世に棲む日日 (1)文芸春秋このアイテムの詳細を見る |
著者 司馬遼太郎氏
【一口紹介】
幕末、長州藩は突如、倒幕へと暴走した。その原点に立つ吉田松陰と弟子高杉晋作を中心に、変革期の人物群を鮮やかに描き出す長篇
嘉永六年(1853)、ペリーの率いる黒船が浦賀沖に姿を現して以来、攘夷か開国か、勤王か佐幕か、をめぐって、国内には、激しい政治闘争の嵐が吹き荒れる。この時期骨肉の抗争をへて、倒幕への主動力となった長州藩には、その思想的原点に立つ吉田松陰と後継者たる高杉晋作があった。
【読んだ理由】
友人が現在読んでいると聞いて。「功名が辻」に続いての司馬遼太郎作品。
【印象に残った一行】
『古に仿(なら)えば今に通ぜず 雅を択(えら)べば俗に諧(かな)わず』
『突如、二隻の黒船の船体から白い煙があがった。とみるまに、遠雷のようなとどろきが湾内にひびきわたり、沿岸の山々にこだました。空砲の射撃をはじめたのである。
「ときどきああいうことをする」
と、(佐久間)象山はいった。演習ではなく威嚇であると象山は解釈をくだしていた。
それを見、聞きながら松陰は、ひざがしらが慄え、懸命に歯をくいしばってその慄えに堪えた。臆病によるふるえでないことは、自分でもわかっている。武者ぶるいであろうと自分でひそかに診断したが、それだけでは説明が十分でないとかれなりに思った。書物の上だけで知っていた西洋の巨大な文明に、松陰のもっている小さな文明が、あの砲声とともに砕かれたようにおもったのである。砕けまいとして必死に堪えた。戦慄は、その堪える努力の下からたえまなくおこってくる。』
【コメント】
幕末の動乱期を心をたかく、清らかに生きた情熱と思想の人吉田松陰の生き様が鮮烈に蘇ってくる。