野球殿堂入りを決める野球体育博物館の競技者、特別両表彰委員会は11日、通算215勝を挙げた元ロッテ投手の村田兆治氏(55)、巨人V9時代の捕手で元西武監督の森祇晶氏(68)=ともに競技者表彰、また元NHKアナウンサーの志村正順氏(91)=特別表彰=の3氏を選出し、発表した。殿堂入りはこれで合計154人となった。
マサカリ投法と呼ばれた豪快なフォームで剛球とフォークを投げ続けた村田さんは平成2年に41歳で引退。それから15年がたち、55歳になった今でもマスターズリーグに参加し、140キロの速球を投げ続けている。
「まだまだ現役には負けないよ」。その言葉通り、今でもトレーニングは欠かさない。
33歳のときに右ヒジを痛めた。医者からは「再起は難しい」といわれたが、情報を集め、大リーガーを執刀していた米ロサンゼルスのジョーブ博士を訪ねた。当時、日本ではヒジや肩にメスを入れることがタブー視されていたが「もう一度投げたい」という一心で、腱の移植手術を受けた。
それから3年のリハビリを乗り越え、36歳となった昭和59年、開幕から11連勝を含む17勝(5敗)を挙げ復活。毎週日曜日に登板し“サンデー兆治”と呼ばれた。
平成9年には急性心筋梗塞(こうそく)で緊急入院。今でも血管には金属器具が入っているが、それでも引退後から始めた全国の離島での少年野球教室を続けている。北は利尻島から南は小笠原諸島、尖閣諸島まで訪れた島の数は40以上。今春には村田さんに賛同するプロ野球OB有志による“マサカリドリームス”を結成し、離島の子供たちと親善試合をする計画もある。
「野球殿堂は人生最後の表彰と思っていましたが、まさかこんなに早く受賞できるとは。もっと社会貢献しなさいという意味と受け止めたい」
座右の銘は“人生先発完投”。野球人・村田兆治のピッチングはまだまだ中盤だ。
今でも140kmの速球を投げるサンデー兆冶!おめでとうございます。
マサカリ投法と呼ばれた豪快なフォームで剛球とフォークを投げ続けた村田さんは平成2年に41歳で引退。それから15年がたち、55歳になった今でもマスターズリーグに参加し、140キロの速球を投げ続けている。
「まだまだ現役には負けないよ」。その言葉通り、今でもトレーニングは欠かさない。
33歳のときに右ヒジを痛めた。医者からは「再起は難しい」といわれたが、情報を集め、大リーガーを執刀していた米ロサンゼルスのジョーブ博士を訪ねた。当時、日本ではヒジや肩にメスを入れることがタブー視されていたが「もう一度投げたい」という一心で、腱の移植手術を受けた。
それから3年のリハビリを乗り越え、36歳となった昭和59年、開幕から11連勝を含む17勝(5敗)を挙げ復活。毎週日曜日に登板し“サンデー兆治”と呼ばれた。
平成9年には急性心筋梗塞(こうそく)で緊急入院。今でも血管には金属器具が入っているが、それでも引退後から始めた全国の離島での少年野球教室を続けている。北は利尻島から南は小笠原諸島、尖閣諸島まで訪れた島の数は40以上。今春には村田さんに賛同するプロ野球OB有志による“マサカリドリームス”を結成し、離島の子供たちと親善試合をする計画もある。
「野球殿堂は人生最後の表彰と思っていましたが、まさかこんなに早く受賞できるとは。もっと社会貢献しなさいという意味と受け止めたい」
座右の銘は“人生先発完投”。野球人・村田兆治のピッチングはまだまだ中盤だ。
今でも140kmの速球を投げるサンデー兆冶!おめでとうございます。