原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

女の出世、丁と出るか、半と出るか!??

2021年10月23日 | 時事論評
 世の中、政権も一般企業も“女性起用”で躍起となっているようだが。

 どうも女の数だけ揃えりゃそれで済むと安易に捉えられている様子で、私など返って女性蔑視でなかろうか??、との見方しか出来ないでいる。


 本日2021.10,23付朝日新聞“悩みのるつぼ”の相談は、50代女性による「女性の間にもある昇進格差」である。
 早速、相談内容の一部を以下に要約して紹介しよう。

 50代女性、新卒で入った会社で課長補佐をしている。
 会社も女性管理職を増やそうと対外的に数値目標を掲げているが、実際には管理部門のみ女性管理職が増え、私がいる営業部門はまだまだ男性の聖域のようになっている。
 昇進している女性は、2種類に限定されていると感じる。①残業もいとわずバリバリ働くバリキャリアタイプ。 子供がいないことが多い。 ②役員クラスから覚えめでたき人。
 私も頑張ってきたつもりだが、どんどん男性所クインに追い抜かれ、やりきれない思いに襲われる。
 出世は運やタイミングによると頭で分かっていても、時折襲ってくるモヤモヤ感にどのように打ち勝ち、日々穏やかに過ごすことができるか?

 (以上、“悩みのるつぼ”相談内容の一部を要約引用したもの。)


 原左都子の私事に入ろう。

 私の場合はこの相談者とは大きく異なり、元々医学専門職員として新卒で雇用された。 入社後即戦力として、医学専門業務をこなしつつ。
 27歳時にその専門職場係長の地位に任命された。 当時としては異例の措置と思われたが、とにかく2000名規模の社内での女性係長は私を含めて2,3名だったように記憶している。
 その後、29歳時に管理部門である新宿本社の教育課配属となり、主任(部下のいない係長)の地位で、社員に対する医学教育や医学書の執筆等々をこなす日々だった。
 この本社管理部門への配属こそが、未来の女性管理職候補としての道のりの手始めであり、先々は女性管理職として企業を背負って立つのであろうぐらいの予想はついていた。

 ところが、我が人生に於ける私自身の目指す夢は全く異なっていた。
 まだまだ他分野の学問に励みたい!との明瞭な目標設定があった私は、業務で多忙な中、新たな大学受験を目指し職務の間に受験勉強に励み合格をゲットしたのだ!
 まさかそんなことを露知らなかった社内の上司陣が実に驚き、私が退職を申し出た際にそれの阻止行動に出たのだ。 「貴女は、春から“主査”(部下のいない課長)と決定している。これから当社でバリバリ働いて欲しいと思っている時期に、新たな大学進学とは何事か! 考え直せないものか。」
 首を横に振り続けた私の送別会が、企業上層部の面々も出席して執り行われた。 
 その席に副社長も出席して私に告げるには、「貴女はそのレベルまで医学を積み上げておきながら、会社を辞めて大学へ再入学すると聞くが、一体いかなる分野の学問をやりたいんだ?」
 私応えて、「経営学です。(当初の目標はそうだった。 入学後、哲学や法学に浮気しまくった挙句、結果としては大学院修士課程にて“経営法学修士”を取得したのだが。)」
 そうしたところ(某都市銀行頭取経験もあられる)副社長がおっしゃるには、「そんなのボクが教えてやるから、馬鹿なことを言っていないで、貴方は当社で医学を続けなさい!」

 この話題は過去に当エッセイ集にて複数回取り上げているが、実際この副社長の発言こそが、私にとっては“最高の贈る言葉”となった。 
 これ以上ない有難いお言葉を頂戴して、私は新たな分野へ前進していった。

 更に参考だが、その後“経営法学修士”を活かして高校教師となり、商業高校にて「商業法規」や「商業経済」の科目を伝授した後に、高齢出産にて教師を退職し。
 娘がある程度の年齢になった後、私は再び過去の医学経験を活かして国立開発研究法人・理化学研究所にて医学実験にかかわってきている。


 私事が長引いたが。
 
 今回の“悩みのるつぼ”回答者であられる社会学者・上野千鶴子氏も以下のように述べられている。
 
 相談者女性は、「会社命」で生きてきたわけでもなさそうなので、定年後のソフトランディングを見据えて、ご自身の第二の人生を設計されてはいかがか? とりあえず、定年まで勤めて退職金と年金は確保するべき。
 会社ファーストより、自分ファーストです。

 (以下略すが、上野千鶴子氏のご回答の一部を引用。)



 最後に、原左都子の結論を述べよう。

 今現在世で叫ばれている「女性起用」とは、所詮、その程度のものと私も理解している。

 だからこそ、それに起用された(されてしまった)女性こそが、ご自身の将来を冷静に見つめるべきではないだろうか?
 

“親ガチャ”問題、続論

2021年10月22日 | 人間関係
 冒頭から、本エッセイ集2021.10.15付バックナンバー「自分の人生“親力(おやのちから)によって決定する訳がない!」のごく一部を、以下に要約引用させていただこう。


 今、SNS上のスラング言葉として “親ガチャ” なる俗語があるらしい。
 この種の俗語を日頃より毛嫌いしている原左都子であるため、この言葉をなるべく回避しつつ話を進めさせていただこう。

 朝日新聞2021.10.14付“耕論”のテーマは「親ガチャという『不平等』」だった。
 その前書きを引用すると。
 「親は選べず、親次第で人生が決まってしまう」。そんな人生観を表す「親ガチャ」を巡り論争が沸き起こった。SNSのスラングとされるこの言葉になぜ人々は反応するのか。

 早速、原左都子の私見だが。

 そんなアホらしいことを議論していないで、親が嫌いだったり役に立たないのならば、成人した暁にはとっとと捨て去って独立し、自力でこの世を生き抜きゃ済む話ではないか!
 少なくとも私はそうしてきたぞ。
 その努力をせずしていつまでも親に依存している奴らに、そんな議論をする権利など無いぜ!😠

  (途中、大幅略)

 それ以上、言うこともないのだが。

 各論的に述べさせていただくと。
 まず大学受験だが、何で予備校へ通わねば受験で負けるのか、私は理解しかねる。
 私自身も、我が娘も、大学受験に関して一切予備校や塾のお世話になっていない故だ。 
 参考だが、娘に関しては親の私が専門ではない“美術系”に関しては予備校のお世話になった。 ところが娘の高3直前期の進路変更により、その後の受験指導は親の私が単独にて実施して、大学公募制推薦入試を一発合格させている。
 あっと、これ純粋な意味での“親力”だね。😜  ただ、娘がこの親力に恵まれたのは、娘本人の素直さ・真面目さ等々の資質によるものだ。 私とて、どうしようもない阿保な子や歪み切った子に対しては、たとえ実の子と言えどもそのフォローをなさなかっただろう。 (それが証拠に、歪み切った人格の米国在住の実姉とは20数年前に絶縁している。)
 そういう意味で、我が娘は十分に本人も努力したと言えよう。

 哲学者の森岡氏がおっしゃるところの、進学先の大学では様々な学びや出会いがあるとのお言葉。 まさにその通りだ!
 この原左都子など、2度大学(大学院)を経験しているが、両学共々、どれだけ優秀な教授陣に恵まれ続け、良質な学業に励めたことか。
 今尚大学恩師の皆様には感謝し続けていて、未だに年賀状交換が続いている。(残念ながら医学部恩師は4年程前に亡くなったが。)

 とにかく、私自身が一度目の大学卒業後は、郷里も親も捨てて単身上京して現在に至っている身だ。

 “親ガチャ”だと!??
 子ども側からその言葉が出ること自体、未だに子どもこそが親に期待し続けている現状と言えないだろうか?
  
 子ども側こそが、親から本気で自立して独り立ちしてはどうなのか?!?
 運命とは自分自身が造っていくものだ。
 それが理解できてこそ、貴方たちに自由で輝ける未来が待っているはずだ!

 (以上、本エッセイ集バックナンバーのごく一部を要約引用したもの。)



 さて、このエッセイを記してしばらくした後。
 私は当該gooにブログを公開していらっしゃる女性のMさん(とさせていただきます。)が、“親ガチャ”に関してご持論を述べられているのを発見した。

 Mさんとは、我が記憶によると2019年頃からのお付き合いだろうか。
 goo内からの訪問者が決して多くない我がエッセイ集だが、そんな中、Mさんはありがたくもよくお越し下さる部類の方だ。 
 私側も、Mさんの興味深い内容の記事を読ませていただくと、時折コメントを入れさせていただいている。


 さて、3日前に私が書かせていただいた、Mさんの“親ガチャ”関連記事への我がコメントを、以下に引用させていただこう。

 久しぶりに,コメントさせていただきます。 (原左都子)2021-10-19 19:28:47
 「親ガチャ」との言葉を否定的に捉えている原左都子ですが。
 そう言う私自身が、遠い過去に郷里も親も捨て去り、単身上京した身です。
それが大正解でして、私の人生は親を捨て去った時点から、好転の一途をたどっていると信じています。
それでも今尚、親に依存されますが。
こちらとしては、一旦親を捨て去っているとの心意気が、その現在の親対応を支えてくれているように感じます。


 それに対するMさんよりのご返答を、以下に掲載させていただこう。

 おおお、先生いらっしゃいませ
 (ノ ̄ー ̄)ノ□←座布団

 先生の記事も読ませていただきましたし
 その気概もよく存じておるつもりですが

 僭越ながら
 お気を悪くされずに読んでほしいのですが
 原先生は親ガチャの当たりを引かれているのではないか
 と思います

 まず、その稀なるスタイルと美貌
 アメリカのお姉様もミスコン荒らしをされていたとの事
 DNAの為せる技ではないでしょうか
 そして、知性
 甥っ子さんは確かNASAにお勤め
 原先生も医学部卒で基礎研究を支えた後、別の国立大に学び
 高校で教鞭をとられましたよね
 そしてその後
 事情をもって生まれたお嬢さまを立派な社会人にそだてあげ
 資産を持つまでに育て上げておられる
 こんな離れ業をやり遂げるのは
 もちろん個人の勇気と挑戦と才覚にあるのですけれども
 あるのですけども!
 遺伝子レベルが一般と違うように思われます

 (以上、Mさんよりのコメント欄の返答の一部を掲載させていただきました。)


 原左都子がMさんのコメント欄を訪問させていただくと、必ず座布団やお茶のサービスをして下さるのですが。
 (Mさん、それは大変うれしいのですが、今後は「先生」の呼称はやめて、左都子さん(“さとちゃん”でも結構です)にしていただくと、もっと訪問させて頂き易くなります。)


 しかしまあ、私が今回のMさんよりの返答を読ませて頂いて、大変驚いたのは。  
 そんなにまで、「原左都子エッセイ集」を熟読していただいてたのか?!! との事実でした。  Mさんこそ、類まれな記憶力の持主であられるのではないでしょうか!
 (医学部の後に入学したのは国立ではなく「公立大学」でした。その部分のみ訂正させていただきます。)

 <事情をもって生まれたお嬢さまを立派な社会人にそだてあげ
  資産を持つまでに育て上げておられる>
 と、Mさんが記載して下さっていますが、この部分はまさにサリバンとして発達障害の娘を育て上げたとの自負のある原左都子として、一番嬉しく存じます。 親馬鹿ながら、実に良き娘に成長してくれました。😪 

 そうですね。

 Mさんよりのご返答内で一番引っかかるのは、上記に引用させていただいた最後の、「遺伝子レベルが一般と違うように思われます」の部分です。

 確かに私は、幼稚園時代に園内歴代最高のIQを樹立したとの逸話があるのですが。
 家庭環境は良好だったとは言い難い部分があります。
 特に両親が共働きの家庭でしたので、幼き頃より祖母に育ててもらったようなものです。 祖母もよき人で何らの問題もなかったのですが。 
 それよりも劣悪だったのは、(現在は米国暮らしで20数年前に私の意思で絶縁した)姉の異常資質でした。 人間関係を築くことが困難な姉から「あんたは何で姉よりも友達が大事なんだ!!」との言われなき理由で幼き頃より暴行を受け続けました。
 やっと姉が30歳を過ぎて、国際結婚にて米国へ渡ってくれた時にはまさに命拾いで、母共々、「あの娘は米国へ行ってくれてよかった…」と喜び合ったものでした。
 (参考ですが、米国へ渡った姉はどうしても他者との関係を築くことが困難で、その後も離再婚を繰り返している始末です…)

 我が家の恥を晒すようですが、これが実態でした。

 ただ、確かに米国の姉と絶縁した後は、私の人生は安泰と言えるでしょう!


 最後になりますが、Mさんより素晴らしいコメント返答を頂戴したのに。
 こんなくだらない私事を語ることになりました失礼をお詫び致します。

 それにしましても、Mさんの人を捉える力量の程に拍手です。

 今後もその素晴らしい個性を活かしつつの、Mさんのブログのご発展をお祈り申し上げます!


国立大学医学部付属病院で、井戸水使用問題

2021年10月21日 | 医学・医療・介護
 まずは、それにより健康被害が出ていない事例に関するネット情報を、以下に引用しよう。


 大阪大学医学部附属病院で『水道水』と『井戸水』の水道管が誤って配管されて、飲み水用の蛇口から簡易処理された井戸水が流れていたことが明らかになりました。
 大阪大学によりますと、医学部附属病院の外来・中央診療棟の一部エリアで水道水と井戸水の水道管が入れ替わって配管されていたということで、簡易処理しかされていない井戸水が一般の人も利用する『手洗い場』やスタッフ用の『飲料水』として使われていたということです。
 10月に業者の調査で発覚し、大学は飲料水としての使用を停止しましたが、病院が開院して以来28年間そのままになっていたということです。いまのところ健康被害は確認されていないとしています。

 (以上、ネット情報より引用したもの。)


 一旦、原左都子の私見だが。

 何と28年間もの長い期間に渡って、医療現場である大病院で井戸水を飲料水として使用していたことが放置されていたとは、実に驚きだ。
 ただこの事例の場合は不幸中の幸いで、今のところは何らの健康被害が出ていないとのことだが。
 念のために、更に過去に遡り被害状況を精査するべきだろう。

 私が住んだ祖父母の家にも井戸があり、そこでスイカを冷やしたり、夏場は洗濯用に使用していた経験がある。
 祖父母からは、飲料水としては絶対に使用するな!と固く指導されていたが。 もしかしたら健康被害は無くて、冷たくて美味しかったかもしれないなあ。😶 



 片や、こちらは健康被害が出ている事例だが、以下にネット情報を引用しよう。

 異変が起きたのは、群馬大学付属病院に入院している赤ちゃんたち。19日の夕方、17人中10人に「顔が青白くなる症状」が出たといいます。
 群馬大学付属病院の会見:「患者さんのうち10人にメトヘモグロビンという、酸素を運ぶのだが、組織に行って酸素を放しづらくなるという現象が起こる検査結果が出た」
 病院側によれば、10人の酸素濃度は戻っているといいますが、気になるのは「原因」。10人にはある「共通点」があるといいます。
 群馬大学付属病院の会見:「お子さんたちに共通するのは、病院の水で溶いたミルクを飲んでいる」
 病院は19日夜、病院内の水を調査。すると、「硝酸態窒素」と「亜硝酸態窒素」という物質の数値が異常に高かったといいます。これは何を意味するのか。
 環境省によれば、硝酸態窒素と亜硝酸態窒素は家畜の排せつ物や生活排水、肥料などから土壌に入ります。土壌に「保持」されにくく、地下水などに溶け込みます。
 硝酸態窒素は人体への影響はありません。ただ、乳児の体内に入ると、「亜」硝酸態窒素となり、酸素を運ぶヘモグロビンを運ぶことができない「メト」ヘモグロビンに変化させます。
 ここで腑に落ちない点が。硝酸性窒素などが溶け込むのは、先ほども言った通り「地下水」。病院で地下水って使うのでしょうか。
 群馬大学付属病院の会見:「(Q.元々、市の水道を使っている?)いえ…井戸水」「(Q.市から供給されてるわけではなく?)井戸水をくみ上げて、浄水して、フィルターかけて出す装置が」
 病院では、災害などにも対応できるよう井戸水を使っています。
 毎月検査をしていて、先月は異常がなかったといいます。
 水道もありますが、ごくわずかなため給水車などで急場をしのいでいます。
 原因は調査中だといいます。
 群馬大学付属病院の会見:「(Q.一般的な原因は?)肥料とか建築塗料とか、色んなことが言われているが、今の段階では分かりません。色んなものに入っているらしい」

 (以上、群馬大学付属病院の井戸水被害の事例を引用したもの。)


 
 再び私見だが。

 大規模病院にて、水道水ではなく井戸水を使用するのは一般的なことなのだろうか?

 私も国立大学医学部へ通った経験があり、付属病院実習も通過してきているが。
 やはり、病院現場では井戸水を使用していたのであろうか?? 
 いずれにせよ、私自身は特段の健康被害は受けていないが。

 話が変わるが、そういえば我が実母が現在入居している高齢者自立支援施設は、郷里の規模の大きな私立病院付属施設なのだが。
 実母曰く、水道代が“ただ”らしい。
 それはもしかしたら、井戸水使用によるものなのだろうか??
 理由は不明だが、施設入居者にただで提供できる水とは水道水ではあり得ないだろう。 
 もしもそうであっても実母の場合何らの健康被害が出ていない状態であり、今後もただの恩恵に依存すればよかろう。


 
 とにもかくにも、群馬大学付属病院の事例に於いては。

 早急に原因調査を実施し、赤ちゃんたちの健康を取り戻し守って欲しいものである。


私も医学実習のゾンデが飲めなくて、その後ずっとトラウマ状態…

2021年10月19日 | 医学・医療・介護
 (冒頭写真は、朝日新聞2021.10.16付別刷「be」漫画 中川いさみ氏作「コロコロ毛玉日記」を転載したもの。)



 この漫画を読んで、(我が同類がいるんだ!)とやたら安堵した原左都子だ。

 漫画のストーリーをまとめると。
 内視鏡検査の苦手な中川氏が、以前その検査中に。
 あまりに苦しくて、医師の前でその内視鏡を自分でガーーーーーーー!!と引っこ抜いてしまった!
 その行動を、担当医師からすんごい怒られて、
 それ以来、内視鏡検査がトラウマになってしまった。

 時が流れ、またもや内視鏡検査をする機会が訪れたが、
 その前に前立腺の生体検査を経験して、
 下から入れられるより、上から入れられる方が絶対に楽!と悟っていた。
 そして内視鏡検査終了。
 全然楽で、悪いところもなく、弁当2つ買って帰った。 とさ。



 話題を、我が医学部生時代に移そう。
  
 その日は、学生である自らがゾンデを飲んで胃液と十二指腸液を採取し、自分の検体の検査(胃液の酸度測定等々)を実施するとの課題が課せられた。

 参考だが、この時に限らず大抵の検査実習は、自分の体内から対象物質(血液等々)を採取して実行したものだ。 

 さて、朝9時から開始した実習だったが。
 ゾンデをまるで素麺をすするがごとくスルスル飲めて、とっとと胃液と十二指腸液を採取し、その検査実習に入った学生が多数の中。

 劣等生とは必ずいるもので、数人がゾンデを飲むのに苦慮し。
 それでも1時間経過し、2時間経過した頃には、ほぼ全員がゾンデを飲み終えたようだが。

 最後に残ったのが、この私だった!
 どうしても、ゾンデが喉を通らない。 無理に通そうと頑張る程に「オエーーーー!!」と吐き出す繰り返しで。
 その苦しみと言えば、まるで地獄に突き落とされている感覚なのだが。

 12時近くなっても、実習生の中で私だけゾンデが飲めず、鼻水と涙とオエーーーー! という都度胃から出てくる胃液で顔面ドロドロ状態の私に。

 やっと、担当医師先生が声をかけて付き切って下さった。
 「貴方はどうも神経質なようだなあ。 もう少しリラックスしようか。」

 そんなこんなで、何とか胃液のみは少量採取できたが。 結局十二指腸液は採取不能に終わった。
 
 その後、昼休み中に一人で実験に入ったものの、十二指腸液は学友の残りをもらっての検査実習と相成った。😭 

 という訳で、医学部生時代の実習は何とかなったものの。
 


 この後の我が人生に於ける、ゾンデ(内視鏡も含めて)のトラウマが物凄いものがあるのだ!

 まずは30代後半期に、かなり重い十二指腸潰瘍を患った。
 その際に大学病院を訪れた際、案の定担当医から「内視鏡検査」を指示された。
 これに応えて私が訴えたのが、「先生! 私はどうしても内視鏡が飲めません! 学生時代にゾンデを飲む実習があって…(以下略)」
 とても患者思いの医師先生だったことに助けられた。
 先生曰く、「私の診断では、おそらく十二指腸潰瘍で正しいと思います。 それ程までに内視鏡を拒否されるのでしたら、とにかく私の判断で十二指腸潰瘍薬を処方しておきましょう。 それが効くとよいのですが、もし効かない場合はすぐに病院へ来てください。」

 結果としてはそれが十分に効いて、私は元気に蘇ったものだ。
 (参考だが、この頃私は国際恋愛をしていた。その相手が抱える諸問題で心身ともに疲れ果てていた時代だ。 十二指腸潰瘍を患って何ら不思議でなかった。)

 
 その後も、近年胃腸不具合で近隣の医院を訪れている。
 やはり、主治医から内視鏡検査を指示されたが、それを断ってその後難無きを得ている。

 おそらく原左都子は、今後の人生に於いて絶対的に内視鏡検査を避け切ってこの世を生き抜くことであろう。


 それにしても、漫画家の中川氏は。
 下(前立線)の生体検査に耐えられたらしい!!

 私がその検査を受ける日は永遠に来ないだろうが。 その検査場面を想像するだけで激痛とその他の複雑な心境が十分に伝わる思いの原左都子だ。

 漫画家の中川氏って、元医学関係者の立場からも、強い精神力の持ち主だと尊敬申し上げたいものである。 


2021年版 「この1年、私はきちんと生きたか?」

2021年10月17日 | 自己実現
 本日私は、年に一度の誕生日を迎えた。


 既に年齢が言えない年頃になって以降、長年が経過している。

 と言いつつ、原左都子は“年齢公開派”だ!
 何も、年齢を包み隠さねばならないような恥ずかしい生き方を一切してきていないと内心自負していて、それを自身の栄誉と思っている故だ。😐 

 
 さて、昨年も同タイトルのエッセイを公開しているため、とりあえず以下にそれを振り返ってみよう。


 (2019.10.16)に公開した表題エッセイが昨日の“Popular entries top 10”にランクインしていた。

 そのエッセイを(一部を除き)再掲載させて頂こう。

 明日、私は誕生日を迎える。
 それに先立ち、この1年を私はきちんと生きたか? に関して、是非共自己検証しておきたい。

 まずは、健康面から。
 今年も元気で良かった! と信じようとしていたところ、誕生日目前期にして10年ぶりに内科を受診する始末となった。 その結論は未だ出していないのだが、私は我が主治医の診断を尊重したい。 多少の不調を未だ引きずっているものの、主治医が発してくれた「貴女はお元気だと思います。」の言葉を、元医学関係者として受け入れたく思っている。
 その他に関しては突発的なけがもなく、ほぼ順調だったと言えよう。

 次に、人間関係。
 まずは、親族関係から。 私程、親族から絶大な信頼を得つつ当てにされている人間も珍しいのではあるまいか?  その一番の原点は、上記のごとく私が健康である故と分析する。 私が親族の前で一言でも「体調が悪い」などとボヤいたものならば、その信頼は一気に吹き飛ぶことだろう。 
 あるいは若き頃から培ってきた我が専門力の程も、十分に役立っていると自己評価する。 親族から何を訴え出られても、それに即時対応可能な能力と行動力を発揮可能な自負もある。
 これを我が栄誉と捉え、今後共、親族皆の期待に応えたいものだ。
 実際、(亭主は後回しにしておいて)娘もサリバンの指導通り、順調に自分が進むべき道を精一杯歩んでいる。  実母・義母(認知症と難聴には困惑させられるが)は私の支援を大いに当てにしつつも、比較的元気に施設ライフを送ってくれている。 実際、実母も義母も何かが起れば、必ずや娘(嫁)の私が助けてくれると信じて疑っていない。 私としても有難いことだ。 その信頼に応えるべく、今後も精進しよう。  
 ああ、亭主ねえ。 あの人こそ口には出さないが、私に一番依存している事であろう。
 
 自己実現面に関しては。
 今年は、ランニング練習によく励んだと自分を褒めたい。 11月にロードレースを控えているが、益々ランニング力を“私なりに”レベルアップしたいものだ。
 娘と二人の「ウィーン個人旅行」もよく“頑張った”!  見知らぬ地で、現地の人々の人情に触れる事も叶ったし、(台北のごとくの“バスタブにて後頭部強打”)等の事故もなく、比較的元気に帰国できたのも何よりだ。  遅ればせながら現在フォトブックを作成中だが、その写真を今見ると、何とも美しいウィーンだこと! 年内に作成して、我が宝物としたい。
 体型維持も、よく頑張った。 いえいえ何を努力している訳でもないが、日々数回ずつ体組成計に乗って、我が身体情報を綿密に確認している。 165㎝、46kgのモデル体型??!? (一人で言っていよう。)を維持したまま、また一つ年齢を重ねられる事実が自己満足感を増強させてくれる。

 何だか自分に都合のいい事しか思い浮かばない「1年間の総決算」となったようだ。
 ただ、それこそ私が前向きである証拠と気分良くして、明日新たな年齢を迎えよう。

 (以上、2019.10に公開したエッセイを再掲載したもの。)


 さて、話題を“2020版”に変えたいところだが…
 何と言っても、(私のみならず世界中が)早春頃からは“コロナ禍”に翻弄された年だった。 (今後もまだまだ続行するのだろうが…)
 それでも「健康面」に於いては、コロナ禍に対抗するべく慎重な行動により、それの感染を回避できていることをプラス評価するべきだろう。 
 すべてが“コロナ禍”の影響を受けてしまった。
 「人間関係」然り、「自己実現」然り… 😫
 
 「自己実現」面だが。
 この1年もコロナ禍下でランニング練習はよく頑張った。
 ただしマスク着用のランニング練習、どうしてもジョギングペースにならざるを得ない。 先週久しぶりに大規模都立公園内で5㎞のタイムを測定してみたら、何と、昨年同時期よりも2分も遅いタイムで愕然とした。😭
 ただ、今年はコロナ禍の影響で毎秋出場しているロードレース大会が中止とのこと。 ここしばらくは心穏やかに、ジョギングペースの練習を楽しむべきだろう。

 「体型維持」に関してだが、何を努力している訳でもないが、日々数回体組成計に乗って我が身体情報を綿密に確認している。  165㎝、46kgのモデル体型??!? (一人で言っていよう。😝 )を維持したまま、また一つ年齢を重ねられる事実が自己満足感を増強させてくれる。
 そして、これぞ我が「健康維持」に最大貢献してくれている長年続く生活習慣である。  幾つになっても“医者いらず”を貫きたいものだ。
 今秋早くも「介護保険証」が到着して困惑させられたが。
 「健康保険証」が要らない我が身にして、「介護保険証」とはどうしたことか?!?😵  との感覚だ…

 (以上、昨年公開したエッセイを再掲載したもの。)



 そして、2021.10.17の今現在。

 相変わらずコロナ禍が続いた1年だった。
 何らの自己実現も叶わない中、今年も「健康維持」「体形維持」に関しては完璧だったと言えよう。
 そうそう、今年の春頃から体重が減少傾向にある。 現在の我が身長・体重は165㎝、44kgと、さらにスリムになっている。
 これ、自分ではその原因を分析済だ。 理由の如何はともかく、今の時代メタボで悩むよりもスリムかつ健康体の方がカッコイイに決まっているため、これもプラスに受け止めている。

 今年は、私にとって一つのサプライズがあった。

 それは、新たな人との出会いである。
 幾つになっても、人(特に私が好む相手)との出会いとは何にも勝り貴重だ。 この高齢域年齢になってそれが叶うとは、もはや奇跡的とも言えるのではなかろうか?  今後も、大事に関係を育んでいきたいものである。


 本日、また新たにひとつ年齢を重ねた今。

 「この1年、私はきちんと生きたか?」 この問いに対する結論を述べるならば。
 例年通り「yes!」と結論付けて許されるように思う。