ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

4年ぶりに飲み会に参加

2023-11-20 21:51:42 | 生き方

COVID-19感染症が5類感染症に移行されてから、いつの間にか半年たった。

私には、もうそれから半年たったのか、という思いよりも、まだ半年しかたっていないのか、という思いの方が強い。

あれほど感染禍にさらされて悩んでいたというのに、人間なんて勝手なもので、今はそれを完全に過去のものとしている。

かくいう私も、その勝手な人間の一人だなのだが。

 

昨日は、新潟まで行って、ある会に出てきた。

その会は、ある程度の礼儀は必要だが、気のおけない仲間の集まりと言ってもよいものだ。

ほとんど同年代の者たちが集った会は、当然のごとく、懇親会付きであった。

この4年間というもの、この会に限らず、私は、飲み会には出たことがなかった。

この会は、以前は毎年1回開いていたものだったが、この感染症禍で、開催は4年ぶりであった。

 

この60代後半、高齢者仲間ばかりになった者たちにとって、4年というのは長い年月だったらしい。

自分もそうなのだが、4年ぶりに見る顔や姿は、ずいぶん老けたなあというのが第一印象だった。

その思いは、同じ場所にいると、やがて見慣れていったのではあるが。

 

高齢者の仲間入りをしても、以前と同じ仕事をまだ続けている者あり。

まったく別な仕事をしている者あり。

町内会長や団体の長や幹事をしたりして、いくつもの職名を抱えている者あり。

世話している孫の数を自慢する者あり。

堂々と、ガンになったとか、人工透析をしていると語った者たちもいた。

最もいじられていたのは、離婚し再婚した輩であった。

いずれも、4年前には聞かなかった現状であった。

5,6年前までは、みんな同じような生活をしていると感じていたのに、今は大きく変わったなあと感じた。

 

ただ、そんななかでも、それなりに生きがいを見出している人もいた。

日本中を、車中泊しながら回っている人。

日本百名山登山をやり終えた人。

新聞の文芸欄に投稿してよく作品が掲載されている人…などなど。

そういう人たちは、皆、生き生きしているように見えた。

やっぱり、齢を重ねても、生き生きと暮らしていきたいものだ。

 

いろいろな話を聞いたが、大体は、懇親会の席で聞いたのであった。

ところで、懇親会といえば要するに飲み会である。

大勢と飲む会なんて、やっぱり4年ぶり。

ほかの人からビールを注がれて飲む、なんていう飲み方をするのも、4年ぶりだったのだ。

家での一人飲みばかりだったから、注がれて飲むなんてことはなかった。

そのせいか、ビールしか飲まなかったし、そんなに飲んだ気もしなかったのだが、酔いが回るのも早かった。

加齢で少し酒に弱くなってきたこともあって、2時間後の懇親会が終わる頃には、久々に軽い頭痛を感じた。

以前はこんなことはなかったのにな、ちょっぴり悲しいぞ。

 

まあ、それはともかく、4年ぶりに大勢との飲み会に参加して、大いに元気をもらった。

これで感染したなんて言ったら、シャレにならないけどね。

 

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サザンカ~童謡「たきび」からSEKAI NO OWARIの「サザンカ」へ 歌の連想~

2023-11-19 11:08:41 | うた

新潟のわが家でも、

埼玉の家でも、

道路に面しているところで、この時期に花をつけたのがこの木。

ご存じ、サザンカの花。

赤や白、ピンク、そしてそれらが混じったものなど、いろいろな色の花がある。

わが家でも埼玉でも咲いているのは、ピンクの花だ。

 

埼玉では、まだ陽射しが暖かいから、いろいろと咲いている花は多いが、新潟ではこの花の少なく寒い時期によく咲くものだと思う。

けなげだなあ、と思う。

 

花を見ると、童謡の「たきび」の2番にはサザンカが出てきているよなあ、といつも思う。

 

さざんか さざんか さいたみち

たきびだ たきびだ おちばたき

あたろうか あたろうよ

しもやけ おててが もうかゆい

 

寒風に負けずに咲いているサザンカと、寒さでしもやけができてもがんばって生きている子どもの風景が目に浮かぶ。

覚えやすいメロディーと、たき火のほんわかとした温かさが伝わってくるような歌。

子どもの頃に聴いたよりも、今の方がいい歌だなあ、と思ったりする。

 

そういえば、5年ほど前、SEKAI NO OWARIが、平昌オリンピックのNHKテーマソングとして「サザンカ」といういい曲を歌っていたなあ、と思い出した。

 

夢を追う君へ

思い出して つまずいたなら

いつだって物語の主人公は笑われる方だ

人を笑う方じゃないと僕は思うんだよ

 

スポーツ選手に対する曲、というよりも、ごく普通の日常生活を送っている人々に対して、優しく励ます応援ソングのように感じるものだった。

 

だけど、「サザンカ」というこの曲の詩を全部読み返してみても、どこにも「サザンカ」という言葉は出てこない。

あれ?と思って、いろいろのぞいてみた。

 

そうしたら、どうやらサザンカのもつ花言葉から来ているらしい。

 

サザンカの花言葉は「ひたむきな愛」「ひたむきさ」「理想の恋」「困難に打ち勝つ」です。ほかの草花が枯れてしまう時期に花をつけることから、このような花言葉がついたとされています。

 

なるほど。

この曲名は、きっと花言葉の「困難に打ち勝つ」から付けられたものなのだろうなと勝手に解釈した。

 

参考までに、白のサザンカの花言葉は「愛嬌」「あなたは私の愛を退ける」。

赤の花言葉は「謙譲」「あなたがもっとも美しい」。

ピンクのサザンカの花言葉は「永遠の愛」「素直」。

などとなっているそうだ。

意外に愛情に絡んだ花言葉が多い。

 

そう考えると、SEKAI NO OWARIの「サザンカ」は、打ちひしがれている人をなぐさめるだけの歌じゃなくて、

いつも見守っているから元気を出してね

ぼくはそんな君のことがずっと好きなんだよ

そんな意味もあるのかな、なんて考えたりしたのだった。

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コキアの半年

2023-11-18 21:52:20 | 草木花

5月に埼玉に行ったら、家の敷地にコキアが生え始めていた。

なんか前の年よりも、あちこちにうじゃうじゃ出てきたなあ…。

まあ、結構可愛い感じなので、抜かないでおくか。

…ということにした。

 

6月に行くと、さらにその数が増えていた。

前年に生えたコキアの種が落ちて、芽が出て育ってきたらしい。

でも、あった方が緑がきれいだし、もっこりした感じがいいじゃないか。

 

それが、7月に行くと、ちょっとした驚き。

かなり大きくなって、まるで車を進入禁止にするようになっていた。

特に手前の2つは、ふくらんできていた。

 

8月に行くと、さらに巨大化。

人が隠れることができるほどになっていて、びっくり。

手前片方は、桃太郎が誕生するかのように割れ始めていた。

他のコキアも大きくなってきて、車は敷地の入口にしか止められなくなっていたことに苦笑いした。

 

9月に行くと、大きかった方が真ん中からぱっくり割れて、中央部分が赤くなっていた。

少し赤みを帯びたものも出てきた。

大きかったのが割れてしまって残念だった。

全体に、少しずつ黄色味がかってきた。

成長も終わりの時期となったようだ。

 

10月に行くと、全体が赤みがかっていた。

赤みというより、ピンクがかっていて、きれいになっていた。

なんだか、髪を赤く染めたような感じがして、なんかコスプレを連想してしまった。

色はもっと深みを増してきれいになるだろうけれど、そこまで長く滞在しなかったので、見ることができなかった。

 

そして、今回の11月。

ピンクの髪が茶髪になったというか、人間なら高齢化したというか、そんなイメージだった。

枯れた味わいもあるのだが、このままにしておくと、手入れをせずに放置して荒れさせているように見えるので、抜くことにした。

 

…で、抜き終わった後は、ごらんのとおり、サッパリ!!

抜いたコキアたちは、細かく刻んで大袋で10個以上にもなった。

さらば、今年のコキア。

半年間、楽しませてもらったよ。

ありがとう。

 

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ミカン大収穫!

2023-11-17 21:26:09 | 草木花

埼玉に着いて、玄関前にあるミカンの木に驚いた。

今までになくたくさんの実がなっていた。

先月はまだ実があおいままだったのに、それから実は黄色くなっていた。

しかも、ひと回り大きな実になっていた。

われわれが埼玉に来たとき以外、誰も世話をする人がいないのに、ちゃんと実をつけてくれるのはうれしい。

今年は、ずいぶん数が多い。

去年は、90個くらいの収穫があったけれども、今年ははるかに多いぞ。

ミカンの木は2本あるのだが、どちらもしっかり実をつけていた。

いざ、収穫!

実をとり始めてみると、木の内側にも隠れるようにして実がなっている。

これは、今までにないくらいたくさんだぞ。

木の内側、高いところなどは、枝も入りくんでいて、取るのに苦労した。

まだ、あおかったり黄色が薄かったりしているものは、残すことにした。

それなのに、困ったことに、収穫した実を入れる物が足りなくなってしまった。

やっと終了。

後で数えたら、およそ900個!!!

すごい数だ。

埼玉や新潟のご近所や親類などにおすそ分けいたしましょう。

 

新潟では、ゆずの木は見ても、こんなミカンの木は見ない。

暖かさと日照がないと育たないのだろうなあ。

だから、ミカンの実を収穫する経験ができるのは、うれしく、楽しいなあ。

 

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越後川口SAで秋と冬を感じる

2023-11-16 20:28:51 | お出かけ

紅葉シーズン真っ盛りなのだが、いつもの名所でも、今年は冷え込みが遅かったから、やっぱりあまり美しくない。

特に、赤さが足りないな。

関越道を走りながら、そう思った。

 

越後川口SAに立ち寄ると、去年の今ごろはきれいだったモミジ🍁の木は、やっぱり赤み不足。

高台からながめる景色も、あまり色づきの鮮やかさは感じなかった。

だけど、そこから秋を、そして冬近しを感じ始めた。

 

田んぼのひこばえに、黄葉が進んでいた。

改めて上を見ると、雲一つなく空が青い。

木々の隙間に差し込んだ陽射しに、やわらかさを感じた。

落葉が進みつつある木の枝越しに見える太陽も穏やかに見える。

まぶしさはありながら、強くない光に、冬が近いと思った。

 

向こうに見える「はなこ」(越後三山;写真右から八海山・中ノ岳・越後駒ヶ岳)の頂きには、うっすらと雪があるのが見てとれた。

紅葉は遅れたが、急速に冬がくることもあるかもしれないな。

油断せず過ごすことにしよう。

 

あー、それにしても、この時季の、秋の越後川口SA(上り)は、いい。

好きだなあ。

 

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今年も父の命日を迎え

2023-11-15 20:57:26 | 生き方

11月も15日だ。

早いなあ。

今年もあとひと月半を残すだけだ。

 

11月半ばとなると、16日は、毎年のように書いているが、父の命日。

当日は都合が悪いので、少し早いが墓参りに行ってきた。

 

父が亡くなったとき、27歳の若者だった私。

それから、なんと39年もたつ。

気付けぱ、父の享年56歳を10年も上回って生きている。

父の遺影も、今見ると、私の今の姿より若々しい。

父の遺影は、50代だったときのもの。

鏡に映る今の私の姿は、まさに60代後半を示す。

父の方がうんと若く見えるのも当然か。

 

父は、退職4か月前に急逝したから、老後はなかったのだった。

それに比べたら、私は、今そこに足を踏み入れている。

時間の長さで言えば、父より人生経験は豊かと言ってもいいはず。

だが、父よりたくさん生きている はずなのに、ちっともそんな感じがしない。

大酒飲んで屁理屈こねてばかりいた姿なんか、およそ尊敬には値しなかった。

だけど、父のことは超えられなかったように思える。

 

結局いくつになっても、私は成長しないバカ息子で、父に対して申し訳ないような気がする。なぜなのだろう?

きっと、父は父で、私は父の息子だから。

きっと父を超えたという思いを抱くことは、これからもないのだろうな。

 

「なんだ。おまえ。やっとオレの偉大さが分かったか。」

カッカッカと墓石の向こうから親父の笑う声が聞こえるような気がした。

 

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「1100日間の葛藤」(尾身茂著;日経BP)を読んで

2023-11-14 19:48:04 | 読む

3年余り前に感染症禍となってから、専門家の代表的な存在としてこの方の顔をよく見ていた。

尾身茂氏だ。

その方が、本を出した。

「1100日間の葛藤」というタイトルは、パンデミックにさらされた日々と責任の重さを、いかにも感じさせるものだ。

 

表紙のカバー裏には、次のような文章が載っていた。

2023年2月23日日曜日、令和最初の天皇誕生日は日差しの暖かな日だった。午後1時から新型コロナウイルス感染症対策専門家会議のメンバー10人ほどが急きょ「勉強会」を開いた。場所は東京・白金台にある東京大学医科学研究所の会議室であった。

ルビコン川を渡りますか」。私はメンバー全員に聞いた。

皆の気持ちは固かった。作業を終えて会議室を出たときには、外は真っ暗闇で暴風が吹き始めていた。その後も続く、専門家たちの葛藤の始まりだった。

 

この「ルビコン川を渡る」という表現は、今まで聞いたことがなかった。

そして、「専門家たちの葛藤の始まり」とある。

なにやら危険な香りのする言葉に感じた。

「ルビコン川を渡る」という表現は、後戻りのきかない道へと歩み出す、その決断を下すことを意味する。 「一線を越える」とか「背水の陣を敷く」などともいう。 なんでも、古代ローマのカエサルの故事に関係しているのだという。

だから、その日大きな決断を下したことが、葛藤の始まりになったということだ。

 

どんな決断だったかというと、日本の場合、「専門家は、政治に口出ししない」というのが、暗黙のルールだったようだ。

従来、専門家は、政府から国がしようとしている政策について、聞かれたら意見を述べるだけというのが普通であった。

ところが、中国・武漢市で発生した謎の感染症に対して、「日本での感染拡大は時間の問題だ。このままでは対策が間に合わない」という抱いた危機感から、専門家の助言組織は、ルビコン川を渡る決意をし、対策の提言を出したというわけだ。

 

その専門家たちは、土日などに集まっては勉強会を開き、3年間で100本以上の対策の提言をしたのだった。

その代表的な存在だったのが、この著者尾身茂氏だ。

 

尾身氏の姿は、首相の会見や国会での答弁の際にもよく見かけたが、そんな大決断をしているようには見えなかった。

てっきり、政府の後ろ盾をもって話しているのかと思っていたが、本書を読んでみたら、違っていた。

専門家たちの提言は、ほとんど受け容れられていたのかと思ったら、そうではなかった。

ときには、政府の方から公式発表が先にあってから、専門家たちの会議に同意を迫るような

こともあったという。

緊急かつ重要な対策案を出しているのに、市民への影響が大きすぎるからと提言が認められずに感染が拡大したこともあったという。

そんなことから、対策分科会メンバーへのリスペクトが足りないと苦言を呈したことさえあったという。

新たな感染症で、疫学データが足りなかったり、社会経済活動と感染対策のバランスに悩んだりもしていた。

最もひどいのは、感染症禍で不満が高まった人からは「殺すぞ」という脅しまで受けていたことだ。

様々な提言の裏で、葛藤はますます高まったことだろう。

 

専門家集団が直面した壁として、

  • 感染状況の分析やリスク評価のために必要な情報にアクセスできなかったという情報量の不足。
  • 専門家の役割、政府との関係が不明確だった
  • 専門家の仕事が属人的だった
  • 専門家の提言の意図が伝わらなかった

などが挙げられていたが、今振り返ると、唯一絶対の正解はない対応が迫られる中で、よく様々な提言をし、矢面に立っていたものだと思う。

 

提言書を作成する際に留意していたことについては、次のことだ。

  • 専門家同士でしっかりと議論をすること。
  • 新型コロナ対策分科会やアドバイザリーボードなどの委員ではない専門家や感染症以外の分野の学会などとも連携すること。
  • 「状況よりも半歩進んだ提言を出す」ということ。

これらの留意点を見ると、しっかりした責任感をもって行っていたと分かる。

 

本書は、あくまで尾身氏の側からしか語られていないので、価値観が分かれる今の社会では厳しい見方をする人もいることだろう。

 

2023年8月末をもって、新型コロナ対策分科会や基本的対処方針分科会が廃止された。

これによって、大任を卒業した尾身氏。

本当にお疲れさまでした。

3年間の毎回の会議の様子が綴られた本書を読み、思わずそんな労いの言葉をかけたくなった。

 

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楽しい大会だね、ごせん紅葉マラソン2023(後編)

2023-11-13 21:11:20 | RUN

いつの間にか、同じキャップのオレンジTシャツのランナーは、ずいぶん前に行ってしまった。

同じ60代だと思うのに、真面目なランナーとなんちゃってランナーの違いでしょうね。

まあ、そう思いつつも、自分のペースも走りやすい6分台の前半で行けているから、まあいいでしょう。

 

分岐点まで戻って来た。

ここから、さらに左に曲がって、また別の道に入り山の方に進んで行く。

 

このマラソンのあったかいところの一つに、応援看板の設置がある。

ときには立て札で、ときにはこうして電柱にしばり付けられている。

そのメッセージがいい。

これは、埼玉県から来たランナー向け。

ほかにも、60歳のランナーには、1枚1枚個人名をあげて応援看板があった。

「今までの人生に比べたら、マラソンは短い」なんて励まし文もあって、笑ってしまった。「完走めざしがんばってください」という一般的なのもあれば、五泉市の特産品の名前が書いてあって、「おいしいよ」なんてのもあったかな。

看板一つ一つを読みながら、こういう励ましのあったかい楽しさを感じていた。

 

そして、ゲストランナーの横田選手の名前が書かれたのぼりも、あちこちに立ててあった。

地元選手の応援もなかなか温かいものだなあ、と思っていたら、またまた急に横田選手が前方から目の前に現れ、すれ違って去っていったのだった。

ゲストランナーとして、がんばってくれている姿はうれしかった。

 

進んで行くと、急な下り坂を降りていく。

そして、夏針橋という橋の手前に給水所があった。

往復共に利用可能だそうだが、折り返してから利用することにした。

 

橋を渡ったところが、第3折り返し点。

夏針集落の方々も見守るところを折返し、橋から両側の景色を見て走る。

紅葉がもっと進んだときはきれいだろうなあ。

 

さっき下った急坂を上る。

下ってきたのは、仮装ランナーのガイコツ集団。

最初見た時は5人いたのに、次に見かけたときには4人になっていて、今度は3人に減っていた。

「骨が減ってるよ~!」と声をかけると、

「そうなんですよ~」との返事。

集団で仮装して走るのも、きっと楽しいんだろうなあ。

 

この大会の面白いところは、応援者にも仮装している人が多いところ。

急坂の途中では、わざわざここまで軽トラや自転車に乗って来て、悪魔的な仮装をしている人が2人、持っているフォークを振り振り声援を送ってくれていた。

 

坂を上り、また田園風景の中を走り進むと、やがて分岐点が見えてきた。

もうすぐ20kmになるが、さほど体がきつくはない。

新潟シティマラソンの42kmに比べたら、体は楽ってことだね。

だけど、そこで、若い女性2人のランナーに抜かれた。

「いよいよラストスパートですね。がんばっていますね。どうぞ、お先に。」

私がそう言うと、2人は笑ってしっかり私を置き去りにして力強く走って行った。

 

8kmの分岐点では、私のレプユニを見て、「がんばれ、アルビ!」と言ってくれた人がいた。

私も、しっかり「超最高!」と1年前の流行語(?)を口にして応えたのであった。

そこを過ぎ、最後の難所の急な上り坂。

さっき私を抜いた2人は、もうあんなに先を行っている。

初めてこのマラソン大会を走ったときには、この急坂を走って上れなかった。

今は楽勝かな?(速サガ遅イノダカラ、ソウ言エルノダロウ?!)

 

坂を上り終えると、あとは村松公園の入口まで下り坂。

あちこちに出没していた応援専門の「紅葉マン」という男性たち4人が、上下真っ赤な衣装に身をくるみながら、カスタネットをたたきながら最後の応援をしてくれていた。

本当に、このごせん紅葉マラソンは、「あったかいんだからあ~」。

 

村松公園のトラック部分を、おそらく今までで一番軽やかに(?)走ってゴールした。

タイムは、2時間10分を切って、9分台。

平均ラップは、6分8秒/㎞。上等じゃないか。

 

ゴールしてから受け取ったのは、バスタオルとスポーツドリンクとおはぎ。

パンとどっちか選べたのだけど、このおはぎを先にもらったので、これでよしとした。

まだ昼食としては足りないので、場内に出店していた食べ物の中から、「猛牛ピザ」という名称のピザ屋さんから、包み焼のピザを買った。

このピザ屋さんは、隣の阿賀野市保田から来ていたということだった。

 

ゴール直前のトラックを走っていた、アルビユニのランナーが来るたびに、「アルビ、ガンバ!!もう少しでゴール!!」と声をかけた。

 

そして、車に戻って、「いただきます」。

おはぎもあんこたっぷりでうれしかったし、ピザの包み焼きもおいしかった。

これまた満足。

 

最後まで雨が降らなくてよかった。

そう思ってたら、ほんの少しポツポツしてきたが気にならないくらい。

前日や前々日の予報では、「雨」だとか「気温が4,5℃」とか心配していたのに、走りやすい気候だったのが、思ったより疲れなかった理由だった。

 

それだけでなく、この大会に出ることで、いろいろたっぷり楽しむことができた。

走ることでは、最初から最後まで苦しくなく走れたし、アルビ談義しながら走りもしたし、タイム的にも悪くなかった。

第3まである折り返しも、他のランナーと3回もすれ違えるから、なかなかよかった。

それ以外にも、楽しいことがたっぷりだった。

村松公園の紅葉、横田選手、仮装ランナー、仮装応援者、地域の方々の声援、ボランティアの方々の支えや盛り上げ、田園風景、…そしておはぎまで。

 

ああ、楽しかった。

この大会は、ぜひまた来年も出たいなあ。そう思ったよ。

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楽しい大会だね、ごせん紅葉マラソン2023(前編)

2023-11-12 19:28:39 | RUN

走ってきました、ごせん紅葉マラソン2023。

スタート・ゴール会場の村松公園は、モミジの紅葉の名所。

真面目なランナーは、レース前にウォームアップに励んでいたけど、なんちゃってランナーの私は、レース前にきれいな紅葉を見てみたいな、と少し散策。

今年は、やっぱり例年より美しくないけど、探して目の保養に努めた(…!?)。

開会式では、ゲストランナーや招待選手を紹介していた。

紅葉写真を撮っていたら、お目当てのゲストランナー横田選手はステージ台から降りてしまっていた。

でも、他の紹介選手のときに、台のそばにいたのでそこをパチリ。

色は同じ緑のジャージだけど、青学じゃなくて、JR東日本の選手だよね、今は。

ごせん紅葉マラソンの面白いところは、コスプレランナーを招待していること。

台の上の女性ランナーは2人とも、その世界では有名な仮装ランナーらしい。

ごせん紅葉マラソンは、今や新潟の仮装ランナーの聖地と言ってもいいのかもしれないな。

 

だから、ほら恐竜たちも参加しているよ!!?

周囲にも、コスプレ、多いですなあ。

楽しいのは、市内の中学校の校長先生3人。

2人は10kmの種目に、1人は、ハーフマラソンに出場して走るのだ。

3人で選手宣誓を行っていた。

たのもしいなあ。

だけど、カンペ使いながらは、いけませんよ、先生!!

 

さて、9時30分、ハーフマラソンスタート。

去年同時スタートだった10kmの種目は、今回は、10分遅れの別々のスタート。

 

スタートして、1km近くの地点で、後ろからもう一人の招待選手樋熊さんがやって来た。

この樋熊さん、元20km及び50km競歩の新潟県記録保持者なのだ。

この人のゼッケンには、「俺に勝てるか? これが本気の競歩だ」と書いてあった。

思わず、声をかけた。

「今年もありがとうございます。ついてはいけませんが、毎回抜かれるとなぜか元気が出ます。笹川流れマラソンにも出ていましたよね。これから、どんどん抜いて行ってください」

樋熊さんは、笑って「ありがとうございます」と言って、少しずつ前のランナーたちを歩いて抜いて行った。

さすがだね、走る人を歩いて抜いて行く。

 

坂を下って、ここから3方向に道が分かれるという分岐点を、まずは左に曲がっていく。

うじゃうじゃと、たくさんの人が走っている。

早出川にかかる不動堂橋を渡ったところで、隣を走っているランナーに声をかけた。

彼は、今日の私がかぶってたキャップが同じだった。

数年前の新潟シティマラソンでの参加賞のランニングキャップだ。

さらに、ランニングTシャツも色がオレンジで、昨年の新潟シティマラソンの参加記念のものだった。

「同じランニングキャップですね。」

「ええ、重宝しています。」

「シャツもオレンジですが、アルビファンですか?」

「そうです。昨日も見に行きました。あなたも、行きましたか?」

「はい。いい試合していただけに、勝ってほしかったですね。」

そんな話をしながら、しばらく進んで行った。

ただ、隣で走っていると、明らかに彼の方が淡々としたいいピッチで走っている。

私の方は、それよりも緩いのが分かる。

ちょっと並んで走って行くのはしんどいかな。

しばらくして、私は、彼のすぐ後ろから付いていくようになった。

大蔵地区にある、およそ5kmの第1折り返しを回った。

同じキャップの彼を意識して走ってみるが、今の私には少しだけ速すぎるペースと思いながら少し後ろを走って行った。

第1給水所は、6.3kmあたり。

給水所には、水とスポーツドリンクと一般的。

 

分岐点の8km地点までは同じキャップの彼になんとか付いていけた。

ここから道は、左に折れて、山の方へ進む。

すると、気づくのが遅れたが、山の方から、横田選手がほかのランナーと一緒に走ってくる姿とすれ違った。

あっという間に行ってしまった。

分岐点から3kmほど走って行くと、11.3kmの第2折り返し。

同じキャップの彼は、いつの間にかだいぶ前に行っているのが分かった。

彼のスピードはキロ6分くらいだったし、私は6分15秒くらいかかるようになっていたから、差がつくのも仕方がない。

 

第2給水所には、チョコも置いてあったので、それもいただいた。

仮装ランナー、走りづらいだろうなあ。

「殿!殿中でござる!もとい、RUN中にござる。がんばりどころでございます!」

みたいなことを言って、通り過ぎた私であった。

ほかにもたくさんいたけれど、それでいて遅くない。

仮装ランナー、すごいねえ。

 

(後編に続く)

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強くなったことを実感も、惜しいドロー ~2023第32節ホームFC東京戦~

2023-11-11 21:25:41 | アルビレックス新潟

2023J1リーグの試合も第32節。

今日のを入れて残り3試合。

完全に終盤戦で終わりが押し迫って来たなあと思う。

ここのところ試合が2週間とか3週間に一度なので、間延びしていてつまらない感じ。

もっと頻繁に試合を見たい。

そう思わせる、今季のアルビレックス新潟の戦いだ。

 

さて、試合前には、GK小島のJリーグ通算100試合出場達成の表彰があった。

前節は、1-0の勝利だったし、10月には日本代表にも選ばれたし、絶好調。

ファン・サポーターは、今日も頼むよ、という気持ち。

 

対戦相手のFC東京。

今日はずいぶん来場者が多かったようで、アウェイ側のSゲートは、浦和戦でもないのにFC東京サポだけの入場口となっていた。

遠来ご苦労様。

でも、FC東京は、今のアルビレックス新潟の戦型の礎を築いたアルベル監督を解任してしまったのだから、やっつけてしまいたいね。

せっかくアルビがJ1に上がったのだから、ホームにアルベルさんを拍手で迎えたかったのだけどね。

その悔しさもあり、前半アウェイで負けたリベンジを果たしたいと思っていたのだ。

スターティングメンバーを見ると、けがが完全に癒えていないのだろう、高木の名前が控えにもなかった。

その高木の代わり、その位置に入ったのは谷口。

得点力の発揮を期待した。

 

FC東京のメンバーには、かつて新潟に在籍した小泉慶や渡邊凌磨の名前があった。

J1の舞台で再会できてうれしいが、存在感は出させないぞ。

 

試合は、立ち上がりこそFC東京が勢い込んで迫ってきたが、やがて新潟のペースになった。

新潟がボールを握る時間が長くなった。

また、東京の選手がボールを持っても、自由にさせずに一対一で、それがだめなら複数でボールを奪い取る。

それが、新潟の選手たちは、とてもうまいと思った。

いや、うまくなったというべきだろう。

また、どの選手もサボらない。

ピンチを事前に察知して、素早く行動する。

今年前半に対戦したときと比べて、非常に厄介な相手になったと、東京の選手たちは思ったことだろう。

だから、東京の決定的なシュートシーンは少なかった。

スタッツを見てわかるように、相手のシュートも枠内シュートも数は少ない。

唯一の危ないシーンも、Jリーグ100試合以上出場となった小島がはじき出した。

試合を通して、アルビは本当にたくましくなったなあ、と思う。

攻撃しても守備になっても、見ていて本当に楽しかった。

今節も、新井や藤原、高や星の守備の危なげないプレーは、本当に頼もしかった。

これで、得点が決まって勝利となれば最高だったのだが、残念ながらそうはならなかった。

いくつか惜しい場面も作っていたのだが、ゴールならず。

好試合に水を差したのが、主審のジャッジ。

前半で、新潟ばかり2枚のイエローをもらったが、相手の選手(同一)のオーバーなアクションにごまかされて、注意なしに一発で黄紙とは。

いいプレーが、「?」のつくジャッジでリズムが狂ってしまった。

いい試合のドローだったのだが、新潟の選手たちは、まるで負けたような表情だった。

全員がそうだった。

いかに勝利への渇望が強いことか。

そして、それをチーム全員が共有しているから、きっともっと強くなる。

 

こんないいチームになっているから、もっともっと新潟の試合を見たいのに、あと残り2試合になってしまった。

次節も2週間後。

アウェイで対戦相手は、優勝争いの渦中にいる横浜F・マリノス。

相手にとって不足なし。

アルビの選手たちは、きっとそう思っていることだろう。

 

ホームの戦い、残るは12月3日のセレッソ大阪戦。

面白い試合を見せてくれた今季のメンバーとお別れになってしまうのは、さびしいなあ。

 

帰るときにそんな思いに包まれて駐車場に行くと、オレンジに染まった夕日が照らしてくれた。

なんだか少しだけ気持ちが癒された気がした。

 

コメント (2)
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