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BABYMETAL探究(BABYMETALの「神話的構造」考②)

2016-05-06 22:55:54 | babymetal
”BABYMETALの物語”の「神話的構造」についての探究。
そのつづきであるが、念のためにひと言前置きしておきたい。

前回・今回(以降)ここに書くような「神話的構造」を、BABYMETAL(KOBAMETAL)が意図・計算・計画して「物語」として紡いできた、などということを述べているつもりは全くない。

意図的なものか偶然のなりゆきの積み重ねなのかそんなことは別にして、”BABYMETALの物語”には、古今東西において人間の魂をゆさぶってきた数々の「神話」に見られるのと同質の構造が見られる(僕たちはこれまでも今もたぶんこれからも、それに((も))魂を揺さぶられつづけているのだ)ということ。
それを改めて剔出してみよう、という(だけの)試みなのである。

『神話の力』には、こんな対話がある。

モイヤーズ ジョン・レノンが死んだときの大騒ぎをどう思われましたか。彼は英雄だったんでしょうか。
キャンベル それはもう、まさしく英雄でしたよ。
モイヤーズ そのことを神話学的な立場から説明していただきたいのですが。
キャンベル 神話的な意味では、ジョン・レノンは改革者でした。ビートルズは、すでにその下地が整っていたところからひとつの芸術形式を導き出した。時代とぴったり息が合っていたんですね。もう三十年早かったら、彼らの音楽は線香花火のように終わってしまったでしょう。民衆の英雄は、時代の欲求に対して敏感です。ビートルズはポピュラー音楽に新しい内面的な深みをもたらした。そしてそこから、瞑想や東洋音楽の大流行と言えそうなものが起こった。東洋音楽はそれ以前からこの国にも入っていたんです――単に珍しいものとして。ところが、ビートルズ以後のいま、わが国の若者は東洋音楽の本質を理解しているようです。私たちはますます多くの東洋音楽を聴いています。それに、瞑想を助けるという本来の役目で用いられることも多くなっています。それはビートルズが始めたことです。


言うまでもなく、ジョン・レノン自身が、ビートルズ自身が、神話的な意味での「英雄」になろうとした、などということがあるはずがない。しかし、結果として、ジョン・レノンは「英雄」であった(とキャンベルは語る。僕はたいへん納得できる見解だと思う)。

それと同質の「構造」がBABYMETALにもあり、それが、僕たちをこれほど中毒にする秘密の核の大きなひとつになっている、それを確認しよう、ということなのだ。

上に出てきた「英雄」とは何なのか?
前回の補遺も兼ねて、『神話の力』からさらにいくつか抜粋する(前回の『千の顔をもつ英雄』引用a・bに続いてcから記号を付す)。

c 伝説的な英雄はたいていなにかを創造したひとです――新しい時代の創始者、新しい宗教の教祖、新しい都市の建設者、新しい生活スタイルの発明者など。なにか新しいものの基盤を築くには、古い世界を出て、新しいものの萌芽を秘めた種子とも言うべき思想を探しに行かねばなりません

d 
モイヤーズ 近ごろは、英雄ではなくて、有名人が崇拝されているようですね。
キャンベル そう。非常に残念なことです。以前、ブルックリンのあるハイスクールで、「将来なにになりたいか」というアンケートが配られたそうです。そうしたら、生徒の三分の二が「有名人になりたい」と答えた。なにかを成し遂げるためには自分を捧げなくてはならないなんて考えは、彼らにはないんですね。
モイヤーズ ただ有名になればいい。
キャンベル ただ有名になって、もてはやされればいい――名前と評判ですか。情けないですね。
モイヤーズ しかし、社会には英雄が必要なのですか。
キャンベル 私は必要だと思います。
モイヤーズ どういうわけで?
キャンベル この分離分散の傾向に歯止めをかけて、みんなをひとつにまとめ、全体の意志が生まれるようにするためには、社会は凝縮したイメージを持たねばならないからです。


e 求婚者たちを拒絶する、境界線を越える、そこから冒険が始まるということです。守られていない、新しい領域へ入って行くのです。限られた場所、固定された生活習慣、決められたルールなどを後にしなければ、創造性を発揮することはできません

f 彼らは自分を守ってくれるはずの社会から抜け出して、オリジナルな経験という暗い森に、炎の世界に入ったのですオリジナルな経験というものはかつて説明されたことのないものだから、本人が独力で自分の生活を組み立てていくしかない。それに耐えられるか否か、道は二つにひとつしかない。すでに知られている道から離れると、それほど進まないうちにもう非常に困難な状況にぶつかる。そういう試練に直面する勇気、そしてほかの人々にも経験してもらうために説明のついている経験分野に新しい可能性のかずかずを導入する勇気。それが英雄の行動です。

どうだろうか?
(例によって)これって、まさにBABYMETALのことだ!
(そう思いませんか?)

例えば、fの末尾の「説明のついている経験分野に新しい可能性のかずかずを導入する勇気」など、まさにアルバム『METAL RESISTANCE』(の凄み)を指摘しているもの、としても読める。

「説明のついている経験分野=メタル」に新しい可能性のかずかずを導入する、
だけではなく、
「説明のついている経験分野=(これまでの)BABYMETAL」に新しい可能性のかずかず(例えば、バイキングメタル、プログレメタル、ブラックメタル((デスメタル))等々)を導入する、その「勇気」、だ。
実際、例えば、国内のアマゾンのレビューにも、「1stのBABYMETALらしさが失われた」と失望・不満を述べるコメントが数多く見られるが、”慣れ親しんだBABYMETALらしさ”の再生産ではない、”新しい可能性のかずかず”を世に送り出すこと。
BABYMETALの「ニュー・アルバム」とは、そうした「英雄」としての「冒険」のひとつなのだ。

今やすっかり堂々としたリード・トラック、代表曲になった「KARATE」だが、この楽曲とて、昨年12月の横アリでの初披露時の印象は、「なんじゃこりゃ!」感・キワモノ感満載の曲だったはずだ。
しかし、そんな”新しい可能性”を濃厚にもった楽曲だからこそ、この曲をニューアルバムのリード・トラックとして送り込んだ(まあ、どの曲もそれなりにあるいは大いに「なんじゃこりゃ!」感・キワモノ感をもっているのがBABYMETALなのだが・・・)。
この「勇気」、「冒険」。これが、BABYMETALなのだ。
いや、もちろん、「KARATE」というこの楽曲(の演奏)が世界に「刺さる」「響く」はずだ、という見込み・判断があったからこその選定なのだろうが、”慣れ親しんだBABYMETALらしさ”の「安全・安定・馴染み」、ではなく、常に「冒険・刷新・予想の斜め上」の手を繰り出すBABYMETALのありようは、ロック魂・メタル魂を体現する、潔さ・カッコよさがあり、さらには、神話論的な意味の「英雄」の行動として、僕たちを揺さぶっている、のである。

で、ここからが今回の本論なのだが、BABYMETALが海外に向かったこと、これこそが、まさにBABYMETALの「英雄」性の典型的な表象であることを改めて痛感している。

上に引いた、「神話」における「英雄」を語る、キャンベルの言葉cefに共通する要素。
それは、英雄の「旅」の意味について、だ。

前回引いた、この記述も同趣旨のものだった。

b.つまり、英雄の一番の仕事とは、二次的な意味しか持たない表舞台の世界から身を引いて困難を生む精神(プシケ)の領域(実際に困難が巣くう領域)へもぐりこんで、そこで何が問題かをはっきりさせて自分自身の困難を解消し、C・G・ユングが「元型イメージ」と呼んだものを歪曲せずに直接経験して、それと同化するまで、突き進むことである。

結果として、BABYMETALは、英国そして米国で「ウケ」て、その「実績」を基にした衝撃もあり、日本のファンも増やしつつある(ような勢いを感じるのだが、実態はどうなのか・・・?)。

しかし、2014年の3月の時点でそんなことは誰も予測できるはずもない。

そうした時点での、武道館2Daysによって「メタルレジスタンス第1章」を終え、「第2章」として海外へと向かう、という活動の方向性の決断は、まさにd「表舞台の世界から身を引いて」というべきものだろう。

「海外で大人気」が喧伝されるようになった今でも、CDの売り上げや、ライヴに押しかけるファンの数は、何と言っても日本が圧倒的なのであって(5万5千人の東京ドーム公演を前にしての落選祭って、どういうことだ?!)、マーケティング的な費用対効果で言えば、2014年に国内活動をほぼ休止し6月からの海外ツアーをメインに活動する、なんて判断は、「悪手」以外の何物でもなかったはずだ

しかも、その時点で(2014年4月から)は、SU-METALが高校2年生、YUIMETAL、MOAMETALは中学3年生という義務教育期間中であり、なおかつ、菊地最愛・水野由結としては「さくら学院」の最高学年、主力メンバー、菊地最愛は生徒会長でもあったのだから、海外各地を巡りながら、とりわけガチのメタル・フェスに参加するなどというのは、半ば狂気の所行だろうし、メンバーにとってもたいへん過酷な「試練」だったに違いない。
(例えば、今でも普通に読むことが可能だが(アミューズ、GJ!)2014年7月30日付の、さくら学院「学院日誌」には、BABYMETALのガガのサポートアクトの活動のためにTIFに参加できない菊地最愛の赤裸々な悲しみ・苦悩が記されている。水野由結も、当然同様の悲しみ・苦悩を感じていたはずだ)

それでも、(ここで「さくら学院」が「二次的な意味しか持たない表舞台」だなどと述べるのは、「さくら学院」の父兄どころかYUI・MOAからも叱られてしまいそうなとんでもない蛮行だが)”いわゆるアイドル”的な、例えば地上波テレビやアイドル・フェスへの出演が(結果的に)「二次的な意味しか持たない表舞台」だった、というのは、今のBABYMETALの姿を見ると、認めざるを得ない事実であろう

あの時、c「限られた場所、固定された生活習慣、決められたルールなどを」大切にするという判断(もちろんこれも十分ありえるし、これはこれで「正しい」といえるはずの判断だ)をしていたら、今の僕たち「THE ONE」の、国内だけでなく世界に広がる、こんな至福というべきとてつもなく幸せな日々はもたらされなかったのだ。
(僕は、2014年の9月からの「新参者」なので、おそらくBABYMETALに出会うことすらなかっただろう・・・今となっては想像もできないが・・・)。

これが、BABYMETALが「英雄」としての「旅」の結果として成し遂げた(成し遂げつつある)こと、なのだ。

そして、最近の3人のインタビューでの発言にはつくづく瞠目させられっぱなしである。

自分たちBABYMETALの「意義」を語る(ようになった)、SU-METAL、YUIMETAL、MOAMETALの言葉は(たとえその何割かが「台本」に即したものであったとしても)、fの「困難を生む精神(プシケ)の領域(実際に困難が巣くう領域)へもぐりこんで」「自分自身の困難を解消し」「(原型的イメージを)直接経験して」「それと同化するまで、突き進む」という、「英雄」が経験すべきことを経験してきた、その鮮明な表白になっている、と僕には感じられるのだ。

例えば、前回引用した、MOAMETALのMTVでの、
メタルを知らない人たちにも、BABYMETALなら、メタルのよさを伝えられる、って思うから、この音楽を通じて世界をひとつにしたいし、この音楽を通じて、みんなで成長したいな、って、思います。
など、まさにそれをありありと感じさせるセリフだ。
(当たり前の話だが、2014年度のツアー中には、まだMOAMETALはこんなことは語れるはずがなかった。まだ「旅」をはじめたばかり、「英雄」になる途上だったのだから。)

さらに、fの「自分を守ってくれるはずの社会から抜け出して、オリジナルな経験という暗い森に、炎の世界に入ったのです。」というキャンベルの見解も、BABYMETALのステージを考える上でも、極めて示唆的である。

暗い森。
炎の世界。


BABYMETALのステージのライティングに、不満を漏らす方もよく見かけられる。
まあ、明るい方が、たしかに3人の動きも表情もはっきり見えるから、ステージのライティングを例えば「商品写真を撮影するための照明」のようなものだと考えるならば、BABYMETALのライヴ現場での数々の照明は、論外、なのかもしれない。
しかし、まさに彼女たちがfのような意味での神話的「英雄」であるとすれば(実際にそうなのだが)、その象徴的な表現が、「暗い森」「炎の世界」を現出させるようなライティングや舞台演出だ(意図的な演出、というのではなく、結果的にそうなっている)とも言えるのではないか。

あるいは、BABYMETALのシンボルカラーとしての黒&赤がステージのライティング等の基調になっている、ということかもしれないが、そうだとしても、やはり「暗い森」「炎の世界」のイメージがステージ上に現出することで、”BABYMETALという物語”の視覚的・象徴的な映像効果となり、僕たち観客が「神話」的な体験をしている、ということもあるのではないか。

先日のWOWOWのWEMBLEYライヴ、曲数は少なかったが、(言うまでもなく)素晴らしいものであった。
(「拡大版」の予告からは、あの「紅月」も、あの「META! メタ太郎」も、あの「CMIYC」も放映されるようで、もう楽しみで楽しみで仕方ない)
このステージのライティングや演出も、BABYMETALが「自分を守ってくれるはずの社会から抜け出して、オリジナルな経験という暗い森に、炎の世界に入った」ことを可視化するものであったように僕は感じる。
対照的に、『BABYMETAL革命』は、端的にいって、「炎」の赤味が足りなかった・「暗い森」の暗さが足りなかったのかな、なんて思っている(あ、関西でも「完全版」いつか観られるようで、よかった!)。
まあ、でも、「METROCK」という全くの別種の、天日の明るさに満ちた素晴らしいライヴ映像作品もあるのだから、このへんは僕の心理的なこじつけなのだろうが。

あ、ここまで書いて今気づいたが、前々回の「名言集①」で触れた、SU-METALの「偉人になりたい」という発言
あれ、あの時は、SU-METAL(中元すず香)の人柄の大きさ、というニュアンスでコメントを記したが、自身が神話的な意味で「英雄」である(あろうとし続ける)こと、それを言語化したものではないのか。

SU-METALの(神話論的な意味での)「英雄」としての自覚

そう理解するのが、おそらく正しいのだろう。

やや脱線したが、とにかく、BABYMETALは、1stアルバムをリリースし、武道館2daysを終え、海外へと「旅」に出た

KOBAMETAL曰く、
武道館まで行っちゃうと国内でやる事がだんだんなくなってくるんですよね。じゃあ外へ出て行くのがいいだろうと。
通常だったら武道館の次はアリーナツアー。その流れには乗らないほうがいいなと思って。中身にこだわってやってるのに届かないうちに消費されて終わっちゃう感じがしたので。
という、「らしい」こだわりのなせる判断、だったのだろうし、そうしたこだわりがビジネス的な判断として認められうる(もちろん、様々な角度からの厳しい経営判断の末に、ではあろうが)アミューズという会社だったから、という事情もあったのだろうが、ともかく、このことによって、BABYMETALは「英雄」になりうる資格を手に入れたのだ。

もちろん、その後の「試練」に立ち向かい、戦って勝つ、それを成し遂げることが必要だったのだが。

(それにしても、dの末尾って、まさに「THE ONE」というコンセプトそのものの謂ですよね・・・。ジョーゼフ・キャンベルに((も))BABYMETALを見せてあげたかったなあ・・・)

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1 コメント

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Unknown (MOCCHーMETAL)
2016-05-08 20:19:52
はじめまして。
いつも熱い(笑)記事拝見しております。
先日のNHKがイマイチだった記事を拝見しまして自分もだったんですが、今回ほぼ再放送だった完全版は印象が変わりすごく良かったです。
前回はMJ枠でユースケサンタマリアの喋りが邪魔したのかと思いました(笑)
関西地区はまだ放送されていないとのことですが、また、感想を聞きたいなと思います。

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