世に棲む日日 (4)文芸春秋このアイテムの詳細を見る |
【一口紹介】
幕府の長州征伐の重圧で佐幕化した長州藩で、わずか八十人で兵を挙げた高杉晋作のクーデターは成功するが、時運は移り変っていた
動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し……。わずか八十八人で兵を挙げた高杉晋作のクーデターは、きわどく成功する。幕府は、慶応二年(1866)、この長州藩を圧し潰そうと、天下の兵を糾合し、藩の四境から進攻するが、時運はすでに移り変わっていた。戦いに勝って維新の曙光を認めながら、しかし高杉はもはや死の床にあった……
【読んだ理由】
友人が現在読んでいると聞いて。「功名が辻」に続いての司馬遼太郎作品。
【印象に残った一行】
『晋作の生涯は二十八年でおわる。師の松陰のそれよりも一年みじかい。
が、晋作は松陰の死後、八年ながく生きた。この八年の差が、二人の歴史の中における役割をべつべつなものにした。この八年のあいだ、時勢ははげしく転々し、幕府の勢威は大いにおとろえた。八年前、幕府の勢威は長州藩を戦慄させるに十分の力をもっていたことをおもうべきであろう。なにしろ松陰というほとんど無名にちかい書生を、一命のもとに萩からひきずりだして江戸伝馬町の獄舎に投じ、さらには虫でも潰すようにして刑殺するほどであったが、八年後の情勢のなかにあっては、その書生の門人である高杉晋作のために幕軍の牙営である小倉城が攻めおとされ、海事副総督小笠原壱岐守長行が城を脱出して海上に逃げ去るという事態になった。晋作は、松陰より八年ながく生きることによって、そのことをなしとげた。』
【コメント】
『おもしろき こともなき世を おもしろく』辞世の歌を残して、高杉晋作は労咳(肺結核)により、明治の世を見ずして二十七年と八ヶ月の『動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し。衆目駭然、あえて正視するなし』の短い生涯を終える。
丁度今の私の半分の人生だ。凡人にして惰眠を貪るわが身を顧みれば赤面の思いがする。