礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

渋沢栄一の政治経済思想(土屋喬雄『渋沢栄一伝』より)

2019-04-18 05:13:47 | コラムと名言

◎渋沢栄一の政治経済思想(土屋喬雄『渋沢栄一伝』より)

 渋沢栄一の話が続くが、本日以降、土屋喬雄著『渋沢栄一伝』(改造社、一九三一)を紹介してみたい。
 本日は、同書から、別篇の二「日本資本主義の父渋沢栄一の政治経済思想」を紹介する。『 』内は、渋沢栄一の文章である。

    日本資本主義の父渋沢栄一の政治経済思想
 封建社会の胎内から躍り出でた若き日本資本主義を指導育成し、確乎たる資本主義制度に成人せしむることこそ、渋沢栄一に課せられた歴史的役割であつた。この役割を果すべく彼は全努力を注ぎ、全精力を傾け尽した。彼の全事業はかゝる役割の遂行に外ならなかつた。そして彼の全思想も亦かゝる歴史的役割から理解されなければならない。
    (一) 官尊民卑打破と商工主義
 世末だ封建の夢醒めやらず、政治万能の思想が人々の頭脳を支配し、官尊民卑の風なほ世を覆つてゐた時、渋沢栄一は早くも国家富強の基礎は商工業にあることを認識してゐた。
『明治の時代になりまして‥‥も因襲の久しき前官尊民卑の風は遽【には】かに消除することは出来ませぬ。加之【しかのみならず】維新の革命は諸藩士の力に依りしものと云ふべき程でありましたから、天下の人士は皆強く政治思想に傾きまして、有為の人物は勿論一芸一能ある人までも悉く官途を企望するの有様にして、我日本の商工業の衰退を憂ひて之を隆興せんと企図せしものは実に落々晨星【らくらくしんせい】の姿でありました。』
『先づ私【わたし】がその時(明治六年〔一八七三〕株式会社創立の頃)に考へますには、此の日本を欧米各国と肩を列【なら】べると云ふ迄には行【ゆ】かいでも、東洋の固陋【ころう】に安んぜしめないやうにするには、唯【たゞ】政治的理想の観念ばかりで進めて行つてはならぬ。是非経済的即ち商工業と云ふものを進めて、国の実力が盛んにならなければ将来国家の富強と云ふことは迚【とて】も期し難いといふことを厚く信じたのである。』
 既に経済の優位を認めたのである。さればこそ、我国経済の発展が常に政治上の保護助長――かゝる明治政府の資本主義化政策は政府自身の存立発展のための不可避的な途【みち】であつたのである――によつて行はれたことを遺憾とし、商工業の独立的発展の必要を高唱したのである。【以下、次回】

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