半沢直樹が、持てる力を発揮して、崖っぷちの会社生活を、この上もなく充実させている爽快感。いいや、そもそも彼には、崖っぷちなんていう負け犬のような自覚はないのだろう。そこが素晴らしい。
彼の目指す方向性の根っ子には、勝手な思い込みや独善などない。彼は、常に、「中野渡頭取」以上の経営判断を下していく。それが、このドラマの醍醐味。しかも、彼には、顧客や世界が、必ず味方してくれるという強い信念がある。私たちは、そんな半沢直樹に共感し、いつの間にか、シンパになってしまうのだ。
サラリーマンは、数十年にわたる長い会社人生を送る。それでも、半沢直樹のように、自分の力を思う存分発揮できる場に巡り会える機会は、あまりない。多くのサラリーマンは、持てる力を発揮することなく、会社人生を終える。寂しい限りだ。
それにひきかえ、半沢直樹、本当に恵まれている。羨ましい限り。その理由は何か。そう、彼には、揺るぎない自信と信念があるからだ。しかも、その自信と信念は、銀行に入行する前の「半沢家」の苦難の歴史に裏打ちされている。おそらく彼には、入行する前から、「人生に対する哲学」があったのだろう。それが、彼の力を何百倍、何千倍にもしている。そう「千倍返し」は、決して言葉の遊びなどでは無いのだ。
半沢直樹ではないが、会社人生を生き抜くためには、「自分なりの哲学」を持っていなければならない。何があっても、ブレない哲学。それと、自分の能力に対する自信。いい大学を出たということではない。学歴や、誰かからの評価ではなく、自分自身の評価に基づく「人としてのアプリオリな自信」。
そもそも、自分の評価は、自分にしかできない。だからこそ、納得できない他人の評価を前にしたとき、「負けてたまるか」と気概が湧くのだ。あてにならない他人の評価など、放っておけばよい。「褒め殺し」でもない限り、他人は良い評価など下さない。「人の不幸は蜜の味」、所詮、ねたみや嫉妬に根差しているものだ。たくさんの人間がひしめく競争社会。「石が流れて木の葉が沈む」世界。上司や競争相手の訳の分らない悪意に満ちたマイナス評価や誹りなどに振り回される必要はない。
半沢直樹も、大物政治家から、「小童」、「石部金吉」などと誹られ見下される。しかし、そんなことは、褒められているようなもの。痛いところを突く半沢直樹を、畏怖したからに過ぎない。戦いというものは「強い者が勝つのではなく、勝った者が強い」ということを知っていれば、相手が大物政治家だからといって尻込みする必要など無い。
緻密な判断を下すエリートでありながら、タフで、優しさを兼ね備える半沢直樹。彼は、まさに、レイモンド・チャンドラーの「タフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない。」という言葉にぴったりの素晴らしいヒーロー。人生は「食うか食われるか」。そんな殺伐とした世界を生きる私たちの「一服の清涼剤」が、ドラマ「半沢直樹」だ。