棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

半睡の夢は

2015-11-20 10:37:24 | 山郷の暮し
真夜中とも明け方とも定かではありませんが、半睡の状態で思い巡らせていたことがありました。

それは、私の生涯で記憶が始まるのは5-6才頃かと思いますが、それ以前は自分はどのような状況であったのだろうか・・・と、想っている私なのです。
母はどんな思いで私を産み、育てていたのであろうか。
等々を思い巡らせていたのであるが、わかるはずがない。

今日のように記録が容易にできる時代でもなく、ましてや写真やビデオなどはありはしない。
私が思いを巡らせていたのは「私自身のこと」ではなく「生活を含めた母の気持ち」なのであった。
それは思慕ともつかないことであったが、今 こおして記しているとそおいうことなのかも知れないと思えても来るのですが・・・。
何となくわかりにくいかもしれませんが、意識は己から離れているのです。

それまで、何となく尋ねてみようかと思ったことがあったかもしれないが、
おもはゆくもあり深く聞くことはなかったのだ。と思います。
素直に尋ねる事ができるようになった頃は、相手の母は亡くなっているのである。
此のことは私ばかりではなく、誰でもが経験したことであろう想いではないだろうかと、
そのことをとしきりに考えていた(半睡で)気がする。

次第に意識が働いてきたとは思うのだが、幼児から観える「母子像」が知りたくなったのである。
それはまったく不可能なことではあるが、誰でもが深層的に想っていることではないだろうかと・・・。

さらに、両親にしても我を育ててくれた期間以外なにも知らないのである。
いや、それ以後も知っているような気がしていただけなのかもしれない。
なにぶん大人と子供であり、親子関係だけなのである。
話は飛躍してしまうが、夫婦も知らない者がナニカを共有してひとつ屋根にいることなのだ。
東北大地震いらい絆の言葉がキーワードになっているが、キズナってどういうことなのかな--、と考えてしまう。

わかったような、わからないような話ですが、半睡の夢はとりとめもなく続く。

写真は 「私は何処より来て・私は何者なのか・私は何処へ行くのか」より過去の分 

 

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