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BABYMETAL探究(「聖性」考2)

2015-08-01 21:39:33 | babymetal
『別冊カドカワ』巻末のBABYMETAL特集、
その最初の扉ページの美しさよ!

幕張ライヴのラストの、(SU-METALの「らららら~」のスキャットに載って)三姫が白光のトライアングルへと消えていく、あの場面の絵だ。
「熱狂する世界」の赤字も効いているのだが、
何よりも、三姫の後姿の神々しいことといったら!
これは、いったい何なのか。

そして、このページに僕自身が全く違和感を感じずに(皆さんはどうだったろうか?)美しいなあ、と感嘆していたことに気づいて、今あらためて驚いてもいるのだ。
だって、(極めて当然のこととして)このムックの他のミュージシャンやタレントのページは、すべて顔が写っている写真が載せられているのだから。
この、BABYMETAL特集の扉ページだけが、極めて異質なのである。
顔のない後姿だけの一ページ。
しかも、特集の、扉のページが
、である。
僕たちファンにはもはや当たり前でしかないのだろうが、これって、とんでもないことではないのか?

BABYMETALのオフィシャル・ウェブの「BIOGRAPHY」も、ドキモの寝転んだところの写真で全く顔が見えない(笑)という大胆なものだが、これは、BABYMETAL独自のコンテンツだから好き勝手にできやすい。
でも、『別冊カドカワ』は雑誌全体が不特定多数の読者に向けてつくられた(今号はまずもってV6特集の)ものだ。顔が見えない写真のページ、ということの意味合いが全く異なる。

アート・ディレクションした方がBABYMETALの魅力を熟知している、ということでもあろうが、裏返しに言えば、雑誌編集のプロの目から見てもBABYMETALの三姫は後姿で一頁を飾ることができる美しさを持っている、ということなのだろう。(3人、というのが秘密の大きな鍵なのだろうが、このことについてはいずれ探究したい)

残念ながら、記事の情報の内容は、僕たちファンにとっては新味はなかった(まもなく出る『Mdn』のMIKIKO(METAL)特集は、鼻血が出そうになるほど楽しみだ。画期的な情報源になるだろう!)が、それでも、この扉ページを含むグラビアは保存版の値打ちがあると思う。
(全くの余談だが、ミュージックマガジンの最新8月号『2010年代の邦楽アルバムベスト100』に、アルバム「BABYMETAL」もランクインしている。ある評者は、トップに挙げている。(ただし挙げたのはその評者だけのようだが)。ご存じない方はまたご覧になってみてはどうでしょうか?)

後姿だけで、時に、鳥肌が立ってしまうほど美しい。
これは、やはりBABYMETALの「聖性」のひとつのあらわれ、なのだろう。

しかし、僕はここで
BABYMETALは神だ、
などと主張していないし、するつもりはない、ということは確認しておきたい。
前回の「聖性」考で掲げた
「聖なるもの」とは、崇高、優美あるいは清浄というのみではなくて、非日常的で不気味であり、人を魅惑するものであり、しかもそれに対して敬虔さを持って接しなくてはならないようなものであります。
という定義は、
「神」という概念を用いずに「宗教」「聖性」を語るからこそ深み・広がりがあり、このBABYMETAL探究のための導きの糸になりうるのだ。

『聖なるもの 俗なるもの』で挙げられていた「聖なるもの」の典型例は、
即身成仏のミイラ、である。
なるほど、確かに、それは、上の定義にあてはまるはずだ。
「神」とか「仏」とかという概念を持ちこむ必要は全くなく、即身成仏のミイラそのものが「聖なるもの」であるのだ。

BABYMETALも、(もちろん、即身成仏のミイラを前にしたときとは僕たちの心理的感触は全く異なるけれど)存在・パフォーマンスそのものが「聖なるもの」であると(とりわけおっさんメタルヘッズには)感じられる、ということについて前回考えたのであって、だからBABYMETALは僕たちファンにとって神(に等しい存在)なのだ、などとは言っていないし、言うつもりもまったくない(今のところは)。

それに、BABYMETALは神ではない、なんてことはみんな知っていることだ。
紙芝居を通じて明かされる「設定」は、

キツネ様=メタルの神
  選ばれ↓お告げを受け
 BABYMETAL
     ↓↑
     観客

という構造になっているのだから。

さて、では、この構造において、BABYMETALの3姫は何を行っているのか
これが今回の探究の中心のテーマだ。

ひと言でいえば、それは、儀式だ。

これは前回にも軽く触れたが、(ある視角から見れば)これこそがBABYMETALの本質だ、とも言える重要な点である。
こう考えれば、「メタルダンスユニット」って何なのか、さらに腑に落ちるし、
YUI・MOAがBABYMETALの本体である(SU-と神バンドは魂である)、
とこのブログで語ったことの意味がよりいっそう明確になるし、
彼女たちの舞踊が、(単なる)ダンスではない、という僕がこだわっている感触の、内実が決定的に露わになる。
そう思われるのだ。

儀式。
それはいったい何なのか?

このことを、今回は、中村圭志著『教養としての宗教入門』(中公新書)を導きの糸にして考えてみよう。
まず、「はじめに」にこのような注目すべき記述がある。

儀礼への関心の高さ
キリスト教は教理としての信仰を重視し、仏教は悟りや解脱を得ることを目標とする。そういう意味では、俗世の日常を超えた精神性に仕える宗教だと言えるだろう。しかし、日本人の場合、仏教式の悟りや安心立命を求めもするが、それ以上に、儀礼の美的な形を守ることを重視する傾向がある。「日本文化は形から入る」と言われている通りだ。
日本には茶道、華道、香道、歌道、剣道、柔道……といったように「~道」と名のつく習い事や修養のシステムが非常に多い。これらはたいてい精神的な訓戒のようなものを伴っており、宗教の儀礼とはほとんど区別がつかない。


「儀礼の美的な形」とあるが、ここが、BABYMETALの(例えば「赤い夜」の「BABYMETAL DEATH」に典型的な) 神々しさの核心と深く関わっていることは間違いないように思われる。
それが、日本人の心性の特質である、ということは、ここ日本から、メタルダンスユニットBABYMETALが生まれた必然性を納得させる要素のひとつではないか。
引用文中の「~道」のなかで行われる様々な所作、その「儀礼の美的な形」が3姫の、とりわけYUI・MOAの舞踊のあちらこちらに見られる、のだ。
例えば、「イジメ、ダメ、ゼッタイ」の「バトル」は、「剣道」「柔道」等の「武道」の所作を美しく見せるものだ。それが単に装飾的な美しさ(いわゆるアイドルのいわゆるダンス)ではなく、「武道」の精神を表現する(いわば求道的な)美しさである、とは、それが「儀礼の美的な形」の表現である、ということだ。これは僕が「バトル」を観る時の印象にぴったりあてはまる。

「振り付け」というものは、もちろん、BABYMETALが嚆矢というわけではなく、日本のアイドルの重要な要素のひとつ(伝統?)だろうし、例えば、先輩Perfumeのような高度な「振り付け」には、ある種の神々しさを感じさせるものもいくつもあるだろう。そういう意味で、BABYMETALが日本のアイドルグループであるということが、「儀礼の美的な形」「聖なるもの」の発露なのだ、という事情は確かにある。

ただ、BABYMETALが(ファンの僻目かもしれないが)他のアイドルたちとは全く異なるレベルで「聖なるもの」を強く感じさせるのは、BABYMETALの「振り付け」が「メタルダンス」である、ということが大きな要因なのではないか。

つまり、そのスピード、キレ、激しさ、だ。
「メタルを踊る」というコンセプトからもたらされる、他に類を見ないその高次元の舞踊は、いわば「人間的なダンス」という次元を離れた、「聖なるもの」としての次元への昇華の契機となっているのではないか。

また、そのこととの対照における、動きの静止、が、BABYMETALの舞踊を「儀礼の美的な形」たらしめているのではないか。

定まった所作
儀礼は宗教に付きものである。「神」や「仏」の信仰は、頭で考えるものであるばかりでなく、心で感じるものでもあり、さらには身体的パフォーマンスを通じて表現したり感得したりするものでもある。宗教によっては、この身体性が極めて重要だ。…細かな所作が決まっているところがミソである。ちょうどキリスト教の祈りとして「天にまします我らの父よ、願わくは御名の尊まれんことを……」云々という文言が定まっているように、イスラムの祈りにおいては、動作が定まっているのである。これは茶の湯において茶碗の回し方やお茶の点て方が細かく決まっているのに似ていると言えるかもしれない


ダンス、という以上に、「定まった所作」の高速・連続繰り出し、であること。
「振り付け」とは本来的にそうした「定まった所作」なのだろうが、BABYMETALのとりわけYUI・MOAの舞踊が、ひときわこの定義にあてはまると感じられるのは、まずもって高速の「メタルダンス」であり、だからこそその対照としての「静止」が質的な重さ・美しさを持つ、ということからくるものなのだ。
止まるところはピシッ、ピタッ、と止まる。それが、彼女たちの舞踊を「定まった所作」と感じさせるキモなのだ。

『OVERTURE』誌で、MIKIKO(METAL)が、「引き算の美学」について語っていたことは(生ベビ考~入場前編)でも引用したが、それは、「そっちの方がお客さん的にノリやすいから」ということが大きな理由だった。もちろん、そのことが、BABYMETALの(楽曲・「演」奏の)アイデンティティの核なのだが、そのことから派生して、この「引き算の美学」すなわち激しい高速の舞踊における静止が、「聖なるもの」という印象を生んでいるとしたならば、あまりにも大きな副産物だ、といわなければならない。
(こうした「奇跡」に、BABYMETALは満ち満ちている。もちろんそれをもたらしているのは、最終的には、三姫の存在のありようである。これは努力とかとは別の次元だから、天才・天賦の才能、と言うしかない。奇跡の3人による、奇跡のユニット。それがBABYMETALなのだ)。

『教養としての宗教入門』には、次のような記述もみられる。

舞踊や演劇に近い
祈りやマントラが歌に似ているように、儀礼は舞踊にも演劇にも似ている。天照大神天岩戸に閉じこもったとき、アメノウズメが伏せた桶の上で元祖ストリップダンスのようなものを踊ったとされる。神楽の始まりである。ギリシア悲劇は起源からいうと神々への奉納のお芝居であった。宗教的な儀礼と世俗の演劇との間には深い縁がある。
演劇が思想の表現、感情の表出、参加者の連帯の促進といった複合的な働きをもつように、宗教の儀礼も、神仏への信従という思想を表わし、救いを求める情念に道をつけ、信仰仲間や村落共同体の仲間意識を強める。宗教の儀式が世俗の演劇と違うところは、それが斬新なストーリーや演出を競うものでも、脚本家個人の思想やビジョンを観客に伝えるものでもないことだ。あくまで主人公は神仏あるいは「伝統」なのである。それゆえまた、ほとんどの場合、形が固定されているのだ。


(例によって)これはまさにBABYMETALをこそ語っている、と読めてしまう。
はじめの傍線部は、まるで”新たな調べ(「違う、違う」)”の形容であるようだ。
「イジメ、ダメ、ゼッタイ」のカニ歩きをはじめ、BABYMETALは、ダサい動きがカッコいいのだ、それがヘヴィメタルなのだ、ということを、ここで何度も書いたが、それは、彼女たちの「演」奏する「メタルダンス」が、儀礼の始原に立ち返った舞踊である、ということでもあったのだ。

最も古いからこそ、最も過激で新しい。

BABYMETALの舞踊のもつ「儀式」性には、そんな逆説として語るべき「始原」の「新しさ」の匂いがぷんぷんしている。彼女たちを「聖なるもの」と感じさせるのは、そうした時代を超えた普遍性のもつ奥深さなのかもしれない。(ならば、BABYMETALは、即身成仏のミイラ、とも案外近いのかもしれない、なんてとんでもないことを僕は感じてもいる。)

そして、後半の傍線部を敷衍すれば、BABYMETALの舞踊という「儀式」の主人公は、BABYMETAL自身ではなく、彼女たちにお告げを下す、メタルゴッドあるいはヘヴィメタルの「伝統」だ、ということになる。これも、実に僕自身の感覚を正確に説明している。
つまり、BABYMETALの舞踊は、「私たちを見て、私たちこんなに美しく・かっこよく踊れるのよ、ほら!」というようなダンサーのドヤ顔の演技なのでは全くなく、ヘヴィメタルをこの世に降臨させる、観客に届けるための献身なのだ、と。

まさに、そうだ。

メタルゴッドのいわば器となり、僕たち観客の目には見えない耳には聞こえないメタルゴッドを、可視化・可聴化するための憑代としてのBABYMETAL、そのための「儀式」としての「演」奏。
3姫の舞踊はそのようなものであり、だからこそ「聖なるもの」を感じさせ、僕たち(とりわけおっさんメタルヘッズ)を涙させるのだ。

そして、ここにおいて、BABYMETALが「作られたユニットだ」「やらされている」ということの意味が、全く反転する
自発的意志にもとづく、人間的な情念や願い等の主体的な表現ではない、いわば「儀式」を全身全霊で実行するからこそ、BABYMETALのパフォーマンスは、神々しい唯一無二の高次元のものである、のではないか。

前回の「聖性」考冒頭で触れた、紙芝居の「Three Giris were chosen and given the holy metal name by the FOX GOD. He named them "BABYMETAL"...」にジンとしてしまうのは、そのことを僕(たち)に感じさせるから、なのだろう。
例えば、言葉もろくに通じない、時には、とんでもなく高温多湿の過酷な環境のなかで、少なからぬヘイターたちの面前で、ヘヴィメタルを懸命に「演」奏すること。
それがBABYMETALの3姫にとっての「Three Giris were chosen」でもあるのだ。
そうした献身としての「儀式」が、BABYMETALを神々しい美しさを感じさせるものにしている。

たぶん、これは、的を大きく外してはいない、と思う。
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