棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

壁画制作をする私-2

2018-07-12 15:04:08 | 山郷の暮し
夏になると時には4時ころから眼パチクリになり、濃いコーヒーを飲みアトリエを覗く。
そのまま制作に入ることもあれば、また寝することも。
午前中はほとんどアトリエにうろうろしている。
同行するのは犬のハナで、この子はアトリエがいたく好きなようで「アトリエ」の一言ですっ飛んで行く。

 制作は順調に進んできたようだがさにあらず。
構図はまったく変わらず、変えようもないのだが、壁画の仏たちの平面と、よりリアルに立体的に描き出したい油彩の自画像とのバランスが難しい。
壁画は古典的日本画画法のように線によるボリュウム感にしたい。
油彩画を主な画法としてきた私にはセンス的に異なり、大変難しい。つい陰影を色または面にしてしまい目的と違ってしまう。
何よりも絵の具が異なるのであるが、油彩画の仕上げにするので、試し一工夫をしながらの制作だ。
 
下の部分が当初と大きく変わった。

 6月下旬には完成し、蛇足的な加筆を避けるために母屋に絵を移す。
所を変えれば違って見えることもあり大切な行程だが、晩酌で楽しむにはどうも油臭すぎる。
まーど真ん中に脂ぎったおっちゃんが眼をむいているからやむえまいが、背後の「空間設定は前面になるのだが」仏たちまで脂ぎって重すぎると気がつく。
そうならないように気を配っての制作であったが、何時しかリアルな描き出しの自画像に合わせていたのである。

第三者の意見を伺いたくなり、長年の絵描き友に来てもらう。
開口一番「集大成のような絵ですね。いいのだけれど観ていて不安になってくる。つまり観ているものの視線が定まらないからではないだろうか。」
そして、いろいろな意味があろうかとおもうが「わからない。判らない苛立ちを覚える」と。

それでは私が意図とした「誰でもが得る事ができる平安な心境」へのいざない、とでも言うべきであるのだが、真反対になってしまっている。
友は一二分に私の意図を承知の上で言ってくれたのであろう。
それから第三の制作段階へと移った。

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本