畑ニ居リマス・田舎暮らしPHOTO日記

畑のかえるくんの楽しい日記です。

質疑応答(4)

2011年09月12日 | 米沢英雄『広き門より入れよ』を読む
問い
今日のお話の中で、自己というものに目ざめるのが生き甲斐であるということを聞かせていただきましたが、そのことについて、もう少し、具体的にお話ください。
答え
自己というのは人間の本質ということです。
人間とは人と人の間と書くように、孤立しているものではなく世の中一般とあるものです。人間というのは世界中とともにいるのです。けれども今日ではそれを忘れて自分だけおるように考えている。その自分だけおるように考えているのを自我と申します。自分以外のものは自分にサービスすべきもんだと思っているのです。母親というのは自分の洗濯をするものだと思っているのが自我でございまして、こういう自我が教育によって、ひじょうに増長して育てられているのでないかと考えられます。

自己というのは、世の中、世間とともにあるもの、それが自己というもので、これが人間の本質でございます。相手の悲しみが自分の悲しみであり、相手の喜びが自分の喜びである。これが自己というものでございまして、こういう心がみんなに少しはある。あるけれども、それが人間の本質とまでは思っていない、これを軽く考えておるのではないかということでございます。

--------------------------------

米沢先生の自己と自我の話を読みながら思い出すのは、有吉佐和子が小説『複合汚染』で昭和の花岡青洲と評した、奈良県五條市の医師梁瀬義亮先生。NHKの教育テレビ「こころの時代」再放送拝聴以来、数年間毎月、残されたお話のテープを送っていただいて、毎晩のように聞きました。その内容も、第一の自己、第二の自己ということを徹底されていました。毎月、テープが届くので、ご健在のように感じていました。
‥ただ、私には、「自己」も「第二の自己」もまだまだ遠い遠い水平線の向こう‥。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿