原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

恋愛の楽しみ方など人それぞれ千差万別でよい!

2015年07月15日 | 恋愛・男女関係
 今回のエッセイは、40近くまで独身の身にして数多くの恋愛三昧を繰り返した挙句の果てに「お見合い」にて晩婚に至ったとの経歴持ち主である原左都子が、勝手気ままに綴る内容である事を冒頭からお断りしておく。


 朝日新聞 2015.7.11“悩みのるつぼ”の相談内容は、23歳大学4年生女子による 「私には彼氏ができません」 だった。

 ここで私事だが、ちょっと待って欲しい。
 大学4年生“就活戦線真っ盛り”のこの時期に、この種の恋愛相談を新聞投稿する暇がある女子大学生とは、既に「就職内定」をゲット出来ているのだろうか?  
 もしかしたら、「就職先は内定したが、よく考えてみると私には彼氏がいないじゃないか!? どうしてくれる?」と突然焦り始めたのだろうか??

 あのねえ、我が娘も貴女と同じ大学4年生だが、未だ「就活内定」をゲット出来ずこの猛暑の中健気に就活説明会を足繁く回っているよ。
 そんな時期に「彼氏が出来ない」なる相談をするのって、内定を取れていない大学4年女子達に対してちょっと嫌味じゃないかなあ…。
 あるいはもしかしたら、貴女は“就職しない派”なのだろうか? 大学卒業後すぐにでも結婚を考えているにもかかわらず、未だ将来を契れる程の男性恋愛相手とは巡り合えない現状を嘆き、差し迫って新聞相談に投稿したのだろうか??
 もしそうではなく既に「就活内定」をゲット出来ているのならば、4大卒業者の使命として、ここは新卒採用で社会進出する身に立ち戻り、今後如何に社会貢献出来るのかを自身の最優先課題とするべきではあるまいか。

 とりあえず、大学4年生 23歳女性の新聞相談内容を以下に要約して紹介しておこう。
 23歳の大学4年生だが、今までに正式に彼氏がいたことがない。 かと言って恋愛経験が全くないわけでもない。 けれど最近、なぜ自分には彼氏が出来ないのかと悩む。 途中までいい感じだったのに友人が余計なことを言ったためこじれたり、あるいは好きな人から身体を求められて私が同意しなかったから結局仲のいい友達で終わったり…。   一方で、現在大学3年生の妹には1年半付き合っている彼氏がいる。 妹をはじめそういう人を見ると、何故自分の恋愛関係は進まず普通に付き合うことが出来ないのか、自分には恋愛テクニックがないのか、性格がダメだからこれからもずっと一人なのかと心配だ。…


 ここから、原左都子の私論に入ろう。

 冒頭にて記した通り、もしも当該相談者女子が大学4年生にして既に“就職内定ゲット”している立場であるならば、今現在20代前半の若さにしての自身の目標設定とは、今後しばらくは職業人としての使命を果たすことにターゲットを定めるべきではあるまいか? (参考だが、貴女が何処の大学を卒業する身分なのかは露知らないが、大学生を一人育てるために如何程の国庫金や自治体からの血税が投入されているかを、23歳にもなっているならば少しは慮るべきだよ!)

 と言うのも、私自身は就職直後から当然ながらその行動を採ったものだ。 実際問題、若気の至り新卒入社との未熟な立場で就職先での勤務に明け暮れる日々を過ごす日常の中、おそらく私の場合は自分の職責を最優先する日々だった記憶がある。 (その傍らに恋愛もしたが、それはあくまでも二の次の余力にて執り行ったものだ。)
 そんな中、相談大学4年生女子のごとく社内恋愛を経過しての“寿退社”を虎視眈々と狙う女子新卒者が私の周囲にも多数派だったことを思い起こす。
 もしも相談女子が就職先にて“寿退社”を狙っているのであれば、入社後にでも自宅の妹氏に長きに渡り恋愛関係持続可能なノウハウを伝授してもらえば済む話であろう。


 要するに原左都子の私論としては、うら若き女性達も自分なりの確固たる人生設計があってこその将来に及ぶ“恋愛選択肢”と心得るのだ。

 何故、(社内、学内等を含め自分の行動半径内のいとも狭い環境内での)つまらない男との結婚を目指したいのか?
 私にとっては自分の業務内容を充実させ自分自身こそがこの世で輝きたいとの切実な願望を内在させていた事は確かだ。 それ故、社内恋愛など二の次・三の次の課題だったと言える。
 ただ女性間のこの発想の差とは、育った環境によるものである事は十分理解出来ている。 おそらく幸せな環境下の家庭に育った女子達とは、自ずと両親に真似て早期に婚姻し家庭を築きたいのであろう。 

 そうだとして我が経験のごとく、結婚を意識しない恋愛を繰り返しつつ、とりあえずは職業上での成功を自分なりに勝ち取った後で、あえて晩婚を選択するのも乙な人生だよ。
 もちろん、若き頃より一人の男性に尽くす(共に人生を歩む)との選択肢も十分褒め称える価値があるのだろうが…。

 結論としては、老若男女を問わず、皆が個性豊かな恋愛を楽しめば済む話だ。
 特に若き時代には、自分自身の恋愛に対して自己肯定しにくい時期もあろう。 が、時を過ぎて大人に至り、過ぎ去りし時代の自分の恋愛遍歴を認められるならばそれで十分であろう。

 その意味では原左都子など、現在の年齢に至って尚自分が欲する理想的な恋愛人生を歩めているような“勘違い感”を抱けるのだから、我ながら凄い!??