世一英佑の消息

Keep Straight.

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新しいHPがあります

2013-10-28 19:42:07 | Weblog
こんにちは。
用があってこのブログを見たら、今も多くの方が来訪しているとわかり驚きました。
どうもありがとう!!嬉しいです。

僕はいま石垣島にいて、小説を書いています。
島の暮らしを書いているので、よければそちらもいらしてください。

『岬のみえる家』
http://yoichieisuke.com

時間が繋がった気がするなあ。

世一
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大掃除スタート

2008-12-22 14:19:20 | Weblog
今年はじまった良い習慣がいくつかある。

早寝早起き。新聞くらべ読み。
よく噛んで食べるようになった。
化学調味料を使わなくなった。
野菜をよく食べるようになった。

掃除をするようになった、というのもその一つ。
四月から部屋にこもって文章を書き始めて、
その頃から、毎日のように掃除をするようになった。
僕にとってこの自室こそが仕事場、戦場である。
部屋の状態は僕のパフォーマンスに関わる。
僕は自然と掃除をするようになった。

毎朝起きたらすぐ、全ての窓を開け放ち換気する。
布団をたたんで、二階のベランダに干す。
布団を敷いてあった所は、机を出す前にさっと一拭きする。
机も、毎朝、手ぬぐいでさっと一拭きする。

毎日こんなことを続けて、
週末には大掛かりに床の拭き掃除などもして、
気づいたら掃除が好きになっていた。
掃除をすると部屋の気はグンと良くなる。
そういう空間だとリラックスできるしやる気も出る。
また、からだを動かすのも良い。
何もやる気がしない時などは、とにかく掃除をする。
汚い所を夢中で拭いたり掃いたりしているうちに、
終わるころにはもう、外に走り出したいような気分になっている。

こういうわけだから、年末、
大掃除に気合いが入るのは当然である。

今年は一週間かけて大掃除をする。
これまでは毎年一日で無理やり終わらせていたが、
今回は一ヵ所一ヵ所ていねいにやりたいので分割。
一日めの今日は「玄関」。
明日はキッチン、その次は風呂という具合である。

玄関一つでも、丁寧にやるとなかなか骨が折れる。
靴をぜんぶ靴箱に整頓し、新聞紙をまとめる。
ほうきで玄関を掃き、ぬれぞうきんで磨く。
家の顔であるドアも重要なポイントだ。
細部まで丁寧に拭き、ガラス窓もぴかぴかにした。
おそらく高田荘設立以来一度も取り外されたことのない玄関の電球。
これもシェードを外し、水洗いして、元に戻す。
郵便受けも、中まで丁寧に拭く。

家が喜んでいるような感覚がある。
高田荘、僕は住みはじめて四年が経とうとしている。
キャラの立った家だし、溢れかえるほど思い出がある。
だから僕は掃除をしている時など、家そのものに人格を感じる。
特に玄関はその家の顔である。
ここをピカピカにしていると家が大喜びする。
僕は一人、家に話しかけながらせっせと手を動かした。

今日は曇りだけど、明日はからっと晴れてほしいなあ。
晴れた日に音楽をかけながらやる掃除は最高だから。

大掃除だいすき。



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本郷さんとの出会い

2008-12-12 12:18:01 | Weblog
本郷さんという人と、最近深く関わり始めた。

アフリカの最南端、喜望峰から日本まで、
三年かけて自転車で帰ってきた。
最初これを聞いたときはびっくりした。
アフリカ?三年?自転車?
僕の周りには世界一周をした人は何人もいるが、
本郷さんのやり方はその中でも異彩を放っていた。

僕は、一体どんな豪傑なんだろうと想像した。
彼が撮った写真をHPで見ると、確かに砂漠もあるし、
吹雪の雪山もあるし、地の果てまで続く荒野もある。
どれも、自転車で越えられるとは思えない光景ばかりだ。
きっと熊のような男なのだろう。
真っ黒に日焼けした、岩のような男なのだろう。

だから実際に本郷さんと初めて会った時、
僕はもう一度驚くことになった。
彼が一見、とても普通な外見をしていたからだ。
熊でも真っ黒でも筋骨隆々でもなく、
色白で眼鏡をかけていて体もやや小さめで、
そんな世界の大旅行をしてきた人というより、
どこか町の図書館で誠実に働いてきたという方がぴったり来るような、
穏やかな雰囲気の人だった。

話していくうちに、僕と本郷さんには、
いくつかの共通点があることが分かった。
自転車旅を愛していること、本を読むのが好きなこと。
本棚にある本がいくつもかぶっていて二人で驚いた。
そして何より、文章を書くことへの情熱。
情熱というよりは、憧れと言った方がいいか・・・

本郷さんの文章を読んだとき、すぐに、
ああこの人は文章に身を賭けている、と思った。
具体的にいうと、何度も何度も文章を書き直している、と思った。
それは明らかに、才能が野放しになっている文章ではなく、
何年もかけて少しずつ少しずつ錬磨されたものだった。
僕は、彼が書いた『喜望峰 -日本』を読んだ時、
その内容の素晴らしさもさることながら、
それが書き上げられるまでの過程を思った。
彼はそれを書き上げるのに五年の歳月を必要としたと言う。
実に、僕に手渡されたそれは第五稿だった。
震えるような思いで僕はその68ページを読み進めていった。
そこには、彼の三年間の旅の体験だけでなく、
その背後に、書き上げるための五年間の苦しみや悩み、もどかしさも感じられた。
もちろん、書かれている内容はその三年間の旅のことであって、
「書けなくて苦しい」といったことは一言も書いていない。
だがおそらくまさに今、僕がその苦しさを経験しているからだろう、
本郷さんが自分の体験を、その時の思いを、目に焼き付いた風景を、
いかにしてこの不自由な言葉という形に落とし込んでいったのか、
僕はどうしてもその「書く過程」に思いを馳せてしまう。
そこにははてしない距離があって彼自身が一番それに苦しんだに違いない、
自分が見たことと自分の書いたものの間に巨大な溝があって、
彼が五年という時間をかけてその溝を一つ一つ、
身を削るようにして埋めていったその姿が、
僕にはどうしても今の自分と重なって心を揺るがし、
書かれている内容とその書かれるまでの過程、
両方に強く感動を覚えながら、僕はそれを読んだ・・・。

それは僕にとって、今ほんとうに必要な出会いだった。
無人の荒野を自転車で何日も何日もこいでいるとき、
不意に同じように旅をする人に出会った、そんな出会い。
僕は、「この人なら分かってくれるのではないか」と思った。
誰とも分かち合えないと諦めていた様々な思い・・・
ある体験をどうしても言葉にしたいという熱情、
なのにそれがどうしても言葉にならないもどかしさ。
四ヶ月一文字も書けないというのがどういうことなのか。
一人きりで荒野を走るとはどういう気持ちなのか。

僕は今、本当に沢山の人に助けられて文章を書いている。
ゆうちゃんをはじめとして、多くの人に励まされ支えられている。
もちろん自分が石にかじりついいてでもそれを書きたい。
だけど、誰かが「世一の書いたものを読みたい」
「それを完成させてほしい」そう願ってくれることが、
どれだけこの一人の淋しい旅に力を与えてくれるか。

でもそんな中でも本郷さんは、まったく別種の出会いだった。
どれだけ励まされ、願われても結局書くのは自分。
書いている人にしか分からない苦しさがどうしてもある。
だけど本郷さんと話し、彼の書いた文章を読んで、
僕は初めて、その部分を誰かと分かち合えたと思った。
勿論、「苦しいんだ」と打ち明けあわねばならないわけではない。
確かに僕は実際、本郷さんに相談に乗ってもらうことがあるし、
二人でああだこうだ文章について話すのは毎回実に示唆深い。
だが本質的には、僕は本郷さんが存在しているだけでいい。
同じように、山を登ろうとしている人がいる、
その存在を想像するだけ僕はもう一息がんばれる。
その五年を思うだけで、体に気力が満ちて来る。

本郷さんの『喜望峰 -日本』を読んだ翌日の朝、
僕は封印していた190ページを、押し入れからついに取り出した。
春から夏にかけて書いた僕の初めての作品、
怖くてどうしてもそれを読み返せなかった。
書き直すしかないと分かっていながら、直面できなかった。
だが、僕は本郷さんに背中を押されて、
もう一度それと関わり始めることを決意した。
それは押し入れの紙袋の中で、ひっそりと僕を待っていた。
取り出して久々にページをめくったとき、
この書けなかった四ヶ月が思い出されて涙が出そうになった。

といってもまだふもとに立ったばかり。
これからまたあの苦闘の日々が始まるのだろう。
僕はその道のりを想像すると、すぐに気が遠くなる。
しかしこの四ヶ月、僕はたくさんのものを得た。
気力、知恵、覚悟、そして他者。
やはり我慢したことは、無駄にはならなかった。

これは年末年始も、忙しくなりそうだ。




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韓国料理の魅力

2008-12-09 12:54:17 | Weblog
さいきん韓国料理に凝っている。

コウケンテツの『韓国料理1,2,3』を買って以来、
ほぼ毎日、韓国料理を作っている。
手始めはプルコギ、次に豚とニラのチゲ、
ナムル各種(もやし、大根、小松菜、赤ピーマン)
先週末はゆうちゃんと二人でコースを作ってみた。
ナムル二種、牛すじとれんこんのスープ、
焼きかぶ、あさりと葱のチヂミ。
その日の夜には新大久保で仕入れた素材で、
自家製キムチまで作った(これがうまかった!)

今週に入ってからもスンドゥブチゲ(豆腐チゲ)を作り
昨日は海くんと辻田さんと本郷さんが遊びにきたので、
プデチゲ(部隊チゲ。インスタントラーメンとソーセージを入れる)
を作って、最後はうどんを卵とじにしてシメた。

韓国料理はご飯に合うし、野菜をたくさん食べられる。
あとデカイ鍋ひとつで済む料理が多いのも助かる。
スープものはご飯をいれてクッパにしたら飽きないし、
炒め物も余ったらチャーハンなどにしてしまう。
とにかくご飯をたくさん食べたい僕には好都合な料理だ。

あと、「食べれば食べるほど元気になる」というのがいい。
これは週末遊びにきたおしげさんが言っていたのだけど、
中国や韓国などでは、自分が病んだりつかれていたりする時、
「食べることで」それを追い出そうとするという。
体内に良いものを取り入れて、毒を追い出してしまおうというのだ。
日本だと食べれば食べるほど太るという感じがあるが、
確かに韓国料理だと、いくら食べても太りそうにない。
むしろ食べれば食べるほど体の血の巡りが良くなり、
いらないものは汗とともに吹き出していくというイメージだ。

食べることを控えることで健康を保つよりも、
がんがん食べていらないものを追い出すという方が、
前向きで、僕の性には合っている。
唐辛子、しょうが、にんにく、ねぎ。
これらをふんだんに使った韓国料理はまさに「医食同源」、
食べたあとのつむじあたりがスースーする感覚がたまらない。
ただ物理的に血のめぐりが良くなるだけでなく、
目に見えないエネルギーも、食べることで浄化されるような気がする。
体中の毛穴から、ネガティブな思考や悪い気も、
音を立てて出て行っているような感じがする。

そして高田荘の住宅事情に即していえば、
何より嬉しいのは「からだがあたたまる」ことである。
極寒の一階に住む僕には、この効果が本当に助かる。
じっさい僕は、午前中文章を書こうとしたとき、
あまりの寒さに指先がかじかんでうまく文字をうてなかった。
首筋とか脇にはさんで暖めようとしたが、
芯から冷えているのか、ちっとも指がいうことを聞かない。
しかし昼に食った激辛ラーメンでそれも吹き飛んだ。
たぶん唐辛子のおかげなのだが、指先、足先までぽかぽかするのだ。
今では指たちは正確に僕の意思を反映し、
気持ちよさそうにキーボードを叩いている。

これからどんどん新しい料理を覚えるのが楽しみだし、
それで友達をもてなすのも楽しみだし、
コリアタウンの新大久保を開拓するのも楽しみだ。

そして次キムチを作ったときは、
近所の友達にすこしずつ配ろうと思うので、
ぜひ楽しみにしていてください。





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屋上菜園オフィス

2008-12-06 11:08:12 | Weblog
今日譲治くんに連れられて、早苗さんという人に会いに行った。

彼女はさいきん譲治くんが知り合った人で、出版社の社長をしている。
随分前から譲治くんは彼女を僕に会わせたがってくれていて、
二人はすごく似てるんだよ、女性版世一だ、と言っていた。

譲治くんがそう言うのだから、たぶん何かが似ているのだろう。
しかし僕は自分と似ているという人と、あまり会ったことがない。
僕がだれかを見て、「ああこのひと俺と似てんなあ」と思うことはあるが
誰か他の人から、「あの人と世一が似てる」と言われることは稀だ。
僕はどちらかと言うと自分は唯一無二の存在だと思いたい方であって、
誰かと似ているというのはキャラがかぶっているようで、複雑な気持ちがする。
似てると言われてうれしいのは例えば寺山修司とか坂本竜馬とか、
そういう既に亡くなった憧れの人物たちに限られていた。

が、実際にその早苗さんと会ってみて、
ああこのひとと俺が似てるというんなら光栄だ、と思った。
彼女は僕たちを駅まで迎えにきてくれたのだが、まず服装が素敵だった。
サンダルにジーンズに灰色のカーディガンと言うラフな恰好だったけど、
雰囲気とかサイズとか色合いとか全部絶妙で、かっこよかった。
僕はそう言う「適当だけどかっこいい」みたいなのがいちばん好きだ。
これは言うのは楽だが実際にやるのは非常に難しいことであり、
彼女がそれを体現しているだけで、僕はもう今日は来てよかったと思った。

彼女のオフィスはビルの最上階にあった。

狭いエレベーターを出て階段を上ると、空が垣間見えた。
そして左手にある屋上には、僕の憧れである自家菜園があった。
「ブロッコリーがある」僕は驚いて言った。
「トマトもあるよ」早苗さんは言い、譲治くんは「本当だ」と言った。
僕がまじまじと見ていると、食べてみる?と彼女は言った。
いただきますと言って、僕は赤いのを一つちぎって食べた。
それはとても凝縮された、こゆい味のトマトであった。

菜園のとなりにあるプレハブ小屋がオフィスだった。
明けてみると中は広くて、彼女の同僚の女性がこんにちわと言った。
机が四つ並べてあって、片隅が応接室になっている。
何だか秘密基地のようだなと僕は思い、ソファに腰を下ろした。

それから僕たちは、その同僚の女性=ライターの加茂さん、
そして早苗さんの友達のゆりさんという人と一緒に、五人でおやつを食べた。
ハーレクインという出版社で編集をしているゆりさんは、
淡路町では名物らしい「達磨」のたいやきを持ってきていた。
譲治くんもお菓子を持ってきていたし、早苗さんも色々用意してくれていた。
お茶も出してもらって、すぐにテーブルがいっぱいになった。

早苗さんはスピリチュアルな話が好きみたいだった。
譲治君から面白い話を聞こうとうずうずしている。
加茂さんもゆりさんもその手の話はオッケーのようだったので、
譲治くんは機嫌よく「ユピテルジョージ」で語り出した。
何人かもらった人もいると思うが、あの七福神財布もプレゼントしていたし
(それを持つだけで金運が十倍に上がる)
加茂さんの最近のトラブルについても、霊的なアドヴァイスをしていた。

感心しながら聞いてくれる人がいて、譲治くんは絶好調だ。
例の低音ボイスで、竜神だとかアマテラスだとか言っている。
しかし僕は何となく、そう言う譲治くんを見ると笑ってしまう所がある。
というのは譲治くんはなにか思いついたら多くの場合僕で「試し切り」をする。
つまり僕は譲治くんが話すだいたいの説は事前に知っているのであり、
多くの場合それを聞くのは数回目、不運なときは数十回目のときもある。
それに日頃僕らが二人でいるときは馬鹿なことばかり話しているのだから、
いざこうして「スピリチュアルカウンセラー、ユピテルジョージ」を見ると気恥ずかしい。
譲治くんの一人称が「私」になるのも笑えてしまうし、
それを誰かが真摯に聞いているのも何となく面映ゆい。
というわけで僕は相変わらず不真面目で、たまに茶々をいれたり、
一人で昔のことを思い出してうふうふ笑ったりしたりしていた。

しばらくして、話が僕の方に振られた。
どうやら早苗さんは、僕のブログを熱心に読んでくれたようだった。
しかもいっぱい褒めてくれて、「読みやすいのに品がある」と言ってくれた。
暫くブログを書いていなかったこともあって文章を褒められるのは久々で、
まして相手が本の仕事をしている人であるから、僕はほくほくした。
早苗さんは人を褒めるのがうまい。
自然でてらいがないし、人のやる気が出るつぼを知っている。
こういう人が中心にいたらみんな力が出るし、仕事場に来るのが楽しいだろう。
人の才能に光をあてるというのは一つの巨大な才能である。
実際その結果、僕は一ヶ月ぶりにこうして文章を書いているのだから。

しかもごちそうになったおやつはどれも非常に美味しかった。
たいやきは皮が薄いのにもちもちとして弾力があったし、
ヨーグルトの中のフルーツはことごとく新鮮で甘かった。
早苗さん自慢の胡麻大福はごまがぷちぷちしてかわいかった。
そして彼女たちは僕の言動の何かが面白かったらしく、
よくわからないタイミングでしばしば笑い声を上げていた。
だが女性が不可解なタイミングで笑うというのは今に始まったことではない。
それに僕はよく笑う女性たちのポジティブなエネルギーが好きなので、
その空間の中ですっかり落ち着いて、楽しい気持ちになっていた。

早苗さんたちが作っている雑誌や本もいくつか見せてもらった。
育児や環境からファッション誌まで様々なものがあったし、
そのうちのいくつかは、僕も知っているものだった。
非常にショッキングな内容のものもいくつかあって、
例えば小悪魔系の雑誌に載っていた下着(?)の広告、
そのモデルの驚くほど胸が大きい女の子も、彼女たちが見つけてきたのだそうだ。
彼女たちはそのモデルのことを「おっぱいちゃん」と呼んでいたが、
確かにその女の子の胸は、目を見張るほど大きなものだった。

全般的に彼女たちは、楽しんで仕事をしているように思えた。
仕事仲間と一緒に騒いでいるのはとても楽しそうだった。
それはどうも、僕が「仕事」と聞いて想像するイメージというより、
僕たちがふだん友達と一緒にいて楽しいときの情景に似ていた。
こうして好きな仲間と好きな仕事できたら素敵だろうな、と僕は想像した。
もちろん仕事だから大変な局面は必ずあるのだろうし、
いくら仲良しに見えても時によっては殺気立ったりもするのかも知れない。
だが、好きな仲間と好きな場所で好きな仕事をする、
それでめちゃくちゃ金持ちにはなれないにしても食べて行ける、
僕はそう言う人生のあり方はとても素晴らしいと思うし、憧れる。

最近就職一年目の友達の話を聞いていると「ああ、大変そうだなあ」
「企業というのは、こうも人間が我慢する仕組みなのだな」
そんなことばかり思って、ますます自分の会社へのイメージは悪化して行くのだが、
このようにポジティブに働いている大人を見ると、未来が希望的に思えて来る。
もちろん彼女たちが学生気分だとかそう言うことではなく、
なんとなく言葉の端々にプロの厳しさやこだわりは透けて見える。
でもその厳しさが暗い、悲観的な空気を呼び起こすのではなく、
あくまで彼女たちは笑顔だったし、一緒にいて明るい気持ちになれた。

今、世界的な恐慌で大企業がたくさん危機に瀕している。
こういうことを言うのは不謹慎だが、どんどんつぶれたらいいと思う。
人間が暗い顔をして働かなければならない文化は改善されるべきだ。
もちろん職を失う人たちの保障は必要だけれども、
でもこの恐慌で、これまでの労働文化が見直されればいいなと思う。
反論はあるだろうが僕はやはり仕事を面白くやれるのが最高だと思う、
仕事は苦しくて当然というのは昔のだれかが作ったルールであって、
嫌なやつとやりたくもない仕事をして非本質的な消耗に明け暮れる、
そんな常識はこの恐慌とともにどこかに洗い流されて行けばいいと思う。
そして、「こんなふうに仕事できたら素敵だな」と思わせるような職場が、
時間をどんなにかけてもいいから、少しずつ増えて行けばいいのにと思う。

僕は彼女たちを見ていて、そんなことも思った。

帰り際、早苗さんとそのお姉さんのかこさんは、
かりんとうやら肉まんやら、僕に大量のお土産を持たせてくれた。
僕は言葉やら思いも含めて今日はもらいっぱなしだったので恐縮だったのだが、
有り難く受け取り、実家に帰った息子のように両手に袋を下げて帰った。

今はとてもポジティブな気持ちでいる。
素晴らしい出会いをくれた譲治君には深く感謝だ。
そしていつか、ぜひまたあの屋上にお邪魔したいなと思う。

今度は僕も、何かをプレゼントできるようにして。




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母と祖母と早稲田

2008-10-29 09:37:07 | Weblog
インドの旅から帰ってきた大悟が、
親孝行は子の最大の喜びだ と言った。

僕は「最大の喜び」は派手だなあと思ったけど
でも確かに、親孝行するのは子にとって
ある種の喜びをもたらすと思う。

先週末、いとこの結婚式があったので
僕の両親と、父方の祖母が東京にやってきた。
僕と弟は麹町まで行って、寿司をごちそうしてもらった。
とても美味しかったし、楽しかったのだけど
しかし食べ終わってもまだ七時過ぎだったので、
寝るまでホテルの味気ない部屋で過ごさせるのも心苦しく
僕は、母と祖母を早稲田に案内することにした。
父は「巨人と中日の決戦を見る」と言って部屋に引き上げた。
僕たち四人は、「お父さんは相変わらずやな」と笑い
地下鉄に乗って、江戸川橋に向かった。

神田川沿いの石畳を通って、椿山荘に連れて行った。
椿山荘は昔、山県有朋の私邸だった庭園で
今は「フォーシーズンズ」という巨大なホテルがそこを買い取り
夜はライトアップして、誰でも入れるようにしてある。
甘泉園、大隈庭園とならんで、僕の好きな庭園の一つだ。

こういう分かりやすく風光明媚な所は
母や祖母にはとても効果があるようだった。
「ええなあ」
「これやったら京都なんかいかんでもいいなあ」
「こんな所がちかくにあってええやんか」
と、二人はとても上機嫌だった。
「トイレももの凄くきれいやわ」と母は言い、
「あんたらも行きなさい」と、弟をトイレに押し込んだ。

祖母も、盛んに関心の声を上げながらゆっくり歩いていた。
彼女は二年前に祖父を亡くして以来、
すこし頭がぼけてしまっているのだけど
それは単に、記憶のシステムが少し混乱しているというだけで
ただ普通に話をするだけなら、何の問題もない。
僕は昔から、絵描きで本をたくさん読む、
この聡明なおばあちゃんと話すのが好きだった。
記憶のシステムは、同じ場所にずっと居続けるとループし
結果的に繰り返しが多くなってしまうようなのだが
この日のように、新しい環境にいて脳が刺激されると
何かが活性化されて、同じ話を繰り返したりはしなくなる。
僕は祖母とぱしぱし話が出来るのがとても嬉しかった。
翌日には全て忘れてしまっているかも知れないけど、
それはそれで僕の方は記憶しているから、別に構わない。

そのあと、近所だったし祖母が見たがったので、
僕が住む高田荘に三人を連れて行った。
ちょうど二階にも三階にも人がいなかったので
母は思う存分、高田荘を探索したようだった。
「前来たときは遠慮してよく見れなかったからな」
そう言って、三階まで上がり込んで感心していた。
また、僕が母から譲り受けた大きな鍋を見て、
「綺麗に使ってくれてるなあ」と言われたのも嬉しかった。

そのあと、大隈講堂に歩いていき、
最後はカフェゴトーに行って、コーヒーを飲んだ。
「あんた、ええとこに住んでるなあ」
母も祖母も、口をそろえてそう言った。
僕は非常に鼻が高かった。
自分が好きなものを褒められることは、
自分を褒められるのと同じくらい嬉しいことだ。
それに僕は常々、両親や祖父母を、早稲田に案内したいと思っていた。
親元を離れて、今はこういう所で元気よくやってるぜと
街にも馴染んで、友達も増えたぜということを
それとなく示したかったのかも知れない。
「英佑は案内の手際がいい」
とも言われ、これは最近もらった褒め言葉のうちでも
特にうれしいものの一つだった。

このブログを読んでいる人のなかで、
親元を離れて一人暮らししてる人も多いと思うけど
機会があったら、親や祖父母を、
自分の町に案内してあげたらいいと思います。
それは僕らの想像以上にとても喜ばれることだし、
彼ら彼女らの喜んでいる顔を見ると、
僕たち自身、不思議に充実した気持ちになれるし
孝行息子と褒められるのはちょっと面映いが、
とてもうれしい言葉だと思う。



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物語の地下世界

2008-10-24 15:07:08 | Weblog
このところ、自分の中の深い層が
変化しつつあるのを感じる。

先日引用した河合隼雄さんの文章のように
僕の中に、無意識の領域から何かが流れ込んできている。
というよりは僕が外界(現実、現在)から遠く離れて、
静寂のなか深く自分を掘り下げていったとき
とつぜん地面の底が抜けて
これまで行ったことのない層に踊り出た。

ぴょこんと。

だから僕は今、表面上は人と話したりしていても
自分のある部分はその、深い層に在って静寂の中にいる。
暗闇の中に座って、目を閉じて耳を澄ましている。

暗い井戸の底にいるかのように。

物語・・・に対する没入の仕方が、これまでと違う。
僕は元々、物語にのめり込みやすい人間だった。
しかし今では、そののめり込み方のケタが前とは違う。
これまでは、数十分読まないとその物語世界に入れなかったのに
今では、二、三行読むだけでさっとその世界に入れる。
書物の中の世界に、体が丸ごと入っていく。
物語だけではない。
論説や哲学書なども、著者の存在をとても近く感じる。
その人の見たものが僕の脳の中に再び描かれる。
その人を包んでいた空気の中で僕も同じにおいを嗅ぐ。

「他」に同伴する力が違う段階に入った。

僕の目は、今や以前とは違う光りから世界を見る。
僕の耳は、これまで聞こえなかった音を聴く。
僕の肌は、これまで気づかなかったものの存在に震える。

僕の無意識が、他の無意識と直接つながるような。
言葉になる以前の、物語の根源みたいな場所に直接。
意識による自他の弁別は薄らぎ、
壁が取り払われたあいまいな世界の中で、
言葉と、言葉が引き連れてくるものが、
ただとうとうと、流れ込んでくる。

僕は暫く、この世界に身を置いてみようと思う。




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静寂

2008-10-23 11:20:36 | Weblog
「言葉を聴くには静寂がいる。
 星を見るには闇がいる。」

(ル・グウィン『ゲド戦記』)

「時が熟すまで待ちなさい。」

(オイゲン・ヘリゲル『弓と禅』)

最近の僕は、こういう言葉を支えに生きている。

文章を書けなくなってから、三ヶ月が経とうとしている。
待つ先に何があるのか、いやそもそも本当に何かがあるのか?
じっとしている事は、動く事よりもはるかに難しい事だと知った。

ノーベル賞を取った人たちは凄いと思う。
彼らもまた、見つかるか分からない、見つかる保証のないものを
数十年にわたって、探求し続けたのだから。
本人も凄いし、周りで彼らを支えた人も凄い。
見つかるのかどうか、毎日不安だったのだろうか?
人生を棒に振る可能性に怯えなかったのか?
それとも毎日実験が楽しくて、
そんな不安に駆られる事はなかったのだろうか。

僕は毎日、強い不安に駆られる。
毎日無数の発見と新しい思考があるけれども、
文章そのものは一歩も進んでいかない。
なすことなく過ぎていく日々は僕を不安にさせる。
起きて、食べて、読んで、寝るぼんやりとした毎日。
こんなので、自分は精一杯生きていると言えるのだろうか?
この三ヶ月はもしかしたら「失われた」のではないか?
ただ時が無為に過ぎ去っていっただけなのではないか?

僕は自分が、無為に時を過ごすことに我慢がならない。
三ヶ月あれば、語学を一個マスターすることも出来るし
一ヶ月働いて二ヶ月旅に出ることもできるし
インタビューを五十人とることだって出来る。
三ヶ月という時間は本当に巨大なのだ。
でも僕は、その文章のために、
その「こっちなんじゃないか」というあやふやな直観のために、
来るかどうかも分からない何かを待つことを選んだ。
限られた時間の中、他の全ての可能性を捨てて。

あとどれくらいしたら「時が熟す」のか。
僕には見当もつかない。
なす術がなくてむやみに寝てしまう。
根底には常に不安と迷いがある。

早くこんな状態とはおさらばして、
自分は全開でやってるんだという実感がほしい。

静寂はほんとうに怖い。




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ストリートバスケの海老原くん

2008-10-21 10:53:06 | Weblog
僕の新しい友人のひとり、海老原くんは
ストリートバスケの、プロ選手だ。
きのうラーメンを食べながら色々きいたので、
今日はストリートバスケについて書こうと思う。

それはまず、「競技バスケ」とは違うものらしい。
競技バスケは、アメリカのNBAに代表される、
スポーツとして勝ち負けを競うバスケの形態。
一方の「ストリートバスケ」、これも勿論スポーツで、
試合ではシビアに勝ち負けを競うのだけど
競技バスケよりもっと「見せる」側面が強い。
つまり、ダンクをする前に足の中をひょいっと通したり
一発で行けるのに敢えてパスを三回まわしたり
そういう、半分パフォーマンスのようなジャンルなのだ。

彼の話には、驚くことがたくさんあった。
なんと、場所はクラブやライブハウス(!)でやるのだそうだ。
照明は落として、コートだけに当たるようにするし
音楽も試合中ずっとかけて、MCは喋りっぱなしだと言う。

「それはもう、半分舞台みたいなもんだね」僕が言うと、
「そうなんだよ、まさに」と海老原くんは言った。

僕も、高田馬場の巨大モニターかなにかで
音楽に合わせてボールをくるくる回したりするやつを見た事がある。
あれもストリートバスケのジャンルの一つらしい。
そのジャンルの名前を僕は忘れてしまったのだけど、
彼の所属しているチームには、それの日本一もいると言っていた。

海老原くん自身がプロリーグの第一線で日々勝負していて
アメリカ代表のチームと、毎年一回試合をしていると言う。
それで授業にもちゃんと出ているのだから大したやつだ。
更に驚いた事には、彼はただプレイヤーとして活躍しているだけでなく
そもそも、そのプロリーグ「somecity」を発足させたのが
彼や、彼の仲間たちなのだと言う。
自分たちのやっていることを伝えて、スポンサーを獲得して。
ファンも増えて五百人のクラブが毎回いっぱいになると言うし
リーグへの協力者も増えて、立派なHPもあるという。

「自分たちが長くやっていくためにも、
 食っていける仕組みを作りたかった」

その話を聞いて、僕は身近なダンサーの顔を思い浮かべた。
僕の周りにはダンサーがけっこうたくさんいて、
彼らもまた、素晴らしい才能を持っているのに食うのが大変で
しかも身体的限界というのが三十代くらいにはやって来る。
多くの人は指導者になるくらいしか進路がなくて、
折角やってきたダンスから、方向転換しなくちゃならない人も多い。
その苦しさを僕はよく聞いていたし、共感していたから、
海老原くんが「自分たちでリーグを立ち上げた」という話を聞いて、
ああそうやって自分たちで未来を作っていくことも出来るんだな、
こいつほんとにバスケが好きなんだな、と感動した。

そのあと僕たちは大隈講堂前に移動して、
午後の日差しの中で、長いあいだ話をした。
彼は大巨人で190センチ以上あるし
筋肉とかももりもりしててかっこいいなあと思う。
でも、悩んだり考えたりしてることの中身はだいたい似ていて
恋人の話とか、将来どう食っていくのかとか、
面白い人とどうやって出会うかとか、とても気楽に話せた。

彼もまた僕と話すのが面白かったらしくて、
これからぜひ深く関わりたい、と言ってくれた。
彼が頭をぶつけないかどうかが不安ではあるが、
近いうちに高田荘にも招待しようと思う。
一方僕はとにかく生でそのストリートバスケを見てみたいので、
十一月になったら、一度出かけてみようと思っている。

もし興味ある人いれば、いっしょに行きましょう。
HPは、以下に示しておきます。

somecity

久々に、まったく見た事のない世界を見れる。
とても楽しみだ!!




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河合隼雄『影の現象学』

2008-10-20 19:53:41 | Weblog
僕は素晴らしい本に出会うと、その文章を書き写す。
線を引くだけでは飽き足らず、一字一句書き写す。
それをいつもはスケッチブックとかノートにやるのだけど
今回は、ブログにてやろうと思います。

以下、河合隼雄『影の現象学』
第五章三節「影と創造性」より


 ある個人の心の中に生じる創造過程を簡単に記述してみると次のようになるだろう。まず、その人は新しい考えや、知識の新しい組み合わせを試みるために、意識的努力を傾けるであろう。しかし、そのような試みがどうしても無駄だと分かった時、その人の意識的な集中力は衰えはじめ、むしろ外見的にはぼんやりとした状態になってくる。この時、今まで自我によって使用されていた心的エネルギーが退行を生じ、それは無意識の方に流れてゆく。このようなときは、その人は一種の混沌の状態を体験するわけであり、全く馬鹿げた考えや、幼稚な思いつきや空想が心の中をよぎる。そこで、その人はその馬鹿げて見える考えを簡単に否定せず、自由に動くに任せていると、そのあるものはだんだんと力を持ってきて、自我の存在を脅かすほどにもなって来る。

 ここに意識と無意識の対立が生じるが、それをそのままで長く耐えることが大切である。この対立関係を中心としながらも、無意識の力は相変わらず働き、様相を変化せしめたり、また新しい内容を出現せしめたりする。そのうちに、これらの対立を超える調和が発見され、対立する両者の片方が否定されることによる決定ではなく、両者を活かす形での統合の道が開けて来る。ここに創造の秘密がある。このとき、今まで無意識内に逆流していたエネルギーは反転して自我の方に流れはじめ、ここに再び力を得た自我は、新しい統合の道を現実との関わりの中で堅めてゆくことになる。

(中略)

 自己実現の要請は必然的に影の介入をもたらし、それは社会的な一般通念や規範と反するという意味で、悪と言われるものに近接する。その時に、社会的通念に従って片方を抑圧しきるのでもなく、また、影の力を一方的に噴出せしめるのでもない。あくまでも両者を否定することなく、そこに調和のカイロスが至るのを「待つ」のである。そして、その時に開かれる「第三の道」は、確かにその人自身のものとして、その人の真の意味の個性を際立たせるのである。それはあくまでも個性的なものであるゆえに、誰しも前もって予測したり、方向付けをしたりすることが出来ないほどのものである。



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