森の中の恍惚

野山が笛を吹いている

下野本将軍塚古墳 利仁神社

2013年08月17日 | 空色の休日 2013 

東松山市「ピオニウォーク東松山」の北、北武蔵屈指の前方後円墳「将軍塚古墳」の墳丘上に鎮座する「利仁神社(としひとじんじゃ)」を前方部より望む‥‥。


後円部の墳丘に祀られた社殿。左側の狛犬は伏せ姿勢をしています。


祭神は、平安時代の代表的な武将で武蔵守を務めた「藤原利仁(ふじわらのとしひと)公」。利仁公の末裔でもあり、野本氏の始祖とされる「野本基員(のもともとかず)」がこの地に祀ったものではないかと伝えられています。
利仁神社
御祭神 藤原利仁
 当社は延長元年癸未歳四月二十四日の創建に係り同暦乙酉歳六月時の帝麻疹にて御悩みあり、予而奉幣の勅願を降し給うところ速に平癒し給ひ、御悦喜の余り利仁大権現と謚す。
 中古、保元平治の頃乱戦の為社殿災を受けしも鎌倉殿社寺を中興し除地となす、文明の度宗芝禅師中興開基今利仁山無量寿寺と号せしも明治初年分離し利仁神社とす。
 (中略)
 利仁神社は藤原利仁を祭祀し類例なき御祭神にましますので当村は室町時代より徳川時代に至り村家の発展を見るによりて衆庶の崇敬を増し麻疹に悩む者絡繹として祈請し為に庶民より小児救命の神として崇敬せられしものである。

:ここです→ Googleマップ

将 軍 塚 古 墳
将軍塚は、埼玉県内の古墳中、行田市埼玉の二子山古墳に次ぐ巨大な前方後円墳で、周辺は削り去られているが、墳丘は比較的よく保存されている。
現存する墳丘の全長は一一五米、高さは、前方部で八米、後円部は一三米、総面積は五七五五・二二平方米に及ぶものである。まだ学術的発掘調査が行なわれていないので、内部主体や、外部施設の状態など明かでない。
この将軍塚を中心として、東北方には柏崎、古凍の古墳群があり、南方の台地には高坂の古墳群、西方には青鳥、塚原の古墳群が分布し、更に吉見丘陵には吉見百穴(横穴群)がある。かゝる古墳の分布は、古墳時代すでに、この地方が、高度の社会的発展を遂げた所と考えられる。
: この古墳の実際の被葬者については、定かではないとのことです。(利仁公では無いことは確かですね。

青空文庫 「芋粥」芥川竜之介



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 鶴ヶ島市中新田 神明神社 | トップ | 謝謝!グロリアジーンズコーヒー »

コメントを投稿

空色の休日 2013 」カテゴリの最新記事