来た。斯の如く村の青年男女の道徳の標準は、年を追うて改善せれつつあるが、他の一方の村人利己心の基く民風の頽廃〈タイハイ〉は、日に月に其度〈ソノド〉を増しつつある。村の各戸で消費する物品の数が、年毎〈トシゴト〉に増して行くことさへあるのに、物価は年と共に騰る〈アガル〉ばかり、之と反対に百姓の収入は、二十年前と今日とでは、左程に増して居ない有様〈アリサマ〉であるから、村の細民の生活苦は年と共に犇々〈ヒシヒシ〉と迫つて来る。生活に窮すれば自ら世間に対しても不義理などが出来、背に腹は変へられぬ所から、払ふべきものも払はずに、其場〈ソノバ〉を誤魔化すと云ふ風になる。越後地方の小作争議では、小作人が地主にあてがひ扶持〈ブチ〉を払つて、其滞納による小作料を地主から差押へられる前に、夜陰〈ヤイン〉密かに馬車に積んで町に売り出すとの話の如きも、社会闘争術としては聊か〈イササカ〉卑屈であり、公明を期する闘士として与み〈クミ〉し難い仕業〈シワザ〉ではあるが、小作人の家々に迫る生活上の苦痛から、斯る〈カカル〉行動にも出づるのであらう。村の公共事業に対しても、同じ心理状態の働きが強く現はれて居る。自分の家の仕事ならば朝早くから晩遅くまで、黒汗を流して働く勤勉な百姓でも、村の道普請〈ミチブシン〉とか、井路〈イロ〉の浚渫〈シュンセツ〉工事とかに出ると、打て変つての惰け〈ナマケ〉放題で、雑談と脇見と煙草呑みとで一日を暮らす人さへある。中にも極めて横著者〈オウチャクモノ〉になると、朝から夕方まで自分の鍬〈クワ〉に土を附けずに、帰つて来ると云ふ手合ひ〈テアイ〉さへもある。

 以上は近頃に於ける村の民風の現はれの一端であるが、一事は即ち萬事で、凡て〈スベテ〉のことが此の調子で進み行きつつある。人間社会の風紀を左右するものは男女の性行為と、利己心の抑制如何〈イカン〉であるが、近時の傾向としては大体にして、男女間の風儀が改まりつつあると反対に、各自の利己心は日を追うて強烈となり、為に村の社会階級の分裂を促すに至ることは未だ〈マダ〉良いとしても、村の公共的美風が萎微〈イビ〉すると云ふことであれば、民風の作興〈サッコウ〉は他の何事よりも、先づ世間の識者の脳漿〈ノウショウ〉を絞るべき重要問題とせられねばならぬ。琉球の任地から帰つた或る役人から、彼の地では土地の家から雇ひ入れた女中に留守がさせられず、留守の女中に対して、更〈サラ〉に監督が要る〈イル〉とのことを聞いたのであるが、是〈コレ〉は畢竟〈ヒッキョウ〉社会の経済的萎微が人心に及ぼして、斯る民習を作つた一例であると思はれる。内地の村方でも西瓜畑〈スイカバタケ〉に番人か要り、梨子畑に電灯を点した〈トモシタ〉上に、更に番小屋を健つるを要する此頃の有様では、行く行くは村の人を客に呼んだ後で、椀〈ワン〉や皿の数を数へねばならぬやうな日が来るのではあるまいか。閑寂で、善人の住む所、其れは田舎〈イナカ〉の村の代名詞であると思はれたのも昔の夢と化し行かんとする其〈ソノ〉源泉は、果して何処〈ドコ〉にあるか、深慮すべき問題である。

 

今日の名言 2012・6・24

 

◎人間社会の風紀を左右するものは男女の性行為と、利己心の抑制如何である

 

 農学博士・小野武夫の言葉。上記のエッセイ「村の風儀」に出てくる。これは、大正の末期に吐かれた言葉であるが、今日でも十分に通ずる「名言」ではないだろうか。

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