礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

鎌田銓一(1896~1975)の略歴

2018-11-09 00:02:17 | コラムと名言

◎鎌田銓一(1896~1975)の略歴

 山田秀三郎著『罪悪と栄光』改訂版(大日本皇道会、一九七〇)を紹介している。本日は、その八回目(最後)。この本については、紹介してみたい箇所が、まだ、いくつか残っているが、今回で一区切りつける。
 この本は、基本的に、鎌田銓一という人物(一八九六~一九七五)の功績を強調しようとした本である。そして、その巻末(五二三ページ)には、「鎌田銓一先生略歴」というものが載っている。本日は、これを紹介してみよう。


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    鎌田銓一先生略歴
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◇明治二十九年八月、神戸市に生る。父孝二郎は神戸裁判所判事。その長男。
◇東京府立桃園小学卒、早稲田中学二年で、陸軍幼年学校に移り、大正四年五月卒。
◇大正六年陸軍士官学校卒。同九年陸軍砲工学校首席卒。
◇大正十三年三月、京都帝大工学部卒。
◇築城本部並に陸軍省に勤務。
◇昭和六年三月、陸軍工兵少佐となり米国に二ケ年駐在する。渡米の上イリノイ大学に留学す。
◇米軍工兵第一連隊付大隊長として勤務す。
◇昭和九年、欧洲各国を視察の上、シベリア鉄道で帰国す。
◇陸軍省防備課、交通課長歴任す。
◇南支連隊長とし転出し、タイ、マレー、ビルマ方面に出勤す。
◇昭和十八年十二月、少将となり、関東軍鉄道司令官、続いて北支軍鉄道司令官、中将に昇進す。
    〇
◇終戦後
◇厚木飛行場米軍先遣隊接伴副委員長。続いて日本総軍参謀副長。
◇復員局設置により第一復員局連絡部長。
◇昭和二十二年復員局廃止に伴い、米第八軍後援で「日本技術クラブ」創設し会長就任。
◇その後、各社の会長、顧問。

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