礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

棺をいれるとき軍曹が「ワン・トウジョー」といった

2018-09-08 03:40:00 | コラムと名言

◎棺をいれるとき軍曹が「ワン・トウジョー」といった

 花見達二著『大転秘録』(妙義出版株式会社、一九五七)から、インタビュー記録「スガモ絞首刑の真相」を紹介している。本日は、その六回目。前回、紹介した部分のあと、次のように続く。

  ハダシで墓場を掘る
 三文字 ホロをかぶせた車に乗せた七ツの棺がきましたが、これは久保山へはもっと早い時間にくるはずだった。それがおくれたのは、日本の新聞記者たちがアトをつけていたのですね。はじめはアメリカも気がつかなかったが、どうもくっついてくるので仕方がない。いったん川崎市の進駐軍基地へ車をいれて、新聞記者をうまくまいてしまった。それで火葬場へくるのがおくれた。
 棺はカマにいれられて火が入った。火をいれたのは所長の飛田〔美善〕と磯崎〔吉尾〕という火夫長です。あくる日のある新聞をみると棺にいれた順序がチャンと書いてあるんです。飛田所長にきいたのでしょう。火葬のとき血だらけになった棺がひとつあった。それは広田の棺で、どうも鼻血がいっぱい流れてそれがこぼれていたらしい。それを火にいれて焼いた。ところが東条と松井はやせているせいか、すぐに焼けたが、広田と武藤のは中々焼けなかった。やはり体が頑丈で大きかったのです。結局、一時間半かかって焼きおわった。はじめに東条の棺をいれるとき係のアメリカ軍曹が「ワン・トウジョー」といった。すると司令官からこっぴどく叱り飛ばされた。名前なんかいってはいかん、というのに軍曹はどういうわけか、とむらう気持かなにか名前をいった。それは注意されてあったそうです。火をいれてから廿分ばかりして飛田所長と火夫長の磯崎が裏口へ出てのぞいているように命ぜられた。
 花見 棺にもいろいろあるでしょう。寝棺〈ネカン〉のふつうにあるのですか。
 三文字 粗末な木の棺でまア一般にあるものらしいですね。そこで焼けてしまってもアメリカがすぐに手をつけるわけじゃない。火夫長の磯崎が鉄の棒をもってきて遺骨を粉にした。それからそれを長サ六、七寸、深サ三寸ばかりの箱におさめた。
 花見 それはひとりひとりについてやった?
 三文字 ひとりひとりやったのですが、それはすぐに没収されてしまった。そしてひとまとめにされてしまったのです。火葬場からすこしはなれたところに行路病者〈コウロビョウシャ〉などをいれる無縁の骨捨て場がある。これは四方が約一間半で深サは十四尺はあるでしょうナ。みんな骨灰〈コッパイ〉はそこにいれられたんです。それから十二月廿六日だった。わたしは市川〔伊雄〕住職と飛田に会った。
 花見 死刑はクリスマス・イヴの前の日〔二三日〕でした。するとクリスマスもすんだころに。
 三文字 そう、寒くてふるえるょうな晩でした。飛田を案内役にしてハダシになって遺骨のあるところへいった。すると入口に幅は四寸ぐらい、深サ五尺以上もある穴がある。ぞこに御影石の花立てがチョコンとのっている。それをとってみると穴はとてもふかくみえる。そのときちょうどどこかで犬がしきりに吠えてネ。懐中電灯で照らしてみると中に白く浮かんでみえる。七人分の骨が混合で入っているのだ。前に骨がおいてないから、青白く光って浮かんでみえる。どうしてとったらいいかわからん。重いフタをのけておいて火カキをグッと伸ばしてとることにした。さア、とるにはとったが、これをどうしたらいいか、こまってしまった。こまかい骨ばかりではわかるからナマナマしい太いのを一本いれた。骨はすぐ湿るから焼き直して鉢に入れた。
 ところが、わたしの甥が東大を出て戦争にいったが、上海の先で死んだ。わたしは甥の骨をここの興禅寺へあずかってもらう事にして、札を書いておいたから、七人の遺骨をこの甥のものだといってあずけた。
 花見 非常な苦心で、しかもなにかの因縁があるものですネ。
 三文字 しかし、すぐではいけない。遺族に分けるにもすこし時間をおかぬといけない。年末年始でもあるし、ホトボリをさまして年が明けぬとこまる。そこで四月になってから板垣〔征四郎〕大将夫人に「わたしが遺骨をおあずかりしているから、いつでもさしあげます」といった。板垣夫人はおどろいて、松井〔石根〕大将夫人と相談して「それなら五月三日に熱海の松井さんの邸でいただきましょう」ということになった。
 花見 伊豆山ですか。松井大将が興亜観音とかを建立して部下の霊をとむらったとかいう、あすこですか。
 三文字 そうです。その日わたしは温泉へゆくふりをして、またそんな格好をして汽車に乗っていった。わざと三等車のスミにのってやった。トランクをもって「こん夜は泊まりだ」とかひとり言をいって怪しまれぬようにした。
 花見 どんな日和でした。その日の天候は?
 三文字 暴風雨みたいな日でしたね。春の風のつよい日だ。ところが松井さんの家へついたらカラリと晴れあがっていた。

*このブログの人気記事 2018・9・8(古畑種基は久しぶりに)

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