原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

ネット上一媒体の「ブログ」も冬の時代到来か?

2012年10月25日 | 時事論評
 本日、とある用件で知人にメールにて連絡を取ろうとしたところ、「メールを届けられない」とのメッセージが英文にて返って来た。
 そう言えば、この知人とは1年以上連絡を取っていなかった事に気がついた私だが、おそらくメールアドレスを変更したのであろう。

 それならば電話にて連絡しようか?と考えたものの、元々電話番号を確認していない事にも気付いた。 
 今時個人情報保護観点もあり、私ならずとも、よほどの懇親の仲でもない限り連絡先詳細を伝え合わず、とりあえずメールアドレスを教えるとの人間関係が世に急増しているのではあるまいか?
 加えて私の場合、懇親の仲以外の方々には重要用件がある場合を除きこちらからマメに連絡を取るタイプの人間ではない。 
 当該人物とは現実世界で知り合ったのだが、連絡手段をメールというネットのみに頼っていた事を多少反省しつつ、時候挨拶メールでも送信して、もう少し定期的に連絡を取る努力をしておくべきだったかと考えたりもする。 この人物ならではの専門情報を得たかったのだがその目的が果せず終いなのに加えて、今後一生に及び縁がなくなったのは残念だ…。
 ネット繋がりのはかなさを少し思い知らされる出来事だった。


 話が変わるが、10月に入ってから新たに放送されているNHK連続テレビ小説「純と愛」に於いて、先週、愛(いとし)役の男優が興味深いセリフを発していた。
 この愛(いとし)君とは、心に大きなトラウマを抱え人間の顔をまともに見れないとの役柄設定なのだが、新たな就業先を考慮するに当たり“人間の顔を見なくて済む職種”を主人公純と共に模索するシーンがあった。 
 「パソコンに向かう仕事なら人の顔を見なくて済むじゃん!」との純のアドバイスに対して、応えた愛君の返答と同様の思いを抱いている私だ。
 愛君曰く、「パソコンの仕事は既に経験済みだが、ネット世界の中身とは世界中の何千万人もの人々の“悪意”が渦巻いている世界だ。 それを見るのは現実世界の人の顔を見るのと同様につらい。」 (記憶のみに頼っているため、セリフ内容が正確でない場合お詫びします。)

 私自身も幾度となく本エッセイ集内で述べているが、現在私はネット上の活動を最小範囲に留めている。
 それは5年程前に当「原左都子エッセイ集」をネット上に公開後1年半程が経過した頃より、ネット世界に違和感を抱き始めたからに他ならない。
 当初は不特定多数の見知らぬ読者の方々に恵まれつつ順風満帆のスタートラインを切った本エッセイ集であるが、アクセス数が増大するにつれ望まない反応が増殖し始めるのはネット世界の常であろう。
 ネット上とは言えども、自分がお付き合いする相手の“分別作業”は自己責任に於いて実行するべきと考えた私は、とりあえず我がエッセイ集の「コメント受付基準」を設定し、さらにその後「コメント欄閉鎖」に踏み切った。  加えて、ネットコミュニティへの参加を最小限に留め、“コミュニティ内友達申請制度”に関しては基本的に参加しない意向を決定した。
 その措置が正解だったからこそ、私は今尚このように「原左都子エッセイ集」をネット上に公開し続けられていると判断している。

 先だっての朝日新聞に於いて、歌手の今陽子氏が 世界規模で幅を利かせているネットコミュニティ Facebook (どうやら経営難らしく多額の経常損失を計上中のようだが)を褒め称える内容の記事を発見した。
 今陽子氏曰く、「私のような“年配者”こそがこのようなネットコミュニティを楽しむべきだと思う。 私がフェイスブックに登録して以降、世代を問わず様々な反応が届くがそれが今現在大いなる刺激になっている。 特に年配者の方々に、このようなネットコミュニティを楽しむことを奨励したい」云々…
 原左都子が推測するに、著名人であられる今陽子氏の場合、背後にフェイスブックの管理人がおられるのではなかろうか?? そのバックの人物が今氏に見せる画面を選別している可能性があるように推測するのだが、どうだろう?  あるいは、今氏にとってフェイスブックがネットコミュニティ初体験だったのかもしれない。 おそらく芸能人として多忙であられる今氏がネットに没頭できるはずもなく、何らかの機会でフェイスブックに登録してみたら思わぬ多くの反応が飛び込んで来て感激するとの、ネット初期体験段階なのかもしれない……
 
 今一度、原左都子の私論を述べると、ネット上の見知らぬ相手からのプラス反応に感激できる賞味期限とは1年、長くて1年半程度ではなかろうか?

 いえいえ、これはそもそも現実世界で如何なる人間関係を築きつつ生きてきたかにより大いに左右される話であろう。
 私の場合は、やはり面と向かっての人間関係に今後共重きを置きたい。 ネット上で高評価されたり、後進より何らかの指導を煽られる事ももちろん嬉しく、それにお応えしたい思いも山々だが、相手の顔が見えないお付き合いには限界を感じざるを得ない。


 ところで(私は断じてファンではないし、どうでもよい話なのだが)、AKB48のメンバー・前田敦子氏(21歳)が、2009年3月から開設したAmebaブログでのブログ更新を終了すると発表した、とのネットニュースの報道である。
 その記事の締めくくりに、本人が「さぁ急ではありますが、このブログで最後になります;」と、ブログの終了をさらりと報告したとのことだ。
 ところがこの宣言はあくまで表向きのものらしく、その本性とは「このままブログを辞める、とは違いますよ; 新しいサイトができるまでまっててください! すぐに会いましょうー!!」とブログ移籍を匂わせるコメントを残しているらしい。

 またまた話が変わるが、先だっての10月22日に私が「原左都子エッセイ集」を5年前より登録していた edita とのネットブログコミュニティがそのサービスを全面終了した。 その去り際の素晴らしさを私は評価するものの、どうやらこちらも上記AKB48の一メンバー同様に、新たなサービスを打ち上げる風のコメントを残している…

 そうだよなあ。 芸能人にしろ、ネット上の営利組織にしろ、その最終目的は「営利」に決まっている。
 そうした場合、現状のネット上の個人ブログ展開(たとえ著名人と言えども)、あるいはそれを“鴨”とした営利組織がさほどの収益が望めない時代背景となっていると私は推測するのだ。


 最後に私論を展開しよう。

 上記の様々なネット上の現在の事情を鑑みた場合、その現実に“人の悪意”故の限界が表出する時代と相成っているのではではあるまいか?

 例えば“つぶやき”を売りとしているネットコミュニティについて述べると、 私は一切の“書き込み”経験がない一方、見知らぬ複数の相手に「原左都子エッセイ集」に関する誹謗中傷を書き込まれた経験がある。(その書き込みが現在尚ネット上に公開されているようだが…)  誰でも安易に“つぶやき”を書き込めるネット組織が検察の捜査を受けた結果その活動を多少自粛しているとも見聞している。

 上記の今陽子氏がおっしゃるように、確かに“お年寄り”にとってはネット世界とは現実世界では叶わない、世代を超えた交流が可能なミラクル世界であるのかもしれない。
 それを一時のミラクルと解釈するのではなく、せっかく出会えた相手とできるだけ長くかつ美しい人間関係をネット上で存続させる「努力」こそが欠かせないのではなかろうか?

 それ程“年寄り”ではない私も、ネット上で知り合い私の意思(及び“好み”)で“分別”した読者の方々との関係こそは大事に育みたいと思いつつ、既に5年来のお付き合いをして下さっている方々が少数ながら存在することに感謝申し上げる次第だ。