ハーバード大学のクラウディア・ゴールディン教授が、女性として3人目となるノーベル経済学賞を受賞した。
そのニュースの中で、彼女がコーネル大学の卒業生だと知った。
私も卒業したコーネル大学は、日本の大学とは比較にならないほど多くのノーベル賞受賞者を出している。
卒業生から、ノーベル賞の全部門の受賞者を出していることでも有名だ。
ただ、クラウディア・ゴールディン教授は、コーネル大学を卒業後、シカゴ大学で修士、博士号を取っている。
アメリカでは、大学は、人生の次のステップへの踏み台に過ぎない。
日本のように学部卒の学歴だけで、一生安泰なんてあり得ない。
だから、修士、博士と、より上の学位を目指すことになる。
アメリカは、エンドレスでシビアな学歴競争社会と言える。
それに比べ、日本は学歴と言っても学部卒の学士までの話。
アメリカとはレベルが違う、競争の無い学歴社会。
そんな日本で、学歴だけで一生安泰なんてあり得ないという現実に、早く気付くべきだ。
一流大学を卒業して、一流企業に就職すれば、万々歳なんて考えていたら後悔するだろう。
考えてみれば、総合商社やコンサルやメガバンクや巨大メーカーに入れても、平社員からの叩き上げ競争。
しかも、地頭がよくて要領の良い連中ばかりなので、その競争は熾烈でクレージー。
日々の仕事に夢中になっているうちに、あっさり海外留学して学位を取ってくる者も出てくる。
そうなると、残りはノンキャリア候補。
初めは勝ち組でも、ずっと一選抜で昇進していかなければ、やっぱりノンキャリア候補。
待っているのは、出向、転籍、リストラ、
それが嫌なら転職だ。
既に普通の精神では耐えられない、結構異常な世界になっている。
話を戻そう。
日本の大学のほとんどは、学部までの教育機関に過ぎない。
だから学歴と言っても、学部卒がほとんどなので母校は一校。
そのせいで大学に執着する。
そんな大学も、特に私立大学は、研究機関と言うよりは、就職予備校か同好会かスポーツ専門学校のようになっている。
研究機関と言えるのは、一部の国立大学だけだろう。
アメリカも、どうでもいい大学が多いが、研究機関と言える大学の数は、日本の比ではない。
このあたりが、ノーベル賞受賞者数の差を生み出している。
アメリカと比べれば、日本は、まだまだ学歴社会とは程遠い「学士様」の世界。
そんな日本でも、さらに凋落していけば、学士様の母校への執着なんて言う余裕は吹っ飛ぶだろう。
下手をすると、日本の大学の卒業証書なんて、紙クズ同然になるかもしれない。
日本と違い、アメリカは本当の意味での学歴社会。
修士や博士の学位が無いと稼げない。
だからアメリカでは、学部の成績が振るわなくて、学部から先への進学を諦めざるを得ない人以外は、大学院へ進学する。
その結果として、複数の学位と母校を持つことになる。
そのせいか母校にはあまり執着しなくなる。
しかもアメリカは、世界トップの経済大国、競争が激し過ぎて、母校などに執着している余裕すらないと言うのが本音かもしれない。
そもそも、アメリカ人にとって卒業式(commencement)は、文字通り人生のスタートと言う認識でしかない。
だから、若くして人生を懸ける目標を見つけたアップルやフェイスブックやマイクロソフトの創業者たちは、大学の卒業など待たずに人生のスタートを切って、大成功している。
学歴社会のアメリカでさえ、能力のある人、人生の目標を見つけた人には、学歴なんて必要ない。
こうしたアメリカ人の、日本人との意識の違いが、アメリカをアメリカたらしめているのかもしれない。