ケルベロスの基地

三本脚で立つ~思考の経路

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BABYMETAL探究(BABYMETALの「神話的構造」考④)

2016-05-22 21:56:22 | babymetal
またまたベビメタ・ロスの季節がやってきてしまった、のかな・・・。
(いったい、巨大天下一武道会の映像版リリースはいつなんだ!!)
・・・でも、(今のところ)YOUTUBE等で数多く視聴できる、最近の全米ツアーやWEMBLEY公演の様々なファンカムの映像、それを観ながら、時に涙を滲ませたりしつつ、何とか渇きを癒やす、そんな日々である。

とりわけ「Amore」と「GJ!」
この2曲は、まだ「公式」の映像としては視聴できないこともあり、とりわけ魅力的・感動的なファンカム体験である。いやほんと、何度観ても、鳥肌が立ち、涙が滲む。(「META!メタ太郎」の楽しさも言うまでもないが)。

これらのBABYMETALの「演」奏がファンカム越しにでもこれほどの感動をもたらすのはなぜだろう?
もちろん、BABYMETALの歌・楽器演奏・ダンスというステージ上でのパフォーマンスがとんでもなく質の高いものだ、ということがいちばんなのだが、そうしたライヴバンドとしての質の高さとは別の次元の魅力も、僕(たち)の魅了・興奮・鳥肌・感涙を誘う大きな鍵になっているのだと僕は考える。

BABYMETALのとんでもない中毒性

例えば、他のバンド・ミュージシャンのライヴ映像作品は、多くても数回通して観れば、あとは(お気に入りの曲や場面のみをたまに観ることはあっても)丸ごと観返すなんてことはほとんどないのではないか。
我が家のDVDの棚にも、例えば、RUSH、DREAM THEATER、ARCH ENEMY、IRON MAIDEN、RAINBOW、JUDAS PRIEST、MAGMA、MICHAEL SCHENKER、OPETH、DARK TRNQUILLITY、等々、それぞれ視聴した際には鳥肌を立てた素晴らしい映像作品が並んでいるが、3回以上通しで観た作品はない(「RUSH IN RIO」はひょっとしたら3回は通して観たかもしれないが・・・)。
昨年秋にリマスター・リイシュー盤が発売されたSCORPIONSの特典盤付きのディスク、喜び勇んで購入し音盤はウォークマンで聴いているものの、数枚の特典映像ディスクにはほとんど目を通してもいない(もちろん、ほとんどBABYMETALの所為、だ)。

それにひきかえ、(おそらく皆さんも同様だろうが)、BABYMETALの映像作品を、僕(たち)は、いったい何回、何十回、何百回、観返しているのだろうか?

2014年の9月のある夜、BABYMETALを知り・魅せられて、すぐに、正規リリース映像盤として発売されていた『LEGEND I・D・Z』を購入し、取り憑かれたように観、10月末には『LEGEND 1999&1997 APOCALYPSE』を発売日に購入。音質・画質の悪さには辟易しながらも、これも何度も何度も観た。

2015年1月には『LIVE AT BUDOKAN』、5月には『LIVE IN LONDON』が正規リリース。
この2枚は(当然)発売前日にフラゲし、自宅鑑賞用のブルーレイだけでなく、通勤の車中のパソコンでも観られるように初めからDVDも買ったから、自宅で、電車の中で、喫茶店で、ほんとうにもう数えきれないほど繰り返し観た。

さらに、THE ONE 限定版の『2014幕張』や『新春キツネ祭り』、WOWOWで放映されたサマソニやラウドパークでの「演」奏や『巨大天下一武道会』『横アリ THE FINAL CHAPTER OF TRILOGY』などなど、改めて考えると、実に数多くの映像を、どれもどれも繰り返し繰り返し観つづけている。
最近では、『黒ミサ&赤ミサ』『METROCK』『Road to WEMBLEY』等々、どれもこれも楽しく素晴らしく、堪能している。

これは、いったいどういうことなのだろうか?
なぜ、こんなにもBABYMETALのライヴ映像に僕(たち)は嵌まっているのか?

「ライヴの実力」においてBABYMETALが世界最高峰である、などとはさすがに熱狂的なファンである僕でも口にはできない(し、実際にさすがにそうは思わない)。
が、少なくともライヴの楽しさ・中毒性」においてBABYMETALは世界最高峰である、というのは、僕にとっては真実であるし、かなり多くの方にも賛同してもらえる見解であるはずだ。

その秘密は何なのか?

それは、BABYMETALが「対極的なものの衝突、その高次元での融合すなわち止揚(しよう)・アウフヘーベンをまさに体現しているからだ。

『神話の力』を再び引こう。

キャンベル 生命の神秘はあらゆる人間の観念を超えています。私たちが知っているあらゆるものは存在と非存在、多と一、真理と誤謬といった観念用語の範囲内にあります。私たちはいつも対立した諸観念のなかでものを考えるしかし、究極者である神はあらゆる対立観念を超越している。そうだとしか言えません。

モイヤーズ なぜ私たちは対立項のなかでものを考えるのでしょう。

キャンベル それ以外には考えようがないからです。

モイヤーズ それは、私たちの時間のなかでの真実の本性なのですね。

キャンベル それは真実に関する私たちの経験の本性なのです。

モイヤーズ 男と女、生と死、善と悪・・・・・・

キャンベル ・・・・・・私とあなた、これとあれ、真実と虚偽――あらゆるものにその反対物がある。しかし神話は、二元的世界のかなたに一元的な世界があり、二元性はその上で演じているシャドー・ゲームに過ぎないということを暗示しています。


ヘヴィメタルとJーPOP。
ヘヴィメタルとダンス。
ヘヴィメタルと日本語。
ヘヴィメタルとかわいい日本人の美少女3人組。

BABYMETALの魅力を、こうした相対立する要素の「ギャップ」とか「融合」とかいうふうに評することも多いのだが、もちろんそれは決して間違いでもないのだけれど、「ギャップ」や「融合」という言い方では、BABYMETALのとんでもない中毒性までもを言い当ててることはできない、と僕は感じる。

例えば、<ヘヴィメタルとJーPOP>に関しては、Amore~蒼月を考えるとわかりやすいはずだ。
(何度でも言うのだが)僕にとってこの曲は、今年の3月29日に出会った瞬間から、鳥肌&感涙の神曲なのだが(同じ感想をお持ちの方も大勢いらっしゃるはずだ)、この曲の魅力は、ヘヴィメタルとJーPOPの「ギャップ」にあるのでも、単にヘヴィメタルとJーPOPの「融合」にあるのでもなく、J-POPとしてはあまりにもメロ・スピ過ぎ(ドラムなどは「国内最速」と断言してもよいはずだ)、ヘヴィメタルとしてはあまりにもJ-POP過ぎる(コード進行・歌詞など。そのことに嫌悪を抱きこの曲を唾棄する感想もまた散見される)、過剰な両極が、SU-METALの歌声によって、<ヘヴィメタルとJーPOP>という(対極的)二元的世界のかなたにある一元的な世界として顕現している、その神話的な高みにある、のだ。これが「止揚」だ。
いわば、BABYMETALだからこそ開示できる桃源郷、そんな崇高な一曲だと僕は感じている。
(こんな理屈抜きに、聴くたびにただただ涙が滲んでくる神曲なのだが、あえて理屈を剔出するとこういう言い方になる)。

<ヘヴィメタルとダンス>についても、このブログで当初から言い続けていることだが、単に、ヘヴィメタルの楽曲のバックの演奏に、三人が合わせてダンスするという「融合」を、BABYMETALは見せているのではない。
ヘヴィメタルをダンスで「演」奏する、という、いまだかつて誰もやったことのない次元の高み、それが、BABYMETALが”メタル・ダンス・ユニット”だということの内実だ。
例えば「GJ!」。
ファンカム越しにも伝わってくるこの楽曲の”超絶的にカワイイグルーヴ感”は、他のどんなバンドにもない、唯一無二の至高のものだ。YUI・MOAのダンスによってヘヴィメタルがこんなにも溌剌としたカワイイエネルギーを発散するものでありえ、それが激しく重いヘヴィメタルだからこそYUI・MOAのダンスが国籍や言語の壁や年齢性別を超えた多くの人を笑顔にする力をもつ。これが<ヘヴィメタルとダンス>の「止揚」だ。

それにしても、<ヘヴィメタルとJーPOP>の「止揚」にしても、<ヘヴィメタルとダンス>の「止揚」にしても、他の誰も成し遂げていない(そもそも考えもしない)ことを一挙に成し遂げたのだが、さらに、<ヘヴィメタルと日本語>の「止揚」<ヘヴィメタルとかわいい日本人の美少女3人組>の「止揚」をもBABYMETALは「一挙に」おこなった
何という豪華さ!

しかし、それが「一挙に」だったからこそ「止揚」しえたのだ、というこの重量感は、まさに「神話的」と呼ぶべきものだ。
そんな「一挙に」に耐えた3人は、単なる美少女ではなく、やはりとんでもない天才あるいはモンスターなのだ。

ステージ上では、
<神バンドと3姫>の「止揚」が行われている。
これも、「ギャップ」とか単なる「融合」ではない。
神バンドだからこそ3姫の歌・舞踊の魅力が超絶的なものとしてひきだされ、フロントがSU-・YUI・MOAだからこそ神バンドの演奏が僕たちにとって超絶的にチャーミングなものになっているのだ。

それにしても、神バンドの演奏と「止揚」し合える3人の少女(SU-METALはもう少女と呼ぶべきではないだろうが、ふさわしい呼称が浮かばないので、とりあえずこう呼んでおく)の「実力」って、改めて考えてみると、背筋がぞっとする。

何やかんや書いてきたが、結局、SU-METAL、YUIMETAL、MOAMETAL、この3人の凄さ、それが僕(たち)をこれほどまで中毒にさせ、来る日も来る日も、繰り返し繰り返し映像を観る羽目にしているのだ。
と、何のひねりもない結論だが、しかし、このことが「神話的高み」を持つものでもあるのだ、という点は、BABYMETALの比類のない魅力を考える上で心にとめておいてもよいことだと思う。

3人の凄さ。

もちろんそれは、ヘヴィメタルの「演」奏としての舞踊、それを高い次元で可能にする身体能力・リズム感であり、何よりもSU-METALの神々しく・力強く・魂のこもった、そしてYUI・MOAのチャーミングな、歌声だ。

しかし、3人が、これほどチャーミングな容姿・性格でなかったら、そのヘヴィメタルとしてのパフォーマンスがこれほどまでに”殺人的な魅力”を発揮することはなかったはずだ。

詮無い仮定だが、3人の歌やダンスは全くいま同様の実力で、でも、ルックスが今よりも少し落ちる3人組であったとしたら、これほどの「ライヴの楽しさ・中毒性」は持たなかったはずだ。
ヘヴィメタルのミュージシャンにも、イケメンや美女もそれなりにいる(かな?)だろうが、それはあくまでも付加価値というか副次的なものであり、イケメンがいるから美女がいるからそのバンドを聴くとかライヴに行く(あるいは、その真逆)とかはない。

しかし、BABYMETALの場合は、3人があのようにカワイイということがヘヴィメタルの「演」奏・表現として絶対的な意味を持って機能しているのだ。

「メタルは正義」。「カワイイも正義」。その高い次元での融合的な統一。

つまり、「カワイイメタル」とはこれもまた、カワイイからこそメタルであり、メタルだからこそ至高にカワイイ、という高次での統一すなわち「止揚」なのだ。「ギミチョコ!!」などは、まさにそれを凝縮し爆発的に表出した楽曲、と言えるだろう。

最後に、『神話の力』より。

モイヤーズ 人間は創造神話のひとつ、あるいはそれ以上に格別の興味を示しますね。私たちがそういう神話のひとつを特に好むのは、いったいなにを求めているからでしょうか。

キャンベル 私たちが求めているのは、世界を経験するひとつの方法だと思います。つまり、世界を形づくり、またそのなかに私たち人間を形づくった超越者が見えてくるような経験。それこそ人間が求めているもの、魂が探し求めているものでしょう。

モイヤーズ つまり、われわれは万物を形づくった神秘の力への、われわれすべてが共有しているあの巨大な沈黙の場というべきものへの接近や、それとの和合を求めているというわけですか。

キャンベル そうですが、ただそれを見いだしたいというだけでなく、それを自分たちの環境のなかに、自分たちの世界のなかに見いだしたい、認めたい、と願っているのです。神聖な存在を経験することを可能にしてくれるような、そういう教示を得たいと思っているのです

モイヤーズ 世界のなかで、また自分のなかで経験する。


たぶん、BABYMETALは、単に世界で最も成功した(しつつある)日本人ミュージシャンというような「実績」とは別の次元においても、僕たちにとんでもない「経験」をさせてくれているのだ。
過去、さまざまな世界で「神話」や「儀式」が人間に与えてきたものと同質の「経験」を。

日々、僕たちがBABYMETALの映像漬けになりながら喜びを感じている、その秘密はそこに(も)あるのだと思う。






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