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欲しいもの以外は何でもある「夜市」 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道㉑

2023-09-09 04:30:34 | 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道

【連載】藤原雄介のちょっと寄り道㉑

欲しいもの以外は何でもある「夜市」

香港

 


 香港国際空港の無人旅客輸送システムプロジェクト遂行の為に、私は2018年から20019年にかけて毎月20日ほど香港に出張していた。常宿にしていたのが、九龍のネイザンロード(Nathan Road=彌敦道)にあるEaton Hotelだった。

 このホテルから歩いてほんの数分の距離に「夜市」で有名なテンプルストリート(Temple Street=廟街)はある。別名「男人街」だ。

 一方、「モンコック(旺角=Mong Kok)の夜市街は、「女人街」と呼ばれている。

 それぞれ意味ありげな名称だが、単に男性向け、女性向けの商品が多く売られているからだという。しかし、私には、そんな違いを識別することはできなかった。

 

▲夜市で有名なテンプルストリートの「男人街」

 

 さて、夜市は、主に中華圏や東南アジアを中心にみられる、夕方から真夜中にかけて営業する屋台、露店、雑貨店などの通称だ。熱帯や亜熱帯地域において、昼間の暑熱が収まる夕方から活気を呈し始める。

 このような商業形態は、ニューヨーク、ロンドン、ベルリンなどの先進諸国の都市にもあるのだが、興味深いことに、洋の東西を問わない。その雰囲気には、ワクワク感、猥雑さ、非日常的な共通の空気がある。
 出張者が来ると必ず「男人街」に案内していたが、ほぼ全員、昼間の真面目くさった仕事の顔から無邪気な子供のような顔になっていくのを観察するのが面白かった。

▲ぶらぶらするだけで楽しいが、その内飽きてくる

 

 裸電球に照らされ、キラキラと輝く、偽物のアンティーク、どうでもいい雑貨類、怪しげな時計やバッグの偽ブランド品、安物の衣類、家電製品などに眼を奪われながら、人混みをかき分けて歩くのは楽しい。しかし、買いたいモノがないのだ。
「ここには、欲しいもの以外、何でもあります」というのが、出張者に向けた私の決まり文句だった。
 夜市では、一部の例外を除き、基本的に値札は付いていない。値札が付いていても、付いていなくても、値引き交渉をするのがお約束だ。

 私は、中国、モロッコ、メキシコなどで手強い露天商を相手に交渉した経験があるので、ウブな出張者の代わりにネゴシエーターを務めることが多く、半値にでも値切る事ができれば、感謝されたものだ。
 この種の駆け引きでは、相手が言う価格の3分の1くらいから始めるのが通例だが、中には、あまり吹っ掛けてこない良心的(?)な売り手もいれば、むちゃくちゃに吹っ掛けてくる輩もいるので、相手の顔色を窺いながら駆け引きを楽しむ。行き詰まれば、立ち去る素振や’You are crazy!’ と呆れてみせたり、「あっちの店では、20元安かった」等とでまかせを言ったりもする。

 ここまで書いて来て、突然メキシコ研修中に、当時の駐在事務所長から、言われた言葉を思い出した。
「露天商が要求する値段は、法外であることが多い。しかし、値切ってはいけない。我々にとっては、端金でも彼らには生活が掛かっている。だから、私は、彼らの言い値で買うことにしている」

 所謂、ノブレスオブリージュ(身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、欧米社会における基本的な道徳観)の考え方だが、当時、若くて薄給だった私は、衝撃を受けたものだ。

 たまに出張者と夜市に行くのは、楽しいのだが、直ぐに飽きてしまう。それに、毎回、説明しづらい疲労感に見舞われる。恐らく、混沌、雑然とした中に、安物と偽物が発散する負の「気」のようなものが溶け出しているからだろう。

 しかし、世界中でいくら都会化が進もうと、夜市(的なもの)は存続し続ける筈だ。世の中が、良質で洗練された美しいものだけになってしまっては、退屈してしまうに違いないから。

 

▲占いのおばさんや、より合わせた糸で顔の産毛処理をしてくれるおばさんも店を広げている

 


                                    

 

  

【藤原雄介(ふじわら ゆうすけ)さんのプロフィール】
 昭和27(1952)年、大阪生まれ。大阪府立春日丘高校から京都外国語大学外国語学部イスパニア語学科に入学する。大学時代は探検部に所属するが、1年間休学してシベリア鉄道で渡欧。スペインのマドリード・コンプルテンセ大学で学びながら、休み中にバックパッカーとして欧州各国やモロッコ等をヒッチハイクする。大学卒業後の昭和51(1976)年、石川島播磨重工業株式会社(現IHI)に入社、一貫して海外営業・戦略畑を歩む。入社3年目に日墨政府交換留学制度でメキシコのプエブラ州立大学に1年間留学。その後、オランダ・アムステルダム、台北に駐在し、中国室長、IHI (HK) LTD.社長、海外営業戦略部長などを経て、IHIヨーロッパ(IHI Europe Ltd.) 社長としてロンドンに4年間駐在した。定年退職後、IHI環境エンジニアリング株式会社社長補佐としてバイオリアクターなどの東南アジア事業展開に従事。その後、新潟トランシス株式会社で香港国際空港の無人旅客搬送システム拡張工事のプロジェクトコーディネーターを務め、令和元(2019)年9月に同社を退職した。その間、公私合わせて58カ国を訪問。現在、白井市南山に在住し、環境保全団体グリーンレンジャー会長として活動する傍ら英語翻訳業を営む。


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