原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

自転車、いっそ禁止令を出したら?

2012年10月06日 | 時事論評
 私は現在自転車にも車にも乗らない主義であり、ひたすら徒歩と公的交通機関に頼る日々だ。

 以前は両者共に利用していた。
 車に乗らなくなったのは5年程前の事であり、自転車を利用しなくなったのは7年程前に遡る。

 私が何故両者を利用しなくなったのかに関しては、「原左都子エッセイ集」開設当初 ほぼ5年前の2007年9月バックナンバー 「徒歩生活のススメ」 に於いて公開済みだが、ここで今一度振り返る事としよう。

 まず私が何故車に乗るのをやめたのかと言うと、環境保護に配慮して、…などとの優等生的表現は嫌みったらしくて天邪鬼の私は好まないが、確かにそれも理由のひとつである。 加えて、交通弱者である歩行者への配慮の観点からも車の利用は控えたいと常々考えていた。
 正直なところ私が車に乗らない真の理由は至って単純で、運転が嫌いなためである。 都心で車を運転するのは大変な業だ。神経質な私は神経が磨り減ってしまう。 神経をすり減らすべき事象は他に盛り沢山存在するのに、たかが移動手段で疲れていても埒が明かない。
 ついでに、どうしたことか我が身内も私に輪をかけて運転嫌いなのだ。 たまに身内運転のマイカーで遠出した暁には、翌日は必ず仕事を休んで丸一日寝込んむ始末だ。  そんなこんなで近年は家族で出かける都度二人で“運転なすり合いバトル”と相成ったため、子どもの習い事等の送り迎え業終了に合わせて廃車を決行したのだが、心底肩の荷が下りた。

 私は現在自転車にも乗らないが、こちらは確固としたポリシーがあってのことである。
 自転車を安全に乗るためには服装や履物が限定されてしまう。 (世間では女子高生を筆頭としてミニスカで平気でチャリンコを漕ぐ勇敢女性を見かけるが、私にはそこまで“身を挺する”勇気はない。)  若かりし頃から、ファッションを移動の一手段である自転車に合わせるというような、そういう“縛り”が受け入れ難い性分でもある。
 加えて、日頃より放置自転車には辟易としている。 警視庁は車の駐停車取締りに関しては元々厳しいのに、何故放置自転車の取締りには未だにこうも中途半端なのか疑問だ。 我が家の近くには毎年満開に咲き誇る実に美しい桜並木歩道があるが、その場ですら放置自転車置き場と化し、道幅の半分は鬱陶しくも汚らしい放置自転車に占領されている。 しかもその狭い歩道の半分を放置自転車を避けつつ小さくなって歩行していると、我が身息災自転車が「そこどけ!」とばかりにチャリチャリ鈴を鳴らして猛スピードで通り過ぎるのだ。  実際にこの道で自転車と歩行者の接触事故を目撃した事もある。
 このように自転車は走行上のマナー面での問題も大きい。 法的には自転車は車道を通行するとの規則であるようだが、都会の場合、現状の道路事情では自転車の車道走行は危険性が高いということは理解可能だ。 そこで、ほとんどの自転車が狭い歩道を通行する現実となる。 それは少し理解するとしても、前を行く歩行者相手にチャリチャリ鈴を鳴らさずとて、「すみません。」「通ります。」等、一言声を掛けてくれればよいものを…。 人間の性として“スピードが速い方が偉いんだぞ!”とでも無意識に思ってしまうのであろうが、歩行者をないがしろにせずとも、そこを何とか理性でカバーできないものなのか。
 それにしても、この自転車の多さはどうしたことか。 いつの時代から日本国民はこんなに自転車を愛好し始めたのだろう??
 特に都会に於いては、道路事情を考察すると安全に自転車走行ができる環境には程遠い。 自転車台数に相当する駐輪場も確保されていない現状である。
 現在、自転車による交通事故が急増しているため自転車をめぐる法的整備が急速に進められているようであるし、自転車専用道を増やすことも検討されている様子でもある。
 そうだとしても、やはり一番急ぐべき改革とは、自転車乗車者のマナー向上ではなかろうか。
 (以上、「原左都子エッセイ集」2007年月バックナンバーより要約引用)


 上記我がエッセイ集バックナンバーを公開して5年が経過した後、当時の比ではなく自転車関連の交通事故が激増している有様だ。

 それを受けて警視庁は全国規模で自転車専用道を整備したり、自転車走行者のマナー改善に向けて指導を実施している様子ではある。
 確かに私も我が故郷に帰省した際、主要駅に程近い場に立派な自転車専用道が整備されているのを目撃した。 ところが、過疎地の我が郷里でその専用道を通行する自転車をさほど見かけないのだ… 歩道を通行する歩行者もまばら状態… この地に自転車専用道が必要だったのか??
 歩行者・自転車・車が大勢行き交う大都心に於いてこそ、それを早めに整備して欲しいものだ。 結局はゼネコンとの癒着が強く癒着実行が容易な地方においてのみ、国政のこの種の事象の改善(あるいは“無駄な公共事業”と表現するべきか)が可能ということなのか??

 朝日新聞10月4日夕刊記事によると、自転車運転者の悪質化に伴って警視庁では「講習」を義務化することが検討されているようだ。
 警視庁のこの動きを受けて、自治体や学校現場でも“自転車登録制度”を含め自転車安全講習等の対策を始めているとの報道である。


 最後に原左都子の私論に入ろう。

 “おそらく自転車には一生乗らない派”の私の感覚では、どうも警視庁が今回呈示した議論は“自転車愛好者”側の利益に立っているとしか考察できない。
 警視庁による「講習会」義務化に関しても、それをクリアさえすれば(例えば“悪徳自転車走行者”とて)、これまで同様に自転車に自由に乗れることを前提とした提案であるとの感覚を抱く。

 私は既に自転車に乗らなくなって7年の年月を経過しているが、市民の皆さんにとってはそれ程に自転車とは魅力的なのか?  
 あるいは、政治・経済難に直面している現在の日本においては、失礼ながら自力で運行可能な「自転車」こそが、庶民移動の原動力の地位を誇っているという話に過ぎないのであろうか??

 同じく庶民の私は、地面を踏みつつ前進する 「徒歩」 こそが二本足で歩く人間の原点と考えているのだが…。
 ここは、皆でこの地球を踏みしめて歩きませんか!!

不正入試で一番損害を被るのは子ども本人だ!

2012年10月03日 | 時事論評
 我が子出生直後より 「お抱え家庭教師」 として君臨して来ている原左都子だが、現在娘が大学生となり、我が家庭教師家業も一つの大きな山を超えた感覚で少し肩の荷を下ろしているのが正直なところだ。

 思い起こせばこの18年間余り、幼稚園、小学校、中学校、大学と4度の「お受験」の関門を親子二人三脚にて潜り抜けて来た。
 その過程において、当然ではあるがただの一度も“裏口”からの入学など志したことはない。 産まれながらに多少(あくまでも“多少”の範疇だが)の事情を持つ娘の学力・能力を我が個別指導力で徹底的に鍛え上げる手法により、正々堂々胸を張って志望校へ入学達成できた事で、娘は現在人格面でも自信を得て大きく成長を遂げてくれている。


 実は、そんな中、一度だけ“裏口”手法を使うべきか??との場面に瀕した事がある。

 それは私立小学校入試に際してなのだが、当時娘が通っていた専門教育研究所より、娘の産まれ持つ事情を前もって志望私立小学校の校長に伝えておいてはどうか、なるアドバイスを頂戴したのだ。  当該研究所の研究者氏曰く、その私立小学校は我が子同様の事情を持つ子ども達に理解があり実際に入学させているとの事だ。 ぶっつけ本番で入試に臨むよりも、前もって親より娘の事情を伝えておくことで学校側からより理解が得られるかもしれないし、入試日当日の娘自身の負担も減るのではないかとの配慮である。

 受験票を提出した後、早速当該小学校に問い合わせたところ、快く事前校長面談を実施してくれるとのことだ。
 この回答に大いに喜んだ私であるが、はて、こういう場合“手ぶら”で学校に向かってよいものかとの考えが一瞬頭に過ぎった。 おそらく今回の面談では学校長と我々親子のみの対面となることは目に見えている。 社会人としての常識側面から考慮しても、我々のためにわざわざ時間を割いて下さる学校長にまさか“手ぶら”でお会いする訳にもいくまい。
 こういう時に困惑するのが、私自身は幼稚園から大学院まで一貫して国公立を普通に受験し入学卒業した経験しかないため、その種私学受験の場に即する“スマートな対応”の程を一切心得ないことだ。

 そこで、我が身内はじめ子供二人の度重なる私立「お受験」を経験している義母に相談を持ち出すこととした。 義母曰く、「ひと昔前ならばそういう場面においては『金一封』を持参するのが常識だったものだが、今の時代の作法はよく分からない。」と応えてくれた上で、「それにしても“手ぶら”で行くのはどうなのか……」 
 義母の意見を聞いた上で、今度はアドバイスして下さった研究所担当者に今一度同様の質問を投げ掛けたところ、「その必要はまったくないと思う。おそらく同じ事情を持つ子ども達に理解がある学校故に、その種の行為は迷惑なのではないか…」
 そして校長面接当日、私は研究所担当者意見を尊重して“手ぶら”で出かけた。 学校長は比較的好意的な態度で我々に面談して下さった。

 さて、その「お受験」結果であるが、 はかなくも 「不合格」 通知が届いた。
 その理由は今尚不明だ。 
 『金一封』を持参しなかった親の私が非常識だったのか、あるいは我が子同様の事情を抱える子供は受け付けているものの、娘だけは受け入れ難い存在だったのか…… 
 原左都子の当時の感想としては、やはり前者の“親の責任”によるのであろうとの結論に至っている。 (と言うのも、何度も言うが我が子の場合同種の事情を抱えている子ども達の中においてはその事情が“軽度”である事には間違いないのだ。)  悲しい事に当時の日本とはまだまだそういう時代背景だったものだ。 著名でもない私立小学校運営とは、資金的に厳しいものがあろうとも考察した。


 先だって、中央大学横浜山手中学に於ける「不正入試」の実態が発覚した。

 朝日新聞報道によると、共学化により再スタートを切ったばかりの当該中学入試において学校側の不正が明らかになったとの事だ。
 この事件をめぐっては大学トップの理事長と大学学長の判断が対立したらしい。 その板ばさみになった中高校長が出した結論が「合格取消し」であったとの事だが、その時期には受験者本人及びその家族は何も知らず入学を心待ちにしていたらしい。
 
 どうやら現在中央大学が抱えている事情は厳しいとのことだ。
 そのため、当該大学は附属学校対策として附属中高を一貫共学校に格上げするべく地元の女子校と統合政策を採った。 2010年に新たに発足した附属中高は、中央大学への“内部進学”を魅力と打ち立て開校したらしい。
 中央大学のごとく、内部進学を前提に付属校を新設したり既存の私立校と合併して系列化する動きが、国内少子化が進む中、将来の定員割れを恐れる私立大学現場で活発化しているとの報道である。
 その前提として、何処の私立大学ももっと早いうちから“子どもを囲い込む目的”で国内に附属中高が増設されているとの報道だ。


 今回の中央大学横浜山手中学に於ける「不正入試」は、上記の趣旨により大学理事長と学長、そして附属中高現場の校長等々組織トップの判断が食い違い、内部バトルの醜態にまで至った有様のようだ。
 
 この犠牲となり、合格点に達していないにもかかわらず「合格」「不合格」の波間を泳がされたまだ幼い中学受験生こそが気の毒である。

 それにしても、受験生の親こそが子供の実力の程を普段から見極めておくべきではあるまいか? と我が子の「お抱え家庭教師」を長年続けている原左都子は考察する。
 しかも、子供の祖父が中央大学に多大なる影響を及ぼせる“大物”ともなると、その人物が孫の入試に際して「口利き」をしそうな事くらい親たる者は察知しておくべきだ。
 (自分ちの爺さんが、我が子の中学入試に関して“裏入学”を頼んだ事を知らなかった、だと??) あり得ない話だよなあ。

 とにもかくにも、この種の「不正入試」事件に関して一番損害を被るのは当該受験生の子どもである事には間違いない。
 真っ当な子どもに育てたいのならば、親自らが普段より一肌脱ぐ努力を怠らず我が子の真なる成長を願うべきではないのか??


 最後に我が娘の話に戻せば、上記私立小学校を「不合格」となったことが大正解のその後を歩み続けている。 
 愚かにも母の私が『金一封』を持参しようかどうか迷った上記の私立小学校に入学することなく、その6年後に確実な学力を身につけて、(学習指導力という真の意味合いで)ハイレベルの私立中高に実力にて合格し入学した娘だ。 そのお陰で現在の大学にも推薦合格が叶い、現在自らが選択志望した学問に勤しむ我が娘の姿がここにある。

「一般女子3000m競技」 を完走しました!!

2012年10月01日 | 自己実現
 (写真は、昨日9月30日に実施された我が居住地自治体主宰の陸上競技大会に出場した原左都子を、娘がフィールドで撮影してくれたもの。 個人情報保護観点より画像不鮮明処理を施していますが、実際は都心部にしてもっと緑が美しい競技場です。)


 折りしも、台風17号が本州を直撃縦断するとの報道が数日前より流れていた。
 
 学校を卒業して以降、何十年かぶりに「一般人」の立場で出場書類を提出した上記の陸上競技大会である。
 ところが私としたことが、書類提出頃の意気込みは開催日が迫るにつれ消失し不安ばかりが募り始めるではないか。 いっそ台風で中止となる事を頭の片隅で祈る程弱気になる情けなさと共に、競技会前日の夜を迎えた。
 
 今回の大会は娘と共にエントリーしたのだが、娘の方は至って冷静、と言うよりも大会出場を楽しみにしている風だ!  (我が娘ながらずい分と度胸が据わっているなあ…)と尊敬にも似た眼差しを向けていたところ、前夜娘から私に言い出すではないか。 「明日午前中はまだ関東地方に台風は来ないようだから、とにかく競技に出場する事を前提として競技場へ行こう! もしも中止の場合でもまだ天候が悪化していないと思うから、競技場でランニング練習して来ようよ。」
 この娘の言葉に目を覚ました私は、俄然競技会に出る意欲が湧き出てきたのだ。

 そして当日(昨日9月30日)の朝は快晴だ。 台風の影響で残暑が厳しいものの、この天候コンディションの下、競技会が開催中止となるはずもない。
 そして向かった競技場で出場受付けを済ませ、上記写真のごとく“ゼッケン番号177”をもらい受ける事と相成る。 これを上体の前後に貼り付ければもう“いっぱしの選手”になった気分だ。 (ところが実は娘とゼッケン番号を取り違えていたことが後で判明したが、まあ何でもいいやと2人でうやむやに済ませた…


 ここで今回の陸上競技大会に関して、少しだけ補足説明をしておこう。

 自治体居住者体育大会の一環として開催されている陸上競技会であるため、当然ながらあらゆる世代の居住民が出場している様子だ。 何と言っても小中高学齢者が出場者の大半を占めているのが特徴であり、一般人出場者は2割程度であろうか。
 ただ、一般出場者の中にはプロ(あるいはそれに匹敵するような記録を持っている)選手も出場している様子を、過去の競技結果タイムをネット上で検索して驚いた。  例えば、今回私と娘がエントリーした「一般女子3000m」の過去の優勝タイムが11分台との信じられない程に速い数値である! 
 その優勝タイムに準じて競技時間が設定されているのか、何と「一般女子3000m」実施設定時間が15分の短時間となっているではないか!! 加えて、後々の競技スケジュールが夕方の閉会式まで盛沢山“折り詰め寿司”状態なのだ。

 これに驚いた原左都子は、あらかじめ主宰者である自治体に競技会開催の“趣旨”に関して質問及び意見をメールにて提示した。
 特に長距離競技の場合、市民大会に於いては「タイム」ではなく「完走」を趣旨とするべきではないのか?と。 この時間内に完走できない出場者は競技を時間で区切って中断措置を取るのならば、我々は今回出場を辞退させていただくとも書き添えた。
 そうしたところ、自治体の担当主宰者氏より誠意あるご回答を電話にて頂いた。 その回答を端折って説明するならば、「完走」を趣旨とするべく原左都子の見解こそが正論であるため、競技会当日は辞退せず出場して是非共完走して下さい!とのご意向であられた。 


 陸上競技会開会後2番目の競技である「一般女子3000m」決勝(と言ったところでたった5名のエントリーなのだが…)は朝早目のスタートだ。
 スタートラインに集結した一般女子メンバーは、そのユニフォームからして我々親子とはまったく異なり本格的であるのに加えて、私の目には見るからに筋骨隆々の“プロランナー”そのものである。
 我が娘に「とにかくマイペースで!」と伝えつつ、私もその気になってスタートラインへと向かう。
 その時、スターターが「今回の競技では世界標準に従い“ようい、ドン” を何処かの国の言語(私の記憶ではフランス語だったと思うのだが)で行います。」と言うではないか!!  これが何故か可笑しくてせせら笑いたくなった私に追い討ちをかけるがごとく、観客席から「(一地方貧弱大会にして)ずい分本格的だな~~」なる声が聞こえて来た途端、私はスタートラインで大爆笑してしまった。  周囲の選手の皆さんもそれにつられて緊張感が緩む下スタートできる雰囲気ではなくなり、再スタートと相成った…。(スミマセン…)

 これが私には功を奏した!
 スタート時点でリラックスできた私は、スタート後もマイペースで日頃のランニングを続けようと思い直せた。
 ただ、昨日は残暑炎天下でのランニングだったため、いつもより体の消耗が早期に訪れる感覚はあった。 トラック1周ごとに左腕につけた時計でタイムを確認しようとしていたつもりが、その余裕すらなくしてとにかく苦しい思いで走り続けた。 
 今回は400mトラック7週半を争うコースなのだが、1位を突っ走っている女性が猛スピードであるのを認識した私は、この女性に2回追い越されることのみは避けたいとの目標をとりあえず設定した。  その目標は容易に崩れ去ったが、次なる目標として2位を走っている女性には周回遅れとならないようにしよう!との目標も掲げた。
 これさえも崩れ去る運命の我が低レベルの走りだが、最終周の鐘が鳴った時のタイムを初めて我が左腕の時計で確認しようとの気になった。
 何と、今まで練習中に刻んできたタイムよりはるかに速い走りをしているではないか!それにしても残暑は厳しい… それでも、後1周を走り切ったら私はゴールに辿り着ける……  少し朦朧としつつもトラックの最後の直線はラストスパートをかけた!!

 その結果時計に刻まれていたのは、我が3000m自己記録を更新する 18分30秒程 の表示だった。 (ついでに、娘も今回の大会で自己ベストタイムを記録できたようだ。)


 やはり日頃の練習のみでは得られない結果と満足を公開競技がもたらしてくれる事を、今回初めて自治体主宰陸上競技大会に出場したことで実感である。

 来る11月には、別のロードレースに出場エントリーしている原左都子だ。
 次回は5kmを走る予定だが、それまでにまた少しでも自己の記録を伸ばしておこう!