礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

津久井郡内郷村における村落調査と小野武夫

2012-09-11 04:57:22 | 日記

◎津久井郡内郷村における村落調査と小野武夫

 一九一八年(大正七)の八月一五日から二五日まで、柳田國男ら郷土会のメンバーによって、神奈川県津久井郡内郷村において村落調査が実施された。
 この村落調査について、柳田國男が「非常に面白かつたけれども、我々の内郷村行きは学問上先づ失敗でありました」と述べたことは、よく知られている(「村を観んとする人の為に」一九一八)。
 この時の調査には、農政学者の小野武夫も深く関わっていた。ただし、小野は調査そのものには参加していない。小野の著書『農村研究講話』(改造社、一九二五)には、この調査について述べている部分がある。あまり注目されることもなく、紹介されることも少ない本だと思うので、少し引用してみたいと思う(二五~二七ページ)。

 既に今日は廃止せられてゐますが、七八年前まで柳田國男氏や新渡戸稲造博士を中心として「郷土会」と云ふ集りがありました、会の趣旨は農村生活に興味を有する人々が集つて互に楽しく語り合ふ間に村の智識を得ようと云ふ仕組みでありましたが、或年のこと、此の会の事業として一つ村落の調査を実施して見ようではないかとの話が持ち上り、其の準備として村落の調査項目を作成することになりました、其の仕方の大体を申せば、郷土会の会員が――名前は悉く〈ことごとく〉は記憶してゐませんが、前記柳田、新渡戸氏の外〈ホカ〉、石黒忠篤〈タダアツ〉氏、木村修三氏、那須皓氏、小田内通敏〈オダウチ・ミチトシ〉氏、正木助次郎氏、牧口常三郎氏〔創価教育学会の創立者〕、中桐確太郎氏、小此木忠七郎氏等の名前がまだ私の頭の中に残つて居ます、此等の人々からは日限を定めて各調査項目を書き出さしめ、其れを集めて整理するための委員として那須氏と小田内氏と私とが当らしめられたように覚えて居ます。私達は斯くして会員から集つた調査項目を拾ひ分け、同じ物をば合併し、異なるもののみ順序を立てて配列列し、一目の下に瞭然たらしめやうとしたものが、本書の付録に掲げてある調査項目であります。而して〈シカシテ〉郷土会では此の調査事項に従ひ村落の実地調査を行ふて大正七年の夏神奈川津久井郡の内郷村を選び、柳田氏と私とは或日下調べの為めに内郷村に同道して出掛け、其村の小学校長の長谷川〔一郎〕氏に逢つて万端の打合せまで致したのでありますが、愈〈イヨイヨ〉実施する段になつて私は母の急病の報に接して帰国しました為め、会員の調査実施班に参加することが出来なかつたのは残念であります、而して其の調査の結果に就ては私は多く聴くことを得ませんが、柳田氏は別項の感想文にもある通り内郷村の調査は非常に面白くはあつたけれども、事業其物は失敗であつたと云はれてゐます、其の失敗の原因が、或は調査上の行違〈ユキチガイ〉であつたのか、或は調査項目の不備であつたかは、如実に知ることが出来ませんでしたが、是丈〈コレダケ〉の準備を為し〈ナシ〉、多くの専問学者の能力を集中しても尚且つ〈ナオカツ〉最初に予期したる如き成績を挙げ得なかつたとすれば、村落を学術的に調査することは可なりの難事であることが覗はれます。乍去〈サリナガラ〉、此の調査項目は其中に多数の事項を挙示してある丈け〈ダケ〉、後来の農村研究家に取りて参考とすべきものが勘くないと思ひます(付録第一様式参照)。

 このほかにも、引用したいところがあるが、本日はここまで。
 読んでおわかりのように、小野は、自分が関与した「調査項目」に、かなりの自信を持っている。すなわち、内郷村の村落調査が失敗におわったのは、「調査項目の不備」があったからではなく、「調査上の行違」があったからであろうということを、ここで小野は、言外に主張しているのである。【この話、続く】

今日の名言 2012・9・11

◎誰もがあまり触れたくないものに真理が存在する

 映画『天地明察』(今月15日公開)を監督した滝田洋二郎さんの言葉。昨10日の日本経済新聞夕刊より。『天地明察』は、四年ぶりの新作で、江戸時代の天文学者・安井算哲を描いているという。前作は納棺師を描いた『おくりびと』(2008)。

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