原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

私はとにかく “くだらな話” が嫌いだ!!

2021年04月12日 | 人間関係
 昨日公開した 2016イタリア旅行・ピサ編 にて。

 私は“しつこい”程に、ピサ現地で一期一会の見知らぬ70代後半日本女性から「くだらな話」の被害に遭った事件に関して公開した。

 
 これは旅行中に限らず、普段の生活に於いても同様だ。

 (ネット上では現実世界の私をほとんどの方々がご存じないだろうが)、この私、“愛想がいい”方の人間である。 それが幸いして、こちらから笑顔で話しかけるとたとえ一期一会の関係であろうが、大抵の場合話が弾んですぐに仲良くなれる。
 ただ、今現在の社会における常識人は皆“人付き合いの基本”というものをお互いにわきまえており、初対面の関係で話が長引くことはほぼ無い。


 その“人付き合いの基本”というのをわきまえていないのは、大抵の場合やはりお年寄りであろう。(わきまえていらっしゃるお年寄りの方々には、失礼をお詫び申し上げます。)

 少し前の大規模公園を徒歩で散策した趣旨のエッセイ内で。 
 私は隣区の公立体育館に10年間通った後、2019夏のウィーン旅行直前期より行かなくなり、その後世がコロナ禍に突入して後既に2年の年月が流れている旨を記載した。
 実は、何故ジムへ行かなくなったのかを正直に語ると。
 やはり70歳を過ぎている位の高齢女性より、上記ピサ旅行中と同様の“くだらな話”の洪水被害に遭っていたからに他ならない。
 上記ピサの事例の場合はその被害が半日ポッキリで済んだため、まだしも救われた。
 これが毎週ともなると、我が義務感にも限界が訪れるというものだ。

 どういう訳か、その加害者は女性が圧倒的に多い。
 当該ジムでは高齢男性とも時々会話をしたが、きちんとフィフティ・フィフティの会話が成り立っていた。(残念ながら、この中のひとりの男性の奥様がご病気で亡くなられた後、ジムから忽然と姿を消されたりもした…。)

 この現象、一体どうしたというのだろう??
 一人で“くだらな話”を永遠と続ける高齢者等の人種とは、どういう訳か自分一人でくっちゃべっている事に気が付かないようだ。 しかもその相手をしている私が辟易としているのにも無頓着だ。 こちらが「用がありますので、先に失礼します。」等と強制的に会話を終焉させない限り、永遠とそれを続ける癖がある。 
 まさに“場が読めない”タイプの人種がこれをやらかすのだろうが…
 加えてこの種の人種の会話とは、まさに“嫌気がさすほどにくだらない”のが特徴でもある。😵 


 この“くだらな話”の被害を避ける方策としては、そいつに会わないに限る、との結論しかないように思う。 
 そして、私は10年通ったジムを事実上辞めざるを得なかった。


 今後高齢域に達するほどに、こういう事態が多発する事が想像できる。
 その対策としては、そういう輩がいそうな場を避けるしか打つ手が無いようにも思えるが。

 ところが特に高齢者が集まる場とはそのすべてにこの種の輩が存在し、好き好んで“くだらな話”を展開していることも想像が付く。😷 


  そう言うこの私とて。
 飲兵衛の身としては、酒飲んでは同輩と“くだらな話”をし合って長き時間を共有したものだ。😝 
 現在は“コロナ禍”でもあるし、当然自粛の身だが。 

 それにしても我が身も高齢域に突入し、何年か後に“コロナ禍”が収束しようと、もう“くだらな話”をし合える仲間も失っている身でもあることに気づかされる。

 それでも、若い世代を捕まえて“くだらな話”をする程の非常識な年寄りには絶対ならない自信もあるなあ。