原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

高齢者の尊厳とケア両立の狭間で…

2012年07月19日 | 時事論評
 今回の記事は、原左都子の「高齢者介護施設訪問記」とも表現できる内容である。


 昨秋80歳を迎えた我が義母が、先だって高齢者介護付マンションに単身で入居する事が決定したエッセイを綴り公開した。(よろしければ先月公開の「老後とは自ずと孤独になるものだけど…」をご参照下さい。)

 少しバックナンバーを振り返らせていただくと、数年前より足に不具合が生じた義母だが、ここにきてその痛みの悪化と平行して周囲も驚くべく急激に老け込んでしまった。
 現在に至っては低いレベルではあるが要介護認定も下り、本人の希望もあって介護付マンション入居を決定するに至ったのだ。

 7月に入って直ぐ、いよいよ義母のケアマンション入居日が訪れた。
 引越しの手伝いを申し出た私だが、「大した荷物は持ち込まないからその必要はない」との義母のお断り意向に甘える事とした我が家である。 加えて義母曰く、「入居直後はケアマンションでの暮らしに慣れることに集中したい。 入居早々下手に身内に会うと里心がついてしまいそうだし…  こちらから連絡するまで来なくていい。」
 この期に及んで何とも気丈な義母の決意の程を改めて理解すると共に、これだけしっかりしているならばケアマンションでもうまく渡っていけるかもしれない、などと無責任な解釈で義母の意向に従いつつ、とりあえず家族皆で連絡を待つこととした。

 その後2週間程経過して、やっと義母よりの“面会許可”が下りた。 その際も「何も持って来なくていい」の一点張りである。
 義母とは電話で連絡を取っていた身内(義母の長男)の話を聞いても埒が明かないのだが、私の判断で日持ちするお菓子などを持参することとした。

 ケアマンションの入り口に到着したところ、施設のケアスタッフがご丁寧にも我々を出迎えてくれる。
 
 ここで参考のため、有料の高齢者介護施設もそのランクの程はまさに“ピンキリ”であるようだ。
 我が義母が入居したケアマンションは、ある程度恵まれた位置付けにあるのかもしれない。 入居時一時金1,000万円程度に加えて、月々の定額基本サービス料金が30万円弱。 ただしこれはあくまでも基本サービス料金であり、常駐している医療関係者やケアスタッフに付加的サービスをお願いする場合、その都度追加料金が発生するらしい。 一日3度の食事と2度のおやつ、月2回の定期健診、及び施設が提供する入居者向け啓発プログラムへの参加等は基本料金内との事である。
 その他に関しては、館内諸施設を利用するなり外出するなり居住者個々人が自由に過ごしてよいと、私は義母や身内から見聞していた。

 ところが、(あくまでも“集団嫌い”の原左都子の感覚として)ケアマンション内に於ける“自由”の解釈がまったく異なる事に驚かされたのである。
 何と言っても、徹底した管理体制が貫かれている。 少し外出するにしても“届出許可制”が強制されていたり、あるいはおやつの追加なども3日前までに事務局まで届出なければならないようだ。 この日も、義母の好意で我々の分のおやつを追加注文してくれていたようだが、それを届け出たのが少し遅かったとのことでケアスタッフより義母が厳重注意を受ける事態となり、何ともいたたまれない思いだった。 我々が帰る段となり、義母が見送りたいとの事で建物の外部へ出ようとした時、後ろからスタッフが追いかけて来て「何処へ行くのですか? 外出の際は届け出る規則となっています」とまた叱られてしまった…
 もちろんこれらの措置は要介護入居者の安全確保が第一目的ではあろうが、これだけ徹底した管理体制で縛られ自由を制限されるとなると、私など生きている心地がしないものだ。
 

 とりあえず義母は元気そうで何よりである。 久しぶりに会った長男夫婦の我々の来訪をそれはそれは喜んでくれ、自分の居室で義母なりの“心よりのおもてなし”を申し訳ない位にして下さるのだ。 例えば「今日は暑いけど○子さん(私の事)はお抹茶などいかが?」「喜んで頂きます!」と私が応えると、すぐさまお茶をたてて振舞って下さる。 あるいは書道も得意な義母なのだが、都合よくケアマンションの啓発プログラムに「書道」の時間も設けられているとの事でそれにも参加して楽しんでいるようである。

 その反面、やはり身内の立場としては心を悩ます事態もマンション内で発生している様子だ。
 この施設の場合、要介護認定が下されている高齢者対象の介護施設であるためそれ相応の入居者が存在する実態だ。 義母が今一番困惑しているのが、入居直後より仲良くして下さる女性が実は「認知症」であるらしい。 この女性は元大学講師との事で、元実業家の義母と最初は意気投合したものの、付き合いが長くなるに従い“とんちんかん”な事を言い始め現在ではその対応に困惑しているとの義母の嘆きである。
 (この懸案に関しては、義姉が既にケアマンションの義母担当ケアマネージャーに対応して、今後は施設内で配慮を行うとの事だ。)

 あるいは私自身が感じた現象として、施設内のケアスタッフの態度は我々訪問者に対しては実に丁寧である。 ところが、入居者に対する態度は明らかに異なっている。
 我が義母など要介護レベルが低いにもかかわらず、現地のスタッフの皆さんはまるで子供にでも接するかのごとくの“失礼な”声賭けをしているではないか!
 元々“人間が出来ている”義母は、それでもいつものごとく懇切丁寧に対応している。
 これだけ“腰が低い”義母の場合、このケアマンション内でも生き残れるのであろうが、高齢者の尊厳とはどうあるべきかと原左都子が反発心を抱かない訳がない。

 身内としてそのように感じるならば、(義母自身が培った資産で自分の意思により入居したとしても)、後世には迷惑をかけず一人の人間として静かに死を迎えようとしている義母を、ケアマンションにぶち込む事を我々が阻止することも出来たはずだ。

 ところがこの議論が困難なのは、たまに会うと素晴らしい言動をする義母であれ、それが毎日の生活となると、やはり足の不自由さ故のケアが現役世代に日常的に降りかかってくるとの話に行き着くのが、悲しいかな避けられない事実なのである。
 

 「介護制度」の導入により、自宅で老人の介護をする人は今の時代急減しているのであろう。 
 それでも我が実母も含めて身近に存在する体の自由がままならない老人達が、出来る限り有意義な余生を送って欲しい思いには変わりない。
 以前も述べたが、年老いた親の介護を自宅で親族が引き受けるのが一番幸せとの、ある意味で次世代にとって“脅迫的親孝行押付け道義”世論も今となっては既に過去の所産であろう。
 そのように結論付けねば、これ程に政治経済危機に瀕している世の中において次世代の負荷が多すぎるのが事実だ。

  そんな時代背景を勘案しつつ、我が親族老人達の今後短い人生の安泰を願い、生きる場や方策を共に模索し続けたいものである。

高額所得者への課税をもっと強化しよう!

2012年07月16日 | 時事論評
 原左都子が今回の記事の議論の対象としたい「高額所得者」とは、民主党政権交代後初代首相として君臨したにもかかわらず、わずか1年足らずで“政治とカネ”等の問題により退任を与儀なくされた 鳩山由紀夫氏 レベルの高額所得者を指す。

 もちろん、“それ以下ランクで庶民よりちょっと上程度”(庶民にとってその暮らしぶりがある程度想像可能、且つややもすると一転して貧困層に崩れ落ちそうなレベル)の“一見”「高額所得者」層に関しても、今後その所得に応じた課税の程を私なりに検証したい思いも山々ではある。
 そのランクの考察は次回以降に回すとして、今回は(私のような一般人にとってその暮らしの様子が想像が付かない程の)ケタ違いの高額所得者に関して論じる趣旨である。


 先だって民主党政権離党届を提出し、既に新党結成を表明している 小沢一郎氏 率いるグループの意向や今後の動きに関しては、その是非や賛否の程はともかく、国民にもある程度“分かり易い”現象と言えよう。
 一方、その小沢氏のバックアップにより劇的政権交代を果した当初の首相として任命され、あくまでも小沢氏に迎合するかの行動を取っていた鳩山氏の現在の意向の程が理解しにくい。

 民主党は7月9日の臨時常任幹事会で、消費税増税法案造反者の処分を正式に決定した。
 鳩山氏に関しては、当初6ヶ月の党員資格停止処分だったところ、3ヶ月に軽減された模様だ。 鳩山氏の処分案への反発が鳩山グループ議員に拡大していることを受け、今後内閣不信任決議案への同調や離党を阻止しようとの野田政権幹部の魂胆であるようだ。
 民主党政権の寿命も後どれ程かとの思いを抱かされる昨今においては、党内部の茶番劇がどう展開しようがさほどの興味をそそられなくなっている私である。
 それにしても鳩山氏は首相退任時に、「政界を引退する」と公言したはずなのに…


 そんな鳩山由紀夫氏が小沢氏離党のこの期に及んで尚、政治家の椅子にしがみつく醜態を観察しつつ、原左都子は思うことがある。
 庶民が想像不能なごとくの超リッチ族にして、やはり世間との繋がりとは自身にとって欠かせない生きる力であり、たとえバッシングであれ外野からその刺激を得たいのか……  などと、少し哀れさすら漂わせて尚政権内で生き延びようとする鳩山氏の姿を分析する私である…

 7月2日付朝日新聞一面によると、鳩山兄弟(民主党の由紀夫氏と現在無所属の邦夫氏)は2011年度も相変わらず母親から、それぞれ約42億円の贈与を受けたことが分かったとの報道である。
 これが叩かれて首相を退任に追い込まれた由紀夫氏であるため、当然ながら今年はそれに相応する贈与税は既に納めているようだ。
 邦夫氏の談話によると今年国税庁に納めた贈与税は「贈与財産の半分」とのようだが、原左都子が単純計算すると21億円也。  要するに、手元にまだ21億円が残る計算だ!
 鳩山一族の親族関係に関してはご存知の方も多いであろうが、兄弟の母親である安子氏は ㈱ブリヂストン創業者の娘であられ、父親の遺産を引継いだ様子だ。 片や政治家ご両人の父であられる安子氏の夫 鳩山威一郎元外相が死去した際にも総額152億円の遺産を安子氏は子どもと共に相続したのに加え、約50億円と評価された東京の土地も安子氏所有との事らしい。 さらには、北海道や福岡にも巨額の資産物件を有している一族であるようだ。


 少し話題を変えて、同じく朝日新聞7月5日付記事を紹介しよう。
 「もっと私に課税してくれ」 との記事の表題のごとく叫ぶのは、米国ニューヨークに居住する超リッチ層24歳の男性である。
 ハーゲン氏と名乗る上記男性が、自分が“お金持ち”だと意識したのは遅ればせながらも高校生の時だったらしい。 
 当時のブッシュ政権が富裕層への減税を報じていた時、「こんなの不公平!」とハーゲン氏が家庭内で意義を唱えたところ、母から「我が家も富裕層よ」と言われて初めて自分が富裕層と自覚したとの事だ。
 (原左都子の独り言だが、何だかハーゲン氏の思いが分かる気がする。 庶民にとってケタ違いの富裕層とは、そんな事普段まったく意識していないのだろうねえ。 それに引き換え、ほんのちょっとの富裕層や“成り上がり人種”って、それを庶民相手に公言したがる存在だからすぐバレるよね…) 
 ハーゲン氏の話に戻すと、富裕層とは“富の独占”に無自覚な人が少なくないと感じるとの談話だ。 そして氏は次のように言う。「恵まれて育ったのだから、税金で社会に貢献するのは当然です。」
 原左都子の私論に移るが、ハーゲン氏はまだ24歳と若い世代故に純粋にもそう感じるのかと捉えた上で、、富裕層の立場でのそのような感覚を大事にしつつ今後米国の発展に貢献して欲しい思いだ。 


 最後に私論を展開したいものの、鳩山由紀夫・邦夫兄弟とは父親の後を継いで容易に国会議員になどなってしまったがために“超リッチ族”にしてドロドロした庶民の世界を知り過ぎたのではなかろうか、などと老婆心ながら同情したりもする。

 この鳩山兄弟がそんなドロドロ人生を今後に至って楽しみたいが故に今現在も政治家を続行しているとして、ご本人達はそれで済むのだろう。
 一方、貴方達が所属する国家の財源のために、今後消費税を増額されてまでも庶民の生活が脅かされる事実が、真の庶民にとって迷惑極まりない実態である事も少しは認識して欲しい思いだ。
 同じく自民党の元首相であられる麻生太郎さんも“超リッチ族”のご出身のようだが、あの方は今何をしておられるのだろう???


 上記を考察しつつ原左都子の私論をまとめよう。

 結局、人間とは一生に於いて社会的存在でしかあり得ないのだ。
 それが“超リッチ層”であろうが、“中途半端な富裕層”であろうが“バリバリ貧民層”であろうが皆そうなのである。
 そんな社会で皆がそれぞれにもがきつつこの世は成り立っているのだ。

 そうだとすると、一番お金持である“超リッチ層”の方々。 その余り余った所得の使い道がご自身の能力内でとりあえず思い浮かばないのならば、ここは思い切って今まで以上に税金として社会に還元しては如何か?
 そうする事により、社会の中で生き延びたい貴方達にとってより刺激的な反応カムバックがもたらされる事間違いないと、私は考えるのだけど…

今日も激災、明日も激災害の日本列島

2012年07月14日 | 時事論評
 ここ数年、日本列島全土を襲う 大地震、暴風雨・竜巻、大雪等々 自然災害の猛威は衰えを知らない。


 とりあえずは今現在九州を襲っている豪雨により、20名を超える死者・行方不明者、及び20何万名かに及ぶ多数の避難者を出している被災現地の皆様に心よりお見舞い申し上げます。

 ここ数日は、私が住む都心でも大風大雨に見舞われる日々である。
 昨夜の豪雨も凄かった。 夜中から明け方まで大音量で降り続く雨音を枕元に、眠れない一夜を過ごした私である。  ベランダの雨どいをゴーゴーとけたたましく流れ落ちる水流音を耳にしつつ、我が家の近くを流れている川も氾濫したのではないかと気をもんだものだ。
 本日(7月14日)都心では一気に豪雨は過ぎ去り朝から晴れて真夏の暑さの一日となっているが、九州地方で現在尚続く豪雨被害に目を向ければ他人事では済まされるはずもない。


 ところで今回の九州地方豪雨に際して、気象庁は初めて 「“今まで経験したことのない”程の豪雨の恐れ」 云々なる表現をメディア上で使用したようだ。
 まさにその表現通りの激災害が日本中を襲い続ける昨今である。

 今回気象庁においてこのような表現が使用されたのは、現在まで使われてきた気象用語ではもやは実災害の深刻さに即応できない事や、かと言って長文表現では迅速性が要求される災害自治体現地で混乱を来たす恐れがあったためのようだ。
 今後気象用語は、特に避難等緊急を要する事態を招く激災害に関しては早急に大幅見直しが必要となるであろう。  それにしても今回使用された 「今まで経験したことのない…」 との表現は、人々の緊急対応感を呼び起こす用語としてとりあえず的を射ていたのではないかと私は評価する。


 ここで今回のエッセイの視点を大幅に変えて、科学的側面から現在我が国や世界各国を襲っている激災害を捉えてみることにしよう。

 「地球温暖化」なる用語は皆さん当然ご存知で、それを生活用語の一部とされていることであろう。
 今から遡る事約20年程前に原左都子が高校教員をしていた頃、この言葉が“流行語”のごとく世を風靡し始めていた。 元科学者の端くれたるトピックス好きの私がさほどの分析も考察もせずしてこの“流行語”に飛びつき、早速我が「現代社会」の授業に於いてこれを取り入れたのが懐かしい思い出である。
 生徒相手に一応の温暖化現象に関する説明をした後、我々がそれを防ぐためには、現在スプレーなどで使用している“フロン”はオゾン層を破壊するため使用を避ける方がよい等々の授業を、単にメディア情報の受け売りで(今思えば無責任に)行った記憶がある。  実際、その後1995年にフロンは生産・消費が行政指導により禁止されるに至った。

 「地球温暖化現象」を説明するに当たり当時の私の授業内容を語ってもよいのだが、ここは一応現在公開されている ウィキペディア情報 を引用しつつ以下に解説することにする。
 地球温暖化とは、地球表面の大気や海洋の平均温度が長期的に見て上昇する現象である。
 また近年では、比較的生優しいイメージがある「地球温暖化」から、地球規模での危機感をより強調・認識する「地球高温化」という言葉に言い換える自治体などが現れ始めている。  
 地球の歴史上では、気候が温暖になったり寒冷になったりということが幾度となく繰り返されてきたと考えられており、「温暖化」は単に地球全体の気候が温暖に変わる現象を指すこともある。 しかし普通は、近年観測され将来的にも続くと予想される「20世紀後半からの温暖化」について指すことが多い。 過去の気候における温暖化であることを特に明記していなければ「温暖化」という言葉は後者を指す。 ウィキペディア記事では後者の温暖化について説明するが、大気や海洋の平均温度の上昇だけではなく、生物圏内の生態系の変化や海水面上昇による海岸線の浸食といった気温上昇に伴う二次的な諸問題まで含めて「地球温暖化問題」と言われることもある。  
 地球の気候に関しては、時間的・空間的にさまざまなスケールで温暖化と寒冷化が起こってきた。 この「人為的・自然起源に関わらないすべての気候の時間的変動」を気候変動(climate change)という。 UNFCCCでは“温暖化現象”を「人為的なものに起因する気候の変動」という意味で用い、非人為的なものは気候変化 (climate variability) と呼んで区別している。 
 「人為的・自然起源に関わらないすべての気候の時間的変動」を気候変化と呼ぶ向きもある。地球温暖化問題は「人為的なものに起因する気候の変動」という意味での「気候変動問題」と呼ばれることもある。
 (以上、ウィキペディア情報より「温暖化現象」に関する事項を引用)


 原左都子の私論に入ろう。

 「地球温暖化」現象に関してその意味が大きく分けて二通りある事を理解した上で、この地球は本当に「温暖化現象」の真っ只中にあるのだろうか? との疑問が我が脳裏に漂っているのだ…
 そんな事今さら言うなよ!と高校時代の教え子にボコボコ叩かれそうだが、現在の原左都子はどちらかと言うと「地球温暖化現象」に異論を唱えたい立場であるのだ。
 実は地球は現在“氷河期”に向かっているとの学説もある。 あるいは、太陽の黒点と地球との関連も指摘されている。 
 それらを総合的に考察した場合(あくまでもいい加減な分析に過ぎないが)、20年程前当時に 「地球温暖化現象」 を唱えた学者とは狭い意味での「温暖化」を分析した結果なのだろう。 が、一体どこまでグローバルな規模で地球を考察して当時メディア上で国民皆を巻き込むべく発言したのかと指摘したくもなる。 

 それに関しては、上記のウィキペディア内でも指摘されている。
 近年では、比較的生優しいイメージがある「地球温暖化」から、地球規模での危機感をより強調・認識する「地球高温化」という言葉に言い換えられたり、地球の歴史上では、気候が温暖になったり寒冷になったりということが幾度となく繰り返されてきたと考えられており「温暖化」は単に地球全体の気候が温暖に変わる現象を指すこともある。
 (再度、上記ウィキペディアより引用)
 要するに「地球温暖化」と一言で言ってみても、その学問科学研究対象分野は元より、宇宙規模での期間設定、あるいは産業界や市民社会等実世界の受け入れ方により解釈が異なるのは必然的であるということだ。


 横道に逸れた事により、今回の我がエッセイのテーマの結論が導き難くなった気もする…

 気を取り直すと、国民の命を守る最後の砦は行政であることには間違いない。
 「地球温暖化」議論があらゆる分野、方面からのアプローチにより進んでいようがそうでなかろうが、国家、地方の如何にかかわらず国民、市民を行政が自然災害から守らねばならないのは確固たる事実であろう。

 上記の通り、気象庁からの“今まで経験した事がないような”災害が襲ってくる云々の表現のごとくの激災害に直面した市民の皆さん個々が「我が命だけは守り抜こう!」と志し、とりあえず自らが生き延びる方向で行動する事に期待申し上げたいものだ。

大都市交通網 振替え輸送の連携プレー

2012年07月11日 | 時事論評
 (写真は、昨日訪れた上野動物園内で買い求めた 「旅の風景シリーズ第15集 東京 上野 浅草・墨田川周辺」切手。 本文とはさほど関係ありません。)

 
 昨日私は、大都市東京の交通網を利用して上野方面へ所用があって出かけた。 そのついでに、現在パンダの赤ちゃん誕生ブームに沸く上野動物園内を一見したく思い立って、入園した。
 平日のためかさほどの賑わいはないものの、子供連れ親子が父親になったばかりのリーリーを見物していたり、上記の写真のごとくパンダの図柄入り切手売り場が特設されていたりした。

 本日(7月11日)昼間NHKテレビをつけていたところ、1時半過ぎに突然ニュース速報が入り「上野のパンダの赤ちゃんが死亡」とのテロップである。 どうやら赤ちゃんの死因は肺炎らしいのだが、昨日まで赤ちゃんは元気な様子で、活気付いた動物園内を見てきたばかりの私はびっくり仰天意気消沈である… 
 (上記のパンダ切手類には、今回の赤ちゃん誕生を祝ったパンダ絵葉書、ファイル付セットも特別販売されていたのだが、あれは今後廃棄処分となるのだろうか??)


 さて、今回の表題に掲げたテーマの本筋に入ろう。

 東京にお住まいではない皆さんも、東京都心の幹線鉄道路線であるJR「山手線」はご存知の方が多い事であろう。
 それでは、そんな皆さんに原左都子からクエスチョンである。 
 「山手線」は二重の環状線となっているのだが、一体、どちらの方向が「内回り」でどちらが「外回り」か即答できるであろうか?

 上京して以来30数年の長きに渡り「山手線」には頻繁にお世話になっている私だが、実は昨日までそんなことを考えようとすらせず乗車していた。 
 昨日、その答えを初めて知る運命に出くわしたのだ。

 上記上野動物園からの帰り道の夕刻、JR上野駅から山手線に乗車した。
 田端駅を過ぎた頃からだろうか、いつになく電車が徐行し始める。 山手線の徐行は珍しいなあと感じつつ、やっとこさ次の駒込駅に着いたら今度は電車が発車しない。
 しばらく経って車内放送があった。 「巣鴨駅にて人身事故発生のため、山手線“内回り線”は電車の運行を休止します。 尚、“外回り線”に関しては現在のところ運転を続行しています。」

 (んっ??  今私が乗っているのはどっち回り線なのだろう?
 同じく戸惑っていそうな乗客が多い中、そそくさと電車から降り立つ人も多い。
 (ちょっとJRさん、「この電車は“○○回り線”です。」くらいはアナウンスしてよ。知らない乗客だっているんだから!)と多少イラついていると、相変わらず、
 「内回り線の再開は17時ナンタラ分頃となります。 振替え輸送を行っていますので、そちらのご利用をお願いします。」
 (だからJRさん、私が今乗っている電車はどっち回りよ?! 振替え輸送が何なのかもよう分からんし…)とイラつきを倍増させていると、やっとこさ、
 「この電車は“内回り線”です。 メトロ南北線に振替え輸送可能ですので、そちらをご利用下さい。」
 (早く言ってよ!) と怒りつつも、この「振替え輸送」自体も何十年来都心で暮らしている私にとって初体験である。

 と言うのも、私が日々交通網を利用して通勤していた過去の時代にも「振替え輸送」システムとやらは存在していたのだろうが、さほど整備されていなかった記憶がある。
 加えて、これ程までに鉄道関係の「人身事故」も激発していない時代背景だった。
 電車が何らかの事由で遅延した場合、雇用者側が既にそれを承知していて「遅刻」扱いとはならなかったような記憶もある。 帰宅時間帯の電車遅延に関しては、誰の責任ともならず単に乗客が自宅に着く時間が遅くなるのみで、鉄道側の責任の程は消え去ったものだ。 
 当時は滅多に勃発しない事象だった故に、そんな無責任体制が成り立っていたのだろうと今解釈する。


 さて昨日に話を戻すが、自分が乗っている山手線が“内回り”か“外回り”か分からなかったが故に「振替え輸送」体制に移行するのに出遅れてしまった私は、アナウンスのままにメトロ南北線方向へと急がされる事と相成る。(お年寄や体のご不自由な方々はさぞや大変だろうなあ…)
 夕刻の帰宅時間帯のためか、物凄い数の人間が怒涛のごとく移動している。 それに私もついて行きながら、(運賃の扱いはどうなるのか? それにしても迷惑な話だ!)などと相変わらず内心怒りつつ、JR駒込駅の改札付近で「振替え輸送証」なる白色切符を受け取りメトロ南北線乗り場へと急ぐ。
 (この証書はまさか自動改札機には投入できないだろうから、駅員氏がいる改札を通るのだろうか?) と判断したら周囲の皆がそうしていて無事メトロ南北線に乗り込めた。 車内は案の定混んでいる。

 そうしたところ、メトロ電車内にも早速車内放送が流れた。
 「本日16時何分頃、JR山手線で人身事故が発生しました。現在“内回り”“外回り”共に運転を休止していて振替え輸送中です。 そのためメトロ線に於きましても運行時刻が乱れていますことをお詫び致します。 山手線運転再開は現在未定です。…」

 次に乗り換えたメトロ丸の内線に於いても、やはり「山手線」事故流れの乗客で満杯である。 それでも、上記のメトロ南北線同様に懇切丁寧な車内放送が流れたため、私はとにかく安心できた。
 そして、もう一本メトロ路線を乗り換えて私は帰宅せざるを得ない。 
 今回のJR山手線の「人身事故」により私が無駄にした時間は、ほぼ50分程度だったであろうか?

 やっと我が家最寄の東京メトロ駅に到着し、私はJR駒込駅で手渡された「振替え輸送証」を駅員氏に提示した。  ここでも駅員氏は、今回のJR山手線事故に基づく運休を承知しておられた。
 駅員氏は「そのまま素通りして結構です」と言って下さったのに、私は訳が分からずいつものごとくスイカを改札機に“ピッ”と反応させてしまった。 あわてた駅員氏曰く、「乗車料金が発生してしまいましたので、返金致します。」
 その返金作業(要するに振替え輸送中の運賃は無料のようだ)をしてくれつつ東京メトロの駅員氏は、「本日は“振替え輸送体制”となりご迷惑をお掛け致しました。」と深々と頭を下げ続けて下さったのだ。

 これに私が感動しない訳がない。
 JRと東京メトロとは都心に於いては競合大手企業同士の関係である。
 現在は世の中の種々の事情により、鉄道網が運転不能事態に陥る事が数多く勃発せざるを得ない時代である。 そういった場面で競合他社の垣根を乗り越えて、緊急時に相互援助体制をここまで構築できている現実に直面し、私は実に感激である。
 

 「人身事故」が多発している現状においてそれが勃発する事由も様々であり、それこそを最優先して撲滅するべく社会であるべきなのは当然の事である。 (またの機会にでもその課題を「原左都子エッセイ集」で取り上げることにしよう。)
  
 それにしても大都会東京に暮らす1千万人超の人々を日々無事に遅延なく輸送するべく使命を担っている交通網に於いて、有事の際の事故対策を公共鉄道各社が連携プレーしつつ全社を挙げて取り組んでいる実態の一端に、昨日触れられたような気もする。 

“フェチ愛”は歪んだ心理状態か?

2012年07月09日 | 恋愛・男女関係
 「原左都子エッセイ集」久々の恋愛カテゴリーであるが、妙な表題を掲げた記事を公開して恐縮である。
 決して“人寄せ”目的ではなく、本文を読み進めていただければ私が何を言いたいのかがお分かりいただける事と思う。


 冒頭から私事となるが、私が「原左都子」のペンネームでフェイスブック上に我がページを設け、本エッセイ集の公開媒体の一つとしていることに関しては、既にバックナンバーで幾度か綴っている。
 そのフェイスブックの我がページに、近頃如何なるルートからかは不明だがトルコ人男性が2人程訪れて下さった。 (相手は日本語はまったく理解できないようだが、原左都子ページの英語版でも存在するのだろうか??)
 先に訪れた男性と英語でメールのやり取りを何度か繰り返した後、最後のメールに於いて 「How old are you?」 なる質問が私に投げかけられたのだ。 (あ~~、なるほどこの人は恋愛目的だったのかな?)と感じつつ、「No comment…」云々の返答を私は返した。 そうしたところ、その後“なしのつぶて”である。
 相手は20代の若き世代の男性だったのだが、私の想像通りネットで恋愛相手を模索しているとするならば、この反応は当然の成り行きと捉えられるであろう。

 私事が続いて恐縮だが、現実世界に話を戻そう。
 つい先だって、定期的に通っている体育館併設スポーツジムでランニングを始めようとしたところ、外国人男性から声をかけられた。
 このような種々雑多の人が集まる場において、日本人もご高齢の方は結構気軽にお声を掛けて下さるのだが、若き世代の方はこちらから声かけしない限りコミュニケーションが成り立つ機会はまずない。
 どう見ても30~40代程の外国人男性が、片言の日本語で私に声をかけて下さる。 それにこちらも片言の英語で応答したところ、「You can speak English!」なんたらかんたらと言ってとても感激してくれて、その後英語日本語交じりの会話が両者間で続行することと相成る。
 日本語に訳すと「どれ程の距離をランニングしていますか?」「いつこのジムに来ていますか?」「どこに住んでいますか?」等々の中学生レベルの会話が両者間で展開した後、やはり相手が言うには 「I think we are about the same age. 」 である。 
 そうか、やっぱり男とは国際レベルで例外なく女を見ると“男女関係の成立”を目指したい存在なのかなあ、と咄嗟に感じつつ私はこう返した。「I don't think so. I'm older than you.」  その後男性は「今度お茶でもしましょう!」との言葉を発するので、私も「good!」などと返しつつ、その後ジムで会っていない。

 外国人男性の話題が続いたついでに過去の私事を語ると、私は一昔前に米国に在住する姉の友人男性と親しくなった経験がある。 
 その男性は欧米白色人種でありながら“黄色人種女性フェチ”と私と姉は結論付けていた。 と言うのも、その人物はどういう訳か在米中国、韓国人や日本人女性にばかり興味を持ち、その相手をゲットする事を最高の幸せとしているかのように見受けられたからである。

 そのような現実を鑑みると、上記のフェイスブックページに訪れたトルコ人男性やジムで出会った欧米人男性は、少なくとも私に年齢を確認してきた。
 という事は、ご両人は男女付き合いに関して決して“年齢フェチ”気質ではなく、正当、真っ当な精神気質の人物達だったのではなかろうかと判断するのだ。


 何故に今回原左都子がこのような記事を綴っているのかと言うと、そのきっかけは一昨日(7月7日)朝日新聞別刷「be」の一記事を読んだことによる。

 以下に、上記朝日新聞コラム「結婚未満」の “年上の女性しかダメな彼” と題する記事を要約して紹介しよう。

 リョウコ(仮名、35歳)は現在小さなパン屋を経営している。 元々会社員だったが趣味で作ったパンの評判がよく、3年前に実家の一部をパン屋に改装して従業員募集をした。 コウゾウ(21歳男性)を採用することにしたのは、パンへの愛情も技術も自分と合うと思ったからだ。 イケメンのコウゾウを目当てにやってくる女性客も増えパン屋は今まで以上に繁盛している。 仕事の終わりにいつものように2人で居酒屋で話をしている時、コウゾウが突然真顔になって「僕、一生この店とリョウコさんのそばにいたいです」と訴える。 コウゾウの好意には気付いていたが、2人の年の差は14歳もある。 「僕、年上の人しかダメなんです。リョウコさんなんか今まで好きになった人で一番若いくらいです!」 もっと聞いてみると、コウゾウは15歳の時に友達の母と付き合った話等々、40代女性とばかり付き合って来たとのことだ…  最初はその関係を反対していたコウゾウの親も、今は好きな人と付き合えばいいと言っているらしい… 「若い女が好きな男だって若いマニアみたいなもんだし、それと同じで年上マニアってことでしょ。」とコウゾウは言う。 その通りだと思いつつ、リョウコは「好きになった人がたまたま年上だった」と言われる方がうれしかったとも思う…。
 (以上、朝日新聞コラム記事より引用)


 最後に原左都子の私論の結論を述べよう。

 朝日新聞記事のリョウコさん、ここは「パン屋」経営とコウゾウくんの事を一旦切り離して考えるべきではあるまいか?

 今の世の中、年齢等々の諸条件など何でもいいからとにかく“セフレ”相手の女をゲットしたい男が溢れているのが実情だ。(女側もね…) そんな奴らがネット上でうようよとうごめいている現実だ。 
 それ程までにこの世は、現実世界で(自分が欲する)生身の人間と出会うきっかけが得られない人種が増殖している事態と成り下がっている。

 コウゾウくんの場合、もっと複雑な事情もありそうだね。 リョウコさんが経営する「パン屋」を自分の終身雇用先と目論んでいるのかもしれない。
 何せ、政権不安定、経済不況、就職困難な今の我が国の現実でもある。

 原左都子に言わせてもらうと、現在35歳のリョウコさんなどまだまだ若い世代である。 せっかく自分の実力で開業した「パン屋」を充実させることに今は力を注いでは如何か?
 コウゾウくんの愛はやはり“フェチ”の匂いがするし、上記のごとくリョウコさんの「パン屋」を自分の終身雇用先と目論んでいる魂胆も私には漂って来るのだ…。

 それでもリョウコさんがコウゾウくんの“フェチ愛”を受け入れられると言うのならば、そうしてもいいのかもね。
 何と言っても今時の35歳女性とはまだまだ若い世代だよ。 今後やり直しがいくらでもききそうにも私は感じるよ。