どーも伊流Jhonです。
昨日は結局のだめを読んでいたら(※3回目)いつの間にか寝ていました(爆)…しかも電気着けっぱで_| ̄|○||||
今日は起きるのがそこまで遅くなった訳ではないのですが、1週間のアニメを見ていたらあっという間に時間は過ぎ、危うく図書館に行きそびれる所でしたf(^_^;)
図書館に行ったらなんと、予約していたハイドンの伝記が届いていましたーー!!!!!!(ノ´∀`)ノついこの前自分の携帯に知らない電話番号から電話がかかってきてて…同じ支局番号だからまさか?とは思っていたのですが、やっぱりまさかでしたねΣd(´∀`)(←図書館の電話番号を登録しておけよ)
そして前回間違って返却してしまったバッハの伝記を借り直し、新しいクラシックCDも借りようと思ったのですが…借りたかったCDのメモを家に忘れてきてしまい…_| ̄|○||||(今日はバッハとフォーレを借りましたf(^_^;))
ブラームスのワルツOP.39 No.15が聴きたかったのに…!!_| ̄|○||||お馬鹿…!!!!!
まぁ、直ぐに聴きたいのであれば明日また借りに行けばいいだけなんですけどね~f(^_^;)
*****
シューベルトの伝記の感想=☆
先にバッハを書くべきなんですが、気分がノッているうちに書いた方がより感情のこもった感想が書けるので、シューベルトを先に書きます。
シューベルトはですねぇ…すごく幸せものだったと思います。
どうやらシューベルトは偉い人たち(貴族)に認められるよりも友達や音楽が本当に好きな庶民の人たち、つまり身内に認められているだけで十分満足だったようです。
というのも、シューベルトはものすごく引っ込み思案で臆病…あのベートヴェンに物凄い憧れを抱いたのにもかかわらず、いざベートヴェンと対面する機会が訪れれば後込みしてしまい、結局会うのをやめてしまったり…
シューベルトは12歳で宮廷少年合唱団に入団するのですが(これまた厳しい倍率で)、その時初めてベートーヴェンの音楽に触れ、いたく感動しそれからベートーヴェンを憧れの人として偶像するようになったようです。
シューベルトは卒業してしまった先輩、シュパウンのおかげで後に作曲を思う存分に果していくようになります。というのもシューベルトの父親は彼が音楽家になるのを反対で、さらに家もそれほど裕福ではなかったので、作曲用の五線紙を買う事がなかなか出来なかったからです。
シュパウンが働いて手に入れたお金で五線紙を買い、それにシューベルトは作曲をする…どうしてそこまでシュパウンがしてくれたのかといえば、やはり一重にシューベルトの人格だと思います。
シューベルトの才能を素晴らしいと思っていたシュパウン。しかしこのままでは彼の才能は潰れてしまう!と思ったんでしょう。その後シュパウンは全面的にシューベルトをサポートしていきます。
しかし作曲ばかりに夢中だったシューベルトはここで落第してしまい、宮廷少年合唱団を辞め代わりに父親の勧めで教職員になります。
それでももシュパウンは彼の作曲には援助をし、さらにシュパウンによってマイルホーファー(詩人)やショーバー(大学の後輩)などを紹介され、シューベルトは年の近い仲間がどんどん増えて行きます。彼らもシューベルトの音楽にいたく感動し、また彼がとても世渡りが下手だった為、自分達でなんとかシューベルトをこの世に売り出そうとします。
しかし、それは父親にとっては望まない方向でした。父親はシューベルトの音楽の才能に気づけなかったからです。
そして結果父親から勘当されてしまうのですが、シューベルトは友人達に助けられ、寝泊まりも食事も補佐してもらい作曲に励みます。
そしてシューベルトをこの世に売り出す作戦として、以前シューベルトがオペラで聴いた宮廷音楽家で売れっ子のミヒャエル・フォーグルの歌声に心底感動し惚れていたので、なんとかコネを使ってフォーグルにシューベルトの書いたリート(歌曲)歌ってもうことに成功しました。
最初は縮こまっている青年(シューベルト)にさして興味を示さなかったフォーグル。しかし彼もまたシューベルトの書いたリートが素晴らしい事に気付き、研究し、シューベルトの仲間になりたいと言ってくれたのです。
フォーグルの知名度と慣れた社交性のおかげでシューベルトは瞬く間に人気者になります…しかし、それはあくまでフォーグルや友人達の紹介で催されたコンサートの場のみ。まだ社会には売れていませんでした。
出版者にシューベルトの楽譜を印刷して欲しいと頼むも知名度の低さからなかなか相手にしてもらえず…
といのも、シューベルトの仲間は貴族ではなかったからです。ちょうどシューベルトがベートヴェンの音楽とであった頃にフランス革命が起るのですが、それでもまだ貴族による市民の統治が行われていたこの時代…貴族とのツテ(パトロン)がなかったシューベルトが社交界で大きく花開くのは無理な事でした。
しかしシューベルトはそんな事を全く気にせず、むしろ社交界に出るのを嫌がり、折角のシューベルティアーデ(※シューベルトの音楽を愛し集う人たちの会合)にも徐々に参加しなくなっていきます…自分が作曲したリートが発表されるコンサートなのに!
しかしそこはフォーグルが上手く取りまとめました。シューベルトは作曲に勤しんでいるのだと…そういい、彼は自分の30歳近く離れた青年の為に代わりに連れてきていたピアニストを使いシューベルトのリートを無償で歌って聴かせ、さらにはシューベルトの売り込みをするのでした。
このフォーグルの存在はシューベルトにとってとても大きかったと思います。シューベルト自身もフォーグルの歌声の素晴らしさに圧倒され、ベートヴェンに続く第ニの偶像と尊敬と敬意を払ってしました。
親子ほど年が離れた二人でしたが、フォーグルはシューベルトのことを素晴らしい作曲家として認め様々な手助けをします。これは現代におきかえてもなかなかできる事ではないと思います。フォーグルは別にシューベルトの歌を歌わなくとも名は知れているし、売れています。なのにこの若き青年の為に人力を尽くす…シューベルトは本当に友人に恵まれていたと思わざるを得ません。
これからきっとシューベルトの素晴らしさが世の中に知れ渡る…全てが順調と思われていた矢先、シューベルト26歳にしてとんでもない事実が発覚します…
シューベルトは一時期父親に音楽家として働いていく事を認めてもらう為、音楽関係の仕事を探していました。その時夏の間だけ貴族の屋敷に行き音楽の先生をしたことがありました。その時知り合った女性から、最悪な事に悪性の性病をうつされてしまったのです…
と、ここで一瞬疑ったのは、
(コレ…児童書だよね…??(滝汗)いいのか、“彼女がリードしてくれて”とか書いて…!ハッ!いやいやこの“リード”という単語は単に異性との付き合い方について引っぱっててくれたという意味だろう!そうに違いない!)
そのまさかだったのでした(爆)
や、シューベルトだって健全な男子ですし…!シューベルトは17歳の時初恋もして彼女と結婚することを夢見てたし…!
…………シューベルトォォォォ…!!!!!!_| ̄|○
シューベルトは以前から身体の不調に気がついていました。しかし彼の性格上、そんなことはとても恥ずかしくて言えないとじっと秘密にし、自分も気付かない振りをしていました…しかしそれが最悪な結果を招きました。
実に四年もその事実を伏せていたシューベルト。もはや病気の完治は不可能でした。一年近くも闘病生活を続けましたが、彼はもはや健康な身体を取り戻すのは不可能でした。
そうして死を身近に感じるようになったシューベルトの音楽は、より一層深みを増しました。今まで鮮やかで美しい曲とは一遍し、重苦しい曲が生まれました。それが24曲からなる大曲『冬の旅』です。有名なものは『菩提樹』や『鬼火』でしょうか。
シューベルトはただ友人達の期待に報いたい一心でした。身体の不調は一切隠し、元気に振るまい、今まで人前に出るのを散々嫌がっていましたがホールを借りてコンサートも開きました。
しかし病は彼を離しませんでした。
病気により抵抗力を失っていたシューベルトは運悪く、腸チフスにかかってしまいます。健康な人であれば差ほど問題のない病気でも、今のシューベルトには抗う事は不可能でした…
ついにベットから起き上がる事も出来なくなったシューベルト…それでも必死に『冬の旅』の校正を続けていましたが、ついに熱にうかされ夢遊病者のようにふらつき、最後に『ベートーヴェンのいるところに帰りたい』と言い息を引き取りました。死因は神経熱だそうです。
こうして1828年11月19日、わずか31歳にしてシューベルトはこの世を去りました。
最後はシューベルトの希望通り、ベートーヴェンの墓のとなりに埋葬去れました。この時葬儀に参加したのは友人達だけでした。彼は最後まで世間に名を知られず亡くなったのでした。
しかし今日(こんにち)シューベルトの交響曲やリートが知られているのは、彼の死後も友人達が彼の曲の売り込みを続けたからです。
さらにシューマン、メンデルスゾーン、リスト、ブラームスという有名な作曲家達によって後生に発掘され研究されそして発表されていったからです。
シューベルトはただ自分の音楽を真に理解し喜んでくれる相手がいれば十分でした。別に名誉も栄光いらなかったのです。ただ喜んでくれる人たちの為に…友人達の為に…シューベルトは生きました。
短くともその中に、たくさんの人からの愛情が凝縮された人生だったのだと思います。やっぱりシューベルトは幸せだったと思います。
私は『ピアノ五重奏曲<ます>』や『即興曲D899』や『魔王』なんかが好きですね。シューベルトに少しでも関心持った方は是非聴いてみて下さい。綺麗な曲が多いです!
今日は久し振りに超長くなりました…f(^_^;)最後まで読んで下さった方、ありがとうございましたv
昨日は結局のだめを読んでいたら(※3回目)いつの間にか寝ていました(爆)…しかも電気着けっぱで_| ̄|○||||
今日は起きるのがそこまで遅くなった訳ではないのですが、1週間のアニメを見ていたらあっという間に時間は過ぎ、危うく図書館に行きそびれる所でしたf(^_^;)
図書館に行ったらなんと、予約していたハイドンの伝記が届いていましたーー!!!!!!(ノ´∀`)ノついこの前自分の携帯に知らない電話番号から電話がかかってきてて…同じ支局番号だからまさか?とは思っていたのですが、やっぱりまさかでしたねΣd(´∀`)(←図書館の電話番号を登録しておけよ)
そして前回間違って返却してしまったバッハの伝記を借り直し、新しいクラシックCDも借りようと思ったのですが…借りたかったCDのメモを家に忘れてきてしまい…_| ̄|○||||(今日はバッハとフォーレを借りましたf(^_^;))
ブラームスのワルツOP.39 No.15が聴きたかったのに…!!_| ̄|○||||お馬鹿…!!!!!
まぁ、直ぐに聴きたいのであれば明日また借りに行けばいいだけなんですけどね~f(^_^;)
*****
シューベルトの伝記の感想=☆
先にバッハを書くべきなんですが、気分がノッているうちに書いた方がより感情のこもった感想が書けるので、シューベルトを先に書きます。
シューベルトはですねぇ…すごく幸せものだったと思います。
どうやらシューベルトは偉い人たち(貴族)に認められるよりも友達や音楽が本当に好きな庶民の人たち、つまり身内に認められているだけで十分満足だったようです。
というのも、シューベルトはものすごく引っ込み思案で臆病…あのベートヴェンに物凄い憧れを抱いたのにもかかわらず、いざベートヴェンと対面する機会が訪れれば後込みしてしまい、結局会うのをやめてしまったり…
シューベルトは12歳で宮廷少年合唱団に入団するのですが(これまた厳しい倍率で)、その時初めてベートーヴェンの音楽に触れ、いたく感動しそれからベートーヴェンを憧れの人として偶像するようになったようです。
シューベルトは卒業してしまった先輩、シュパウンのおかげで後に作曲を思う存分に果していくようになります。というのもシューベルトの父親は彼が音楽家になるのを反対で、さらに家もそれほど裕福ではなかったので、作曲用の五線紙を買う事がなかなか出来なかったからです。
シュパウンが働いて手に入れたお金で五線紙を買い、それにシューベルトは作曲をする…どうしてそこまでシュパウンがしてくれたのかといえば、やはり一重にシューベルトの人格だと思います。
シューベルトの才能を素晴らしいと思っていたシュパウン。しかしこのままでは彼の才能は潰れてしまう!と思ったんでしょう。その後シュパウンは全面的にシューベルトをサポートしていきます。
しかし作曲ばかりに夢中だったシューベルトはここで落第してしまい、宮廷少年合唱団を辞め代わりに父親の勧めで教職員になります。
それでももシュパウンは彼の作曲には援助をし、さらにシュパウンによってマイルホーファー(詩人)やショーバー(大学の後輩)などを紹介され、シューベルトは年の近い仲間がどんどん増えて行きます。彼らもシューベルトの音楽にいたく感動し、また彼がとても世渡りが下手だった為、自分達でなんとかシューベルトをこの世に売り出そうとします。
しかし、それは父親にとっては望まない方向でした。父親はシューベルトの音楽の才能に気づけなかったからです。
そして結果父親から勘当されてしまうのですが、シューベルトは友人達に助けられ、寝泊まりも食事も補佐してもらい作曲に励みます。
そしてシューベルトをこの世に売り出す作戦として、以前シューベルトがオペラで聴いた宮廷音楽家で売れっ子のミヒャエル・フォーグルの歌声に心底感動し惚れていたので、なんとかコネを使ってフォーグルにシューベルトの書いたリート(歌曲)歌ってもうことに成功しました。
最初は縮こまっている青年(シューベルト)にさして興味を示さなかったフォーグル。しかし彼もまたシューベルトの書いたリートが素晴らしい事に気付き、研究し、シューベルトの仲間になりたいと言ってくれたのです。
フォーグルの知名度と慣れた社交性のおかげでシューベルトは瞬く間に人気者になります…しかし、それはあくまでフォーグルや友人達の紹介で催されたコンサートの場のみ。まだ社会には売れていませんでした。
出版者にシューベルトの楽譜を印刷して欲しいと頼むも知名度の低さからなかなか相手にしてもらえず…
といのも、シューベルトの仲間は貴族ではなかったからです。ちょうどシューベルトがベートヴェンの音楽とであった頃にフランス革命が起るのですが、それでもまだ貴族による市民の統治が行われていたこの時代…貴族とのツテ(パトロン)がなかったシューベルトが社交界で大きく花開くのは無理な事でした。
しかしシューベルトはそんな事を全く気にせず、むしろ社交界に出るのを嫌がり、折角のシューベルティアーデ(※シューベルトの音楽を愛し集う人たちの会合)にも徐々に参加しなくなっていきます…自分が作曲したリートが発表されるコンサートなのに!
しかしそこはフォーグルが上手く取りまとめました。シューベルトは作曲に勤しんでいるのだと…そういい、彼は自分の30歳近く離れた青年の為に代わりに連れてきていたピアニストを使いシューベルトのリートを無償で歌って聴かせ、さらにはシューベルトの売り込みをするのでした。
このフォーグルの存在はシューベルトにとってとても大きかったと思います。シューベルト自身もフォーグルの歌声の素晴らしさに圧倒され、ベートヴェンに続く第ニの偶像と尊敬と敬意を払ってしました。
親子ほど年が離れた二人でしたが、フォーグルはシューベルトのことを素晴らしい作曲家として認め様々な手助けをします。これは現代におきかえてもなかなかできる事ではないと思います。フォーグルは別にシューベルトの歌を歌わなくとも名は知れているし、売れています。なのにこの若き青年の為に人力を尽くす…シューベルトは本当に友人に恵まれていたと思わざるを得ません。
これからきっとシューベルトの素晴らしさが世の中に知れ渡る…全てが順調と思われていた矢先、シューベルト26歳にしてとんでもない事実が発覚します…
シューベルトは一時期父親に音楽家として働いていく事を認めてもらう為、音楽関係の仕事を探していました。その時夏の間だけ貴族の屋敷に行き音楽の先生をしたことがありました。その時知り合った女性から、最悪な事に悪性の性病をうつされてしまったのです…
と、ここで一瞬疑ったのは、
(コレ…児童書だよね…??(滝汗)いいのか、“彼女がリードしてくれて”とか書いて…!ハッ!いやいやこの“リード”という単語は単に異性との付き合い方について引っぱっててくれたという意味だろう!そうに違いない!)
そのまさかだったのでした(爆)
や、シューベルトだって健全な男子ですし…!シューベルトは17歳の時初恋もして彼女と結婚することを夢見てたし…!
…………シューベルトォォォォ…!!!!!!_| ̄|○
シューベルトは以前から身体の不調に気がついていました。しかし彼の性格上、そんなことはとても恥ずかしくて言えないとじっと秘密にし、自分も気付かない振りをしていました…しかしそれが最悪な結果を招きました。
実に四年もその事実を伏せていたシューベルト。もはや病気の完治は不可能でした。一年近くも闘病生活を続けましたが、彼はもはや健康な身体を取り戻すのは不可能でした。
そうして死を身近に感じるようになったシューベルトの音楽は、より一層深みを増しました。今まで鮮やかで美しい曲とは一遍し、重苦しい曲が生まれました。それが24曲からなる大曲『冬の旅』です。有名なものは『菩提樹』や『鬼火』でしょうか。
シューベルトはただ友人達の期待に報いたい一心でした。身体の不調は一切隠し、元気に振るまい、今まで人前に出るのを散々嫌がっていましたがホールを借りてコンサートも開きました。
しかし病は彼を離しませんでした。
病気により抵抗力を失っていたシューベルトは運悪く、腸チフスにかかってしまいます。健康な人であれば差ほど問題のない病気でも、今のシューベルトには抗う事は不可能でした…
ついにベットから起き上がる事も出来なくなったシューベルト…それでも必死に『冬の旅』の校正を続けていましたが、ついに熱にうかされ夢遊病者のようにふらつき、最後に『ベートーヴェンのいるところに帰りたい』と言い息を引き取りました。死因は神経熱だそうです。
こうして1828年11月19日、わずか31歳にしてシューベルトはこの世を去りました。
最後はシューベルトの希望通り、ベートーヴェンの墓のとなりに埋葬去れました。この時葬儀に参加したのは友人達だけでした。彼は最後まで世間に名を知られず亡くなったのでした。
しかし今日(こんにち)シューベルトの交響曲やリートが知られているのは、彼の死後も友人達が彼の曲の売り込みを続けたからです。
さらにシューマン、メンデルスゾーン、リスト、ブラームスという有名な作曲家達によって後生に発掘され研究されそして発表されていったからです。
シューベルトはただ自分の音楽を真に理解し喜んでくれる相手がいれば十分でした。別に名誉も栄光いらなかったのです。ただ喜んでくれる人たちの為に…友人達の為に…シューベルトは生きました。
短くともその中に、たくさんの人からの愛情が凝縮された人生だったのだと思います。やっぱりシューベルトは幸せだったと思います。
私は『ピアノ五重奏曲<ます>』や『即興曲D899』や『魔王』なんかが好きですね。シューベルトに少しでも関心持った方は是非聴いてみて下さい。綺麗な曲が多いです!
今日は久し振りに超長くなりました…f(^_^;)最後まで読んで下さった方、ありがとうございましたv
彼が不運にも不治の病をうつされる。
悦楽にだらしがない所為ですけどね。
不潔で悦楽にだらしなく金銭感覚の無い人物は
よく見ます。
でも、私と同じ才能とは無縁。
ソコソコの大学を出て、嫁に嫌われ離縁。
零細企業で知り合った人ですが、眼鏡が割れてる
鼻毛も出てる。
私は工夫好きで設計図を見るのが好きで
でも
彼には図面が理解出来ないらしく、
製作してるのを見て、どうしてそうなるのか?
と不思議がってる。
数学がちゃんと出来るのは関数問題の解をいとも
簡単に出したこと。
電卓が偶々無く聞いて、けがき線を入れ合わせると
ぴったり。
流石大学出だと思いましたが。
その知識の使い方を知らない。
それてしまいました。
皆平民は帯に短したすきに長しなんですよね。
なかなか、シューベルトの孤独 を、表現できずに悩んでいました。しかし、伝記を読み返した時に、実はシューベルトは心ある友人に支えられて、早くから才能を認められ、ピアノの先生は自分のために引越しまでしてついてきてもらうなど、短くも幸せな人生を送ってきたのではと思いました。
シューベルト 幸せで、ブログにたどり着きました。
発表会まであと1週間ですが、キラキラと楽しく演奏したいと思います。