礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

美濃部達吉の明晰な文章を味わう

2016-08-30 05:31:17 | コラムと名言

◎美濃部達吉の明晰な文章を味わう

 最近、美濃部達吉の『新憲法概論』(有斐閣、一九四七年七月)を取り出して、ところどころ読んでみた。結論と、それに到った過程を明確な形で提示する、明晰で無駄のない文章に恐れ入った。
 本日は、その「序」の全文を紹介してみよう(一度も改行がない)。

  

 新「日本国憲法」は、其の制定の手続から言へば、従来の「大日本帝国憲法」第七十三条に依り、憲法の条項の改正として議会の議決を経たものであるが、事実から言へば、単に憲法中の或る条項を改正したに止まる〈トドマル〉ものではなく、従来の憲法は全面的に之を廃棄し、新日本建設の基礎法としての新憲法が、全然新規に制定せられたのであつて、それは従来の憲法とは其の根柢を異にして居る。それが我が国体をも変革するものであるや否やは、議会に於ける審議に際し頻に〈シキリニ〉論争せられた所であつたが、それは「国体」といふ語の意義如何に依り解答を異にすべく、一概には論断し難い。「国体」といふ語は、明治以前から詔勅・宣命〈センミョウ〉・其の他の公文書にも屡々用ゐられて居るが一般には法律的観念を示す語としてではなく、国粋又は国風ともいふべき我が国に固有な国家の最も重要な歴史的倫理的の特質を指す意味に用ゐられて居るのが普通である。それが法律語として法律の中に用ゐられて居るのは、治安維持法が其の唯一の例で、而して〈シカシテ〉同法の意義に於いての国体は国家の統治機構即万世一系の天皇が国を統治したまふことを其の観念の要素とすることは争〈アラソイ〉を容れない所である。新憲法は従来の憲法に比し国家の統治機構を根柢より変革し、旧憲法第一条に示されて居た天皇国を統治したまふことの原則は之を除き去つたのであるから、若し〈モシ〉国体といふ語を治安維持法に用ゐて居る意義に解するならば、新憲法が我が従来の国体を変革するものであることは、言ふまでもない。併しながら国体といふ語は必ずしも常に斯かる〈カカル〉法律的な国家の統治機構を示す意義に用ゐらるるのではなく、一般通用語としては寧ろ万世一系の天皇を国家の中心として奉戴〈ホウタイ〉し一国は尚一家の如く天皇は国民を子の如くに親愛したまひ国民は天皇を父の如くに尊崇し忠誠を致すことの我が国に特有な精神的倫理的の事実を示す意義に解せられて居り、而して斯かる意義に於いては我が国体は新憲法に依りても毫も〈ゴウモ〉動かさるる所の無いものと謂はねばならぬ。併しそれは何れにしても之を法律上から見れば新憲法が国家統治機構の全部に亘り従来の憲法に対し根本的の変革を加ふるものであることは敢て詳論するまでもない。勿論新統治機構に付いての定〈サダメ〉は、新憲法のみを以ては未だ完備したものではなく、それが完備するには諸付属法令の制定を待たねばならぬのであるが、新憲法の既に公布せられた今日に於いて新憲法の取つて居る新統治機構の基本原則に付き多少の解説を試みることは、旧憲法に付き解説書を公にした著者に取り当然の責務であると信じ、取敢へずここに此の書を公にすることとした。それは「概論」の名に示す如くに、新統治機構の梗概を論じたに止まるもので、其の詳細に付いては、付属法令の整備を待つて他日〈タジツ〉更に論述する機会あらんことを期待する。

 昭和二十二年一月      美 濃 部 達 吉

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