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ひょっとこマスターのブチブチ日記

日々の雑事や音楽の事などなどをブチブチいいながら書きます。

悲しき

2024-08-31 07:35:31 | 日記
深夜ラジオから悲しき天使~メリーホプキンが流れてきた.。 
 いい曲だ~ポールマッカートニーがプロデユース売れたわけだ。
そーいえば60年代は邦題で悲しきがつく曲が多かったな~
悲しき街角、悲しき願い、悲しき雨音、悲しき口笛、悲しき鉄道員
本来の中身とはカンケーなかってんでないかい
悲しきをつければ売れたのだ。ビートルズにもあった~悲しみはぶっとばせ
ケッコー^恥ずかしい題名だな~
日本でも悲しい酒、悲しい色やね、悲しい自由、悲しい気持ちなどがヒット
拓郎にも~どうしてこんなに悲しいんだろうという曲がある。これはいい曲だ。
このところ毎日台風で悲しいひょっとこです。
いちおう毎日営業してます。来てね!今日も雨か
雨の付く曲も多かったな~


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高石ともや

2024-08-22 09:26:09 | 日記
高石ともや死去82歳
日本のフォーク創世記をより活躍した。
拓郎、陽水よりずっと前だ。
当時私は高校生でどちらかというと岡林のほうが好きだった。
岡林は割と暗かったけどメッセージ性の強い唄が多く見た目もカッコヨカッタ
でも高石さんの受験生ブルースはコードが簡単だったので良くギターを弾いて歌ってたな~
C始まりで3っつのコードで弾けたのだ。
その後高石さんは割と裏方でコンサートなどを企画運営してたよーだ。
晩年は京都に住み、たしかなぎら健壱が訪ねて行って2人でギターを弾いて歌う場面が良かったな~
お~いでん皆さん聴いとくれ~ぼーくの話を聴いとくれ~
いいフレーズだったな~
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ボビージェントリー

2024-08-17 09:44:40 | 日記
深夜3時フト目がさめてラジオを聴いてたらボビージェントリーのビリージョーの唄が流れてた。
美貌のアメリカのカントリー歌手だ。実に良い曲である。(歌詞は悲しいが)
どうも1967年特集のようである。
そしてラスカルズのグルーヴィン、ルルのいつも心に太陽を、サム&デイブのソールマン
どれも声と楽曲がすばらしい今聴いてもナツメロの感じがしない
当時私は高校2年ビートルズ三昧でビートルズのレコードは全部買ってた。
そうするとおこずかいは全部なくなった。たまにストーンズのシングル盤を買うくらい
当時レコードは高価なものだった。先にあげたレコードも欲しい。でも買えない
そなのに鮮明に覚えてる。それほどラジオを良く聴いていた。
そしてプロコルハルムの青い影がかかった。
これだけは当時買った。どーしても欲しかったのだ。
先日ゲーリーブルッカーも亡くなってしまった。淋しい
いつかひょっとこバンドでやろう。




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お盆

2024-08-12 08:45:27 | 日記
世のなかはは8月10日頃からお盆休みだ。
10連休の人もいる。
ひょっとこはお盆中も通表営業していますので是非おいでください。
9月に遅い夏休みを取る予定です。
今週中には墓参りに行く予定。
所沢のお盆は初日に提灯をもってお墓に行き火を灯して自宅まで帰ってくる。(お迎えだ)
そしてお盆最終日に提灯に火を灯したままお墓まで行く。
最近ではあまり見ないが。ママが40数年前に所沢に来た時火の灯った提灯行列を見て
相当びっくりしたようだ。
当時は街の明かりも暗くヒジョーにブキミだったようだ。
最近ではたまにしか見ないな~それも寂しい。
しかし炎天下の墓参りも大変である。
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ジュリーがいた

2024-08-01 08:28:15 | 日記
ジュリーがいた沢田研二、56年の光芒と言う本を読んだ。
2023年6月10日発行 島崎今日子著
この著者が数年前に書いた安井かずみの時代と言う本がすこぶる面白かったので読んだのだ。
単なる自伝かと思っていたが実に良く取材をして書いてる。
知らないことがいっぱいあったな~
ジュリーを発掘したのは内田裕也だがPYG時代に裕也さん主催の野音のロックフェスに出るが
さんざんなブーイングで帰れコールが巻き起こった。歌謡曲の人間がくるんじゃねえよ!
その後私もこのフェスに通うが、ソロでジュリーが出てきたときはブーイングはなかった。
この頃ジュリーはロックを歌いたくてZEPやグランドファンックなんかを歌ってたが骨太のロックフアンからは
あまり歓迎されなかったように思う。
そしてソロになり加瀬邦彦や安井かずみ、井上孝之、大野克夫らに支えられスーパースターに上り詰める。
加瀬さんが13年もプロデユーサをやってたなんて知らなかったな~
そして危険な二人は安井かずみがジュリーへの片思いから作られた曲(年上の人美しすぎる)で
当初この曲の出だしは、ふたりは今日までだったのを、安井かずみが今日まで二人はと直した、そして大ヒット
またこのころから早川タケジという(セツモードセミナー卒業)人がュリーの衣装を担当
あの樹木希林がジュリーと叫ぶポスターの衣装だ!これ以降しばらくこの人が衣装担当
まだジェンダーという言葉がない頃だったから相当先見の明があったな~
しかしずっとバックバンドをやってた井上孝之がTOKIOの衣装を見た時からジュリーから離れていくくだり
彼はジュリーと田中裕子の出雲大社での結婚式で媒酌人を務めている。
その後シングルを出しても出しても10万枚以下の売上しかとれない(シングル盤を65枚も出してる)
明菜ちゃんやピンクレデイ、百恵ちゃんなどアイドル全盛時代にはいってからの葛藤などなど
とま~面白い話が満載である。
是非一読を!

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