森の中の恍惚

野山が笛を吹いている

二宮赤城神社

2013年06月01日 | 空色の休日 2013 

上野國の二宮である赤城神社の論社の一つ「二宮赤城神社」に参拝。朱塗りの木造鳥居が印象的ですね。右奥には神仏習合時代の名残であろう鐘楼がみえます。


参道は真っ直ぐ、赤城山へと向かって伸びます。


神代橋を渡り、正面には随神門。


境内は広く、東側に神楽殿と舞台。


西側には社務所と萱葺きの神輿倉。


歴史ある古社を感じさせられる本殿ですね。


これも神仏習合時代の名残か、赤城山南麓に多く分布するという宝塔「赤城塔」が前橋市の指定重要文化財として保存されています。

延喜式内上野国十二社
二宮赤城神社

 当社は、第十代崇神天皇の皇子「豊城入彦命」「大己貴尊」を始めとし、数柱の神々を祭神とし、第十一代垂仁天皇、第十二代景行天皇の時代に創建されたと伝へられる古社である。特に、古代豊城入彦命を始とした毛野氏の子孫上毛野氏と深い縁のあった社とも伝へられている。
平安朝初期の第五四代仁明天皇の承和六年(八二九)に従五位下に叙されて官社となり、続いて昇叙を経、第六〇代醍醐天皇の延長五年(九二七)に制定された「延喜式」内、上野国十二社中の名神大社とされた。第六八代後一條天皇の長元々年(一〇二八)頃の上野国の国司文書中に、正一位赤城大明神、上野国神名帳には、上野国二宮赤城大明神などの神位、神階が記録されている古名社であった。第七〇代後冷泉天皇の永承四年(一〇四九)には、日本全国の諸社中から五五社が選ばれ、神仏習合の勅願神社となり、当社もその一社として、社域内に造塔の折、心礎(根巻石)内に仏舎利(釋迦尊の骨片、現存)が奉納されていたのである。
鎌倉時代には征夷大将軍源頼朝の崇敬を受け、建久五年(一一九四)当社などの修築を、守護職安達盛長に命じ、二宮太郎浅忠、岡部九内忠成らが修築を奉行したり、百石を寄進したと云う記録も見られる。戦国時代に小田原城主北條氏政の軍勢に依って、数多くの建物は打壊され、壊滅的被害を受け、宝物類も多く失ない衰微した。天正十八年(一五九〇)北條氏滅亡後、領主として大胡城へ入城した牧野駿河守忠成、康成父子を始めその後厩橋藩主となった酒井氏歴代、江戸時代幕府の天領代官藩主松平氏歴代さらに住民に篤く尊崇されてきた、そして赤城南麓地帯の連神社の中心的役割を果していた。



‥‥と、回っていて思わず拝殿を撮り忘れてしまった「二宮赤城神社」でした。

: 赤城三社を回るには、まずここ「二宮赤城神社」からお参りください。

:ここです→ ブログ人マップ

>森の中の恍惚:赤城神社 本宮


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